salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

四十二才の夏休み

2018-10-25
ロックンロールギタリストになるんだ!①

 不得意なものがたくさんある。僕はスポーツが苦手だし、手先が不器用だから図画工作の類いは絶望的にこなすことができない。あと、リズム感がすこぶる悪い。いわゆる音痴ではないと思うけど、手を叩いて拍子をとったり、リズムのきっかけをつかんだりするのが不得手だ。
 困るのは、音楽ライヴなどで、手拍手を促されること。手拍手をすることは別に恥ずかしくはないのだが、周囲の人とタイミングがずれていないか、そればかりが気になって、肝心の音楽に集中できなくなる。だから僕はしかたなく、腕組みをしたり、頬杖をついたりという不遜な態度でその場を取り繕ってきた。
 さて、そんな僕が、最近人前で歌うことを楽しいと思い始めている。昔からよく知っているバーのマスターが、「村瀬君は音楽が人一倍好きなんだから、ギターを弾いて歌ってみるといいよ」と、背中を押してくれたからである。
 才能がないのは自分がいちばんよくわかっている。だけど、なじみのマスターがそんなふうに声をかけてくれたのがうれしかったから、僕は毎週水曜日、開店前の地下フロアを借りてこっそり練習を始めた。
 初日は、ピックを持つ右手ががちがちに固まり、声がふるえた。本当はもう少しうまくやれるはずなのに、カウンターの向こうで耳を澄ませているマスターの姿を想像すると、自分の部屋で練習するときの、3分の1くらいの力しか出せなかった。
 だけど、そんな練習を2か月ほど続けていたら、どうにか一曲、歌えるようになった。とても人に聞かせられるレベルではなかったが、ハンディの多い僕にとっては、大きな進歩だ。するとマスターがこんなことを言い出した。
「じゃあ今度は、ライヴをやることを目標に練習してみないか」
 耳を疑った。僕がなんとか歌えるようになったのは、実力がついたからではなくて、雰囲気に慣れることができたから。ここまでの上達が奇跡なのに、知らない人の前で歌うなんて、絶対にアリエナイ。でも水曜日の練習はもう少し続けていたかったから、「そうですね。いつかそうなりたいですね」とテキトーな返事をして、お茶を濁した。
 練習の後は、いつも決まってお酒を飲んだ。お酒を飲めば、当然、気が大きくなる。そしてある晩、僕は常連客の「そんなに練習しているんなら一曲弾いてみろ」という冷やかしの声にそそのかされて、ギターを手にとった。BGMの音量が下げられ、照明が落とされた。
 酔いがすっと醒めていくのがわかったが、後戻りはできなかった。僕は覚悟を決め、ギターをかき鳴らした。途中、弦がちぎれたが、声を振り絞って最後まで歌い切った。
 翌朝、マスターからLINEのメッセージが届いていた。
「昨夜の村瀬君はベストでした。録音しとけば良かったと思いました。結局、音楽ってそこなんじゃないかな」
 マスターの言う「そこ」っていうのは、よくわからなかった。だけど、意味不明な絵文字入りのメッセージを何度も読み返していたら、その先に、これまで経験したことがない、わくわくする何かがある予感がした。
                                   (つづく)


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1件のコメント

音は空気の振動、歌は心の震え。心の姿が、音楽を決めると思うのです。その人が、どう正直だったか嘘をついたか、卑怯だったか堂々としていたか、ズルいかズルくないか、ウソや卑怯やズルさを、どう反省したか、していないか、恥ずかしさを知っているか、そんなことが、歌や音楽のできばえを決めていくのではないでしょうか。形ばかりの音や音楽は、才能や練習や努力で、ごまかせます。けれど、真に面白い歌、音楽は、そこにはない気がします。やはり、どう生きたか、生きているかということに帰着する気がしてなりません。ロックンロールとはなにか。コピー音楽も楽しいけれど、もっと楽しいのは、誰の心の奥底にもあるノスタルジーと共鳴しながらも、何にも似ていない歌であり音楽だと思います。こうたくんだけのロックンロールの完成を、心から楽しみにしています。

by EN - 2018/10/25 11:22 AM

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村瀬 航太
村瀬 航太

むらせ・こうた/1970年、東京生まれ。確定申告書の職業欄に記入するのは「著述業」。自宅でクサガメの世話をしたり、大相撲中継や映画を観たり、マイナーな海外アーティストの音楽ライヴに足を運ぶ傍ら、出版編集にかかわる仕事をたまにしている。専門ジャンルはとくにないが、相手によって「写真が好きです」とか「実用書全般を手がけています」などと真面目な顔でテキトーにこたえている。

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