2016-10-5
やらないことを決める
気が付くと、スケジュール帳がギッシリ埋まってしまう。
癖なのか、貧乏性なのか…
やりたいことがありすぎて、時間が幾らあっても足りない。
寸暇を惜しんで人に会い、読みたい本は積み上がり、タスクリストは膨れ上がり、そしてウッカリすると家事が溜まり…
夏は、その傾向が強まる。
貴重なシーズン、太陽を無駄遣いしたくないと、一生懸命海に出かけてしまう。
余りに出ずっぱりだと流石に疲れるので、休みの日に雨が降ると、チェッと思いつつも、「ああ、これで二度寝しても勿体なくないなぁ」とホッとしたりもする。
秋は、夏の疲れがジワッと出てくる。
夏の終わりを憂いて、ほっておくとローテンションになっていくところを、バンドのライブイベントが救ってくれる。
怒涛の様なイベントシーズンを過ごしている内に、あっという間に冬に突入。
こうして、1年が終わる。
だからここ数年の私の目標は、予定を入れ過ぎないこと。
うんと気を付けないと、この目標はなかなか達成できない。
今年も残すとこ、後カレンダー3枚、どうなることやら。
*****
よく、「何でそんなに色々できるんですか?」と聞かれるのだが、この質問には、不思議な気持ちになる。
だって、やりたいと思ったらやるでしょ?
人は、本当にやりたいことは余り考えることもなく、苦も無くやってしまうもんじゃない?
やらねばならないことには逡巡したり、回り道をしたりしてしまうけど、やりたいことにはまっしぐらに、無我夢中になれる。
私の場合、お日様の下に居たい、海の傍に居たい、などは恐らく、動物的本能による欲求。
だから、晴れて時間があったら、ついつい海っぺりに出かけてしまう。
そして音楽にまつわることは、聴いても、観ても、歌っても、読んでも、語っても、何をしていても幸せ。
やっているうちに時間を忘れちゃう。
ある朋友は、
「それはねぇ、体力に恵まれているから、やりたいようにやれるのよ。普通は、やりたい気力に体がついていかないのよ」
と言う。
確かに私、体力に恵まれている。
とりわけ、持久力はある方だと思う。
この体を鍛えてくれたのは…父だった。
母はずっと体が弱かったので、父は、会社での仕事に加え、母の代わりによく家事をやっていた。
その分、私を助手の様にコキ使った。
例えば小学生の頃。
転勤族で、大阪・横浜・葉山、合計3つの小学校に通ったが、そのうち横浜と葉山の5年間は、急な坂の上の、物凄く不便なところに住んでいた。でも、父はペーパードライバー。毎週末の買い出しの移動手段は車ではなく、徒歩。そして、10kgのお米を背負ったり、まだ当時は大きかった洗剤の箱を背負ったりするのは何故か私の仕事だった。重い荷物を背負いながら、片道2~30分を歩いていたのだ。
葉山に住んでいた頃、隣の家に面する壁一面に蔦が張っているのを、取らされるのも年中行事だった。歩み間違えば3m下に落下してしまう15cm幅の壁際のスペースを、恐る恐る横歩きしながら、飛んでくる蜂と戦いながら、頑張ってやっていたっけ。
同じ頃、父の気まぐれで、重量が25kg位あるゴムボートを買ってしまったこともあった。夏になる度、それで遊ぶために二人でおサルの籠屋宜しくオールにぶらさげて担ぎ、やはり片道30分の道のりをエッサホイサと歩かされていた。
そうだ、中学・高校時代のハードな生活のお蔭でもありそう。
片道2時間半をかけて通学していたので、激しい運動部には所属せず、筋肉や骨には負荷をかけ過ぎないでいられた。その一方、放送部の部活、バンド3つ、そして委員会活動までやっていた。更には、学校から遠いのを良いことに、校則違反は承知で、バンド代を稼ぐために高校から地元でバイトをしまくり、今に負けないくらい、とても忙しい日々を送っていた。
結果得られた骨太・筋肉質な体と持久力。
体は一生モノの一番の資本だから、丈夫に産んで甘やかさないでいてくれた親に感謝。
でも実は私、人がやっているのにやっていないことも一杯あるんだよ。
例えば…
●テレビは観ない。
くだらなくて、腹が立つことが多いから。
一人で主役を張り切れないタレントが山ほど出てきて、みんなでどうでもいい事をあーだこーだとしゃべっている。凝縮すれば2分で終わりそうな内容を、途中でCMを挟み、勿体つけて、一部リピートしながらダラダラと流す。世界で大事件が起こっているのはそっちのけで、タレントの恋愛事情とか二流政治家の失言について一斉に報道する。
