salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

四十二才の夏休み

2013-12-25
閑話休題

 めずらしくシゴトばかりしていたら、あっという間に一つ齢をとり、師走になってしまった。さりとての連載もずっと気にはなっていたが、毎月支払わねばならない家賃や光熱費の心配が先に立ち、なかなか手を付けられずにいた。とはいえ、いいかげん更新を怠っていると、さりとての大家さんに追い出しをくらうことにもなりかねないので、短い文章を転載してお茶を濁し、気持ちよく新年を迎えたいと思う。
 なお、以下の文章は、本人の転載許可を得ていない。だけど、血のつながりが一番深い親族であり、すでに故人でもあるので、モンダイはないはずである。

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 流れ去る月日の早さを嘆いたり警めたりする言葉は「光陰矢の如し」始めイロイロある。「朝(あした)に紅顔あって夕べに白骨となる」「烏兎匆々」「昨日は今日の昔」「歳月人を待たず」「少年老い易く学成り難し」。あらためて挙げてみると、印度・中国を中心とした東洋的な無常観から生まれた言葉が多いように思う。
 そんな常識論はさておき、喜寿を迎えて思うのは、月日の速さは年齢と共に公差2の等比級数で進んでゆくような気がすることだ。数学が苦手なわたしが、カッコつけてイイ加減な数学用語を使ったのは滑稽と自分でも思うが、こういうことだ。0才から10才までの10年は、物心ついてない部分もあってカナリ長かったように思う。それから20才までの10年間、いわゆるティーンエイジャーの時代もケッコー長かった。でも10才までに比べると半分くらいの長さ、つまり倍のスピードで時は流れたような気がする。さらに20代は、わたしの場合、敗戦あり、戦後のゴタゴタありで、これもケッコー長かった気がするが、10代に比べると、倍くらいのスピードで時は流れた(注:わたしの年齢は数え年だと昭和の年度と一致する)。
 そんな具合で、30代の長さは20代の半分の長さしかなかったし、40代は30代の半分、つまり月日の速さは倍倍と加速していった。70代なんてアッチ向いてコッチ向いているうちに過ぎ去ろうとしている。
 小学生の頃は、お正月が待ち遠しく、歌の文句にある通り「早く来い来いお正月」だったのに、いまはアッという間に一年が経つ。「また正月か」とヤになる。まさに「光陰ヤの如し」だ。
 あと、ひと月ちょっとすると除夜の鐘聞いて雑煮食べると、すぐ桜が咲いて、暑い暑いと言っているうちにツクツク法師が鳴いて、またジングルベルが鳴る。この調子でゆくと90才、100才はアッという間のような気がしてならない。こんな年寄りくさい嘆き節は、初めて、ではないが、最近頓に歌うようになった。
 生来の極楽トンボで、古来稀という70才になるまで、年齢というモノを考えたことがなかった。「イイ年ぶっこいて」と、いろんな人に陰でも、面と向かっても言われたが、20代とおんなじつもりで何でもやってきた。イヤ、やってくることができた。つまり、そのぶんいろんな人に迷惑かけてきたということだろう。子供の頃は、町内でも学校でもオマセで評判だったのが、25才過ぎた頃から、すっかり知恵遅れになったみたいである。
 ちょっと話は変わるが、終戦直前、徴兵年齢の引下げで、学校の途中、天皇制の陸軍に現役入隊し、半年ばかりしてポツダム兵長で娑婆に還ってきた。同級生で年齢の一つ二つ上のヤツ、早くに志願したヤツには、南や北へ連れて行かれて、草むす屍・水漬く屍となったのがカナリいる。
 生きているだけ儲けモノ、余禄の人生だという思いはズットある。いまだにある。
 ただ、それをイイ方向に使えばヨイのに、自分の怠惰の弁解・戒めにしているところが、わたしのダメなところと、最近、反省シキリである。
 それと矛盾するようだが、わたしは死ぬことがトッテモ嫌いである。他人が死ぬのはソレホドでもないが、自分が死ぬのはガマンできない。ユルせない。
 自分自身、決してヒューマニストとは思っていないが、冷静に判断して100人中、ヒューマニストとしては40番目くらいのところにはいるだろうと考えている。そしてカナリの唯物論者と思っているのだが、まったく違った妄想をする自分にアキレている。それは、わたしが死ぬ時は、わたしの知っている人たちが、いっしょに死んでくれたらどんなに気がラクだろうと思うのである。古代エジプトだかの王様みたいに、大勢の殉教者がいたらイイのにと夢想したりするのだ。「面白半分」を英語では「ハーフシリアス」つまり「半分本気」と言うが、100分の1くらい本気でソウ思う。

(平成14年11月)

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 喜寿(数え年で70歳)を迎えたときの父の文章である。
 その後、父は84歳まで健康体で過ごし、最期の半年間だけ病院のベッドの上で恍惚の人となり、その年に起きた震災や、自分が死を迎える恐怖をいっさい感じることなく、息を引き取った。
 父ほど幸せな人生を過ごした人間を、僕は知らない。


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村瀬 航太
村瀬 航太

むらせ・こうた/1970年、東京生まれ。確定申告書の職業欄に記入するのは「著述業」。自宅でクサガメの世話をしたり、大相撲中継や映画を観たり、マイナーな海外アーティストの音楽ライヴに足を運ぶ傍ら、出版編集にかかわる仕事をたまにしている。専門ジャンルはとくにないが、相手によって「写真が好きです」とか「実用書全般を手がけています」などと真面目な顔でテキトーにこたえている。

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