2016-10-5
「ごめんなさい」に魅せられて
2016年も10月に入った。もうすぐSMAPも解散か。今年はスポーツ・芸能ニュースが盛りだくさんで、その中で聞いたいろんな「ごめんなさい」が印象に残ったから、今回は特に気持ちのいい「ごめんなさい」について書くつもりだった。しかし、思わぬ方向に。SMAPのことを考えていたら、なりゆきで自分の心にあった大前提を見直すこととなってしまった。とんだタナボタだ。
一応、きっかけを書き残しておこう。なんて気持ちのいい「ごめんなさい」なんだ!って、言いたかっただけなの。それは、リオ五輪女子レスリング吉田沙保里選手の、金メダルを逃したシーンの「ごめんなさい」を見て。あんなにさわやかに謝る人、悔しがれる人、見たことない、と。あふれるままに内側を表現できる素直さの見事なこと、本物はすごい。しあわせな、愛し愛される人が発することのできる、清冽な「ごめんなさい」が強くこころに残った。
そしたら、少しさかのぼってベッキーさんの「ごめんなさい」にキュンとさせられたことを思い出して。SMAP中居リーダーの「神」対応でも話題になった某テレビ番組のインタビュー、不倫相手への気持ちを問われ、一瞬言葉につまったあと、涙と同時に口をついてこぼれ出たのが「好きでした、ごめんなさい」だった。好きになってごめんなさい、って、恋愛の醍醐味か!?ベッキーさん、脳内麻薬でてるのか、じゃっかん、うっとりしてたし。
と、ここまではふんふーん♪といった調子だったが、さて、気持ちはよくなかったけど今年最大の芸能ニュースのあれも入れとかなきゃ、と、思ったとこから雲行きが怪しくなっていった。いまだ騒動が過去形にならないSMAP、そのメンバーたちが言っていた、あるいは、書いていた「ごめんなさい」について。
のちに公開処刑と揶揄される冠番組での謝罪を見て、わたしはほんとにいやな気持になった。誰になにを詫びたのかわからない、くやしいだろうなあ、いい大人が、あんなの、やらされて、と、心がとてもざわついた。そして、考えてしまった。こういうときがわたしが自分の中をのぞきこみたくなる瞬間らしい。思えば、ここが軽いタッチの芸能ネタとの別れ道だった。
なぜ彼らの謝罪がそんなに気になるのか。なにが自分の気持ちを動かし、波だたせるのか。
最初はプロダクションの企業体質のイメージやその会社を支える旧態依然のオトコ社会に怒りを感じているのだと思っていた。ところが、ふと、おや、オトコじゃないぞ、と。オンナだった。それも、メリーさんとか元マネージャーとかだけではなく、もっと大きなくくりのオンナ。
あの「ごめんなさい」により、母親に叱られた子どものときの胸の痛みが息を吹き返していたんだ。にわかに記憶がたちのぼる。小さいころ、母親は圧倒的な力でわたしの世界に君臨しており、わたしは彼女に服従せざるを得なかったこと(おっぱいもらわなきゃ、とか)、それに対する怒りや悔しさ(なんでチョコ買ってくれないの、とか)、子供ながらにして感じた理不尽さ(あずけたお年玉は?とか)。子どもの私には決して美しくは見えなかった世間というものの原型、それは私が母親から見て取ったものだったのだ。社会のひな形を見せるのはオトコ親だとばかり思っていたが、ちがったのか、、、。
わたしの中にあった不条理な社会への不信感、その根っこがオトコではなくオンナにあったとは。世の中への怒りの発祥が父親ではなく母親、わたしが恐怖していたのはオトコでなくオンナ。男性恐怖症だから、オトコ嫌いだから、結婚もできないんだと思っていたし、貧困や差別で苦しむ民を生み、ゴミをまき散らすこのしょーもない世の中を作っているのはオトコだし、私の人生の不幸はすべてオトコがアホなせいだ!くらいの思い込みで、ある意味、安定の人生を送ってきたのに。それを急に、いやーうっかりしてた、オンナだったわ、て。世の中はママでできているんだよ、て。
突如、世界の色がぬり変わり、同時にわたしの自我は大きな衝撃を受けて、ちらっと崩れたと思う。悪いニュースだ。 いいニュースもある。 わたしはオトコ嫌いじゃなかった!男子、そんなに悪くない! そして、自分の世界の骨組みがよりあらわになったのは、とてもすがすがしい!SMAPさまさまだ。
ながらく私をして世の中を呪わせた女性不信については、またいつかあらためて。 また、最後に、一応、うちの両親はいたって普通の良い親で、わたしは末っ子で、姉や兄よりだいぶ可愛がられていたそうです。チョコは虫歯になるほど食べました。これは私の内的世界のおはなし、でした。
、、、なにか終われないと思ったら、わたし、謝りたいんだ。わたしの中のオトコというものに。
ぬれぎぬをきせました、冤罪でした。ごめんなさい。わたしはなんか間違っていました。見当ちがいの怒りを本気でずっとぶつけてたことをお詫びします。
公開謝罪 inspired by ジャニーズ事務所、といったところ。スッキリした。
ときに、ほんとのごめん、ひねりのないもともとの意義のごめんのあとには、ありがとって気持ちがついてくるものなのかもしれない。謝らなきゃいけないことなんて、ほんとのほんとには、ないのだ、たぶん。吉田選手の「ごめんなさい」は、そういう意味でもやっぱり本物というか、純粋な言葉の使われ方だと思った。 おしまい。
今日のBGMは、もちろん、「世界にひとつだけの花」(作詞・作曲:槇原敬之)で送りしました。SMAPとみなさま、そして、わたしの世界へ、愛をこめて。そーさー、ぼくーらはー!
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