不満は上げればキリがない。だったら、観なければいい。
今、我が家にあるのはブラウン管のアナログテレビ。モニターとして鎮座している。
●4人以上の飲み会には極力行かない。
会話が薄くなり、つまらなくなることが多いから。
おまけに、大阪で幼少期を過ごしたせいなのか、会話の中で間が多くなったり、発言量が誰かに偏ったりすると気になって仕方が無くなり、余り楽しく過ごせない。
余計なお世話なんだけどさ…
だから、そんな心配なく、濃い~話が出来るサシが一番。
それを楽しいと思ってくれる人とだけ会うことにして、いわゆる「お付き合いの席」はなるべく行かない様にしている。
●掃除、買い物は一週間に一度だけしかしない。
特に買い物は、途中でアレが足りない!ということが無い様に、一週間分の朝昼晩の献立を考えながらガッツリ買い込み、肩を脱臼しそうな重い荷物を背負って帰ってくる。
まぁこれは、食事メニューがワンパターンで、家族が2人と少ないから出来ることなんだけどね。
やらないことは、他にも沢山ある。
お化粧、ネイル、エステなど美容関係全般、凝った料理、アイロン…
まぁこれも、心底興味が無い、好きじゃない、というだけのことなんだけど。
でも多分、一番大きいのはこれだろう。
●嫁業、妻業はやらない。
ずっと前、10年間だけやっていたことがあった。
献身的ではなく、協調性にも乏しい私には、実に向いてなかった。
性に合わないことを頑張ってしまったせいで、顎関節症になるなど、体調まで崩してしまったこともあった。
だから私は考えた。
自由と孤独を取るか?
不自由と、世の中的に普通の、安定した平和な幸せを取るか?
私が選択したのは、前者だった。
*****
こんな風に、私は自分の価値観に照らし合わせて、やることとやらないことを決め、出来るだけ自分の人生をコントロールしようと試みてきた。
その判断に人を巻き込んでしまって迷惑をかけたことも多々あって、単なるワガママな人生とも言える。
でも結局、自分が幸せでないと、周りの人のためには動けない。
迷惑の罪滅ぼしは別途やるとして、二度とない、そしていつ何が起こって終わるか判らない自分の人生を、悔いが無い様に、やりたいことは、やる。
そのために、やりたくないことは、やらない。
*****
真面目に考えていると、歳を重ねるごとに、やることは増える一方。
そして、やりたいことよりも、やるべきことが増えてしまう。
その状況をきちんとコントロールしていかないと、真にやりたいことに時間が割けず、自分が擦り切れて行ってしまうっていうのは、以前書いた通り。
もしくは、やるべきことに埋没している間に、本当にやりたいことを見失ってしまう。
だから。
自分の価値観の中で大事にしたいことは何か、要らないものは何かを見極め、勇気をもって、やらないことを決めることはとても大事。
この人、イキイキしているなぁ~と思う人は、やっぱり優先順位づけや取捨選択が上手くて、自分の選択に自分で責任を取る気概のある人だ。
考え方は人それぞれ。
正解は無い。
決めて、責任を取るのは自分。
あなたは何を選ぶために、何をやめますか?
2件のコメント
いつも楽しく(興味深く)拝読させていただいております。
「フェイスブック」「ワーク&ライフ相乗効果日記」そしてこちらの「我が書斎、横須賀線車中より」、どれも欠かさず読ませていただいております。
私が以前よりも自身のブログをちゃんと更新して、「フェイスブック」よりも自分の“思い”をもう少し突っ込んで書いてみようと思い始めたのは、実は斎藤さんの影響なんです。
是非、これからも斎藤さんらしさに溢れた投稿を期待しています。
<追伸>
巣立ちの季節も迫ってきたサル君との、これからの母子の“物語”を楽しみにしています。
それと、母子ともにウィークポイントは「顎」ということなんですかね?(笑)
海おやじさん、いつもご愛読有難うございます。
私らしさって何だろう?
残念ながら自分ではよく解りませんが、
定期的に発信することは、定期的な受信含め、
自分の思考を鍛えてくれると思います。
そんな私の駄文、乱文、雑文が、少しでも誰かのお役に立てるのだったら、
こんなに嬉しいことはありません。
これからも、どうぞ宜しくお願いします!
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