salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

WHERE IS THE PATH IN THIS TRAIL? 〜わき道へ一歩、逸れた世界〜

2015-10-5
セカンドカルチャーショック

「なんでそうなるん?」「もうちょっと何とかならへんの?」
頭の中が四六時中はてなマークでいっぱいになっても、どうしても理解できない、受け容れることさえ難しい、そんな文化と価値観の違いに出くわしたのは、久しぶりのことだった。

海外に住んでみたり、旅をした経験から、ある程度オルタナティブな感覚を習得した気でいた私。
しかしそんな私に、先月訪れたアフリカのマラウィという国は、次々と超難題を投げかけてきた。

マラウィを旅している間、何度「なんで?」と呟いたことだろう。
そんなセカンドカルチャーショックなエピソードの一部を、今回は書かせていただきたい。

現在自転車でアフリカを旅中の私と夫のエリオット。
先月、マラウィ南部のある小さな村を通りがかったとき、一台の車が私たちの横に停車し、車内から一人の女性が声を掛けてきた。
80歳を越えた今でも現役でNGO活動を続けているというパワフルなその女性、シャーロットは、自転車に跨った私たちを見るなり、こう告げた。
「私の息子も、昔自転車でアメリカを横断して、色んな人にお世話になったのよ。もしよかったら、私の小さな家にも泊まってってちょうだい。」
聞くと彼女の家は、私たちがその後向かうつもりでいたルートの先にあり、私たちはそのご厚意にありがたく甘えることにした。

シャーロットと出会った場所から3日間かけ、約200km南下した彼女の家に到着すると、彼女と彼女の旦那さんのディック、そして番犬のマックスが、汗まみれの私たちを温かく迎えてくれた。
彼らの家は、深刻な森林伐採が目に見えて進むマラウィでは珍しい、緑の溢れる山沿いにあり、広い庭には背の高いワイルドな木々と花が生い茂っていた。
久しぶりの草木に囲まれた環境、ふかふかのベッド、あったかいシャワー。
そして何よりも私たちが感激したのは、シャーロット家のご飯だった。

朝ごはんは、この時期旬のいちご、パパイヤ、バナナと、はちみつのポリッジ、それに自家製ジャムのトースト。
晩ごはんには、豆とトマトのバルサミコ酢漬けサラダと、アボガドにラザニア。それからなんと、デザートにはいちごたっぷりの手作りタルト。
もう何ヶ月も食べていないようなヘルシーで充実したメニューの食事に、私とエリオットは毎晩興奮を抑えることができなかった。(あまりの居心地の良さに、結局4泊もさせてもらっちゃいました。)

こんな素晴らしいご飯をマラウィで作れるなんて、さすがシャーロット。と思ったのだが、実際この食事を毎日作っているのはシャーロットではなく、この家の専用シェフである、ウィルソンというマラウィ人男性だった。

家に専用のシェフがいるなんて、日本人の私からするとずいぶん大層なことだけれど、アフリカで旅中にお世話になった欧米人、白人系アフリカ人、また裕福なアフリカ人の家には必ず、家事をする人、庭の管理をする人、セキュリティのため夜間警備をする人を各家1人から4人ほど雇っていた。(住み込みで働いている人もいた。)

洗いものをしようとしても、お茶を淹れようと思っても、すべてお手伝いさんが家事をこなしてくれる。”家事は自分たちでするもの”という常識に基づいて生きてきた私にとって、それはなかなか慣れないものだった。

話をシェフのウィルソンに戻すと、彼は20年間シャーロット宅で専用シェフをしていて、若い頃はケニアで料理を学び、シャーロット宅で働く前はスコットランドで働いていたