salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

WHERE IS THE PATH IN THIS TRAIL? 〜わき道へ一歩、逸れた世界〜

2016-10-5
欲ってなんだっけ。

前回のコラム更新から早8ヶ月。
アフリカを抜けてヨーロッパに入れば、またネット社会へすんなり復帰するのだろうと予想していたものの、意外にもヨーロッパ突入後も私たちの旅生活パターンはアフリカにいる時とほとんど変わりなく、パソコン画面にじっくり向き合うことになったのは第一部の旅を終えた今となりました。
みなさま、大変ご無沙汰しております。無事、イギリスに自転車で到着しました。

現在は、エリオットの両親が暮らすイギリス西海岸のこじんまりとした街で、第二部の旅へ向け準備と資金を稼ぎながら、短期居候させてもらっている。

人の家から家へ(あるいは草むらから草むらへ)と寝床を移し、人力でひたすら移動し続けたこの1年半。初めは非日常に思えた毎日も、次第に旅というより移動式住居的日常と化していったから不思議だ。
むしろ今は逆に、同じ部屋の同じベッドで毎晩就寝するとか、平日働いて週末休むとか、化粧して動きずらい服で街へ出かけるいったような、ごく普通のことがとても新鮮に感じられる。

例えば食でいうと、固定式住居(?)になってから朝食のシリアルには今まで持ち運べなかったヨーグルトが加わり、お昼のサンドウィッチの具材はその日に食べ切る必要がないため2種類から4種類に増えた。
そして晩ご飯はオーブンやミキサーなどの調理器具、またスパイスや調味料を惜しみなく使った豊かな家庭料理を贅沢にいただいている。 (旅中は晩ご飯の7割がパスタでした。)

しかしどうしたものだろうか。
旅中であれば、興奮して身震いしていたであろう料理でも、毎晩食べているとそれが気付けば「当たり前」になってくるから、人間の順応性というものは恐ろしい。

いや正しく言うと、毎晩ご飯の美味しさを全力で噛みしめ、ありがたみを感じながら食べてはいるのだけれど、旅の中で感じたあのとてつもない至福感を知ってしまった今、それに及ぶ感動をどうしても味わえないというのが本音だった。

その至福感は、高級レストランで最高食材の料理と一流のサービスを受けたからといって得られるものでもない。言ってしまえば、料理そのものより、その料理に辿り着くまでの背景やその時の心境が大きく関わっているように思う。

まるでばかの一つ覚えのように、アフリカでの半年間まったく飽きることなくアボカドとトマトのパスタを美味しく食べ続けることが出来たのは、それがただの「アボカドとトマトパスタ」ではなかったからだろう。

汗水垂らして丸一日ペダルを漕ぎ、その日出会った地元の人から買った「アボカド」と「トマト」で作る「アボカドトマトパスタ」は、何度食べてもスペシャルだった。

だが、旅の初めから毎晩同じメニューの晩餐で満足していたかというとそうでもない。特に、野菜くだものが手に入らないナミビアの砂漠地帯を縦断していた1ヶ月間は凄まじかった。
シャキッとした新鮮サラダを思う存分食べたい、アジアな味付けが恋しい、せめてキンキンに冷えた飲み物だけでも、、、と食の欲求が頭から離れなかった。

そうして1000km続く砂漠を抜け首都へ辿り着き、数ヶ月ぶりに入った大型スーパーマーケットは、その時の私たちにとってまるでテーマパークのように輝いていた。私は久しぶりに見る幅広いバリエーションの野菜くだものや乳製品に目を光らせ、甘いものに飢えたエリオットはゲストハウスのオーブンで毎日ホールケーキを焼き続けた。まさに欲求爆発である。

また普段からめったに外食はしていなかったにも関わらず、少し奮発してハンバーガーやお寿司を食べに出かけたり、私たちはこのチャンスを逃すべからずと、もっと、もっと、と溢れ出る欲求に身を委ねて都会での時間を満喫した。

話に聞いていたとおり、ナミビア以降はそのテーマパークという名の大型スーパーマーケットの数は激減。というよりも、食品から日用品まで何でも揃うスーパーマーケットスタイルのお店自体が主要都市にしか存在しなくなった。

それからだった。私たちの「欲」に大きな変化が訪れたのは。

スーパーマーケットと引き換えに、日々の食料調達を否応なく村の市場や路上でするようになった私とエリオット。
初めは一品ずつ行われる値段交渉に面倒臭さを感じたものの、慣れてくると人と目と目を合わせて言葉を交わしながら商品を買うことに何とも言えない心地よさを感じてきた。子供から老人まで多くの人が行き交うカオスな空間にはいつだって、私たちに必要なものがきちんとあった。

また、翌日同じおばちゃんの所で買い物をすると「あら戻ってきてくれたのね。」と言わんばかりに少し照れた笑顔でトマトを1個おまけしてくれたりするのが、やけに嬉しかったりした。

そういえば子供の頃、スーパーよりも今は無き駄菓子屋でお菓子を買いたがってたよなぁとか、今は廃れた地元の商店街も、ひと昔前はこんな活気ある商いと交流の場だったのかなぁと想像すると、少し寂しい気持ちになった。

それからさらに数ヶ月後、私たちはウガンダの首都に到着した。そこで大量の交通量と人の波に紛れて、見覚えのある大型スーパーマーケットを発見した。
「よし、久々の買い物だ!」と自転車と荷物の見張りをエリオットにお願いし、私は勢い良く店内へ入っていた。

待ちに待ったスーパーマーケット!のはずがしかし、久しぶりに見るおびただしい数の商品に目移りしながら30分店内をうろつき、結局私が購入したのは牛乳とパスタと歯磨き粉のみだった。それを見たエリオットは「え!これだけ時間かかってそれだけしか買ってないの!」と、私の入れ替えに店内へ入っていったが、15分後、彼は手ぶらで戻ってきた。そして、「必要なものはもうここにないね。」と言った。

その時の感覚は、今でもよく覚えている。何か買わなきゃと思っても、購買意欲がなぜか湧かない。たとえ値段が安くても、種類がいくらあっても、その綺麗に並べられた商品たちはとても無機質に私の目に映り、テーマパークのようだった場所が、出口のない迷路のように思えたのだ。

そして、私は悟った。あ、欲がひとつ消えてなくなった、と。

イギリスに戻ってきて1ヶ月が経った今、あの時不自然で仕方なかったスーパーマーケットでの買い物にもすっかり慣れた。だけど実際、買うものは旅中とほとんど変わらず、いつも必要なものだけを買っている。
それは食品に限らず、以前は目移りしていただろうショーウィンドウに飾られたワンピースも、可愛い雑貨も、今では私の興味をまったくそそらなくなった。

昔友人が、欲があるからこそ頑張れる、欲あってこその人間だ、とほろ酔いで語っていたのをふと思い出した。では、欲をひとつ失った今の私は向上心をも失うのか?

いや、私はそうは思わない。
自分自身が今のままで十分満たされていると知れたこれからこそ、きれいごとや言い訳を抜きにしたありのままの自分と、他者と、世界と、自然と、ようやく向き合えるような気がするのだ。

というわけで、私たちの旅はもう少し続くことになりそうな予感です。

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Mayu Rowe
Mayu Rowe

ロウ 麻友 / 旅するデザイン・ライター。1986年生まれ、大阪出身。20歳でインテリアデザイナーとして社会に出た後、活動の場を広げるため渡英。そこで現在の夫と出会い、一歩踏み込んだ旅へと魅了されていく。彼と共にヒマラヤ登山、日本ヒッチハイク縦断などの旅を終えたのち、南アフリカへ移住。しかし2015年春、南アフリカ生活にピリオドを打ち、自転車でアフリカ大陸縦断の旅へ出る。

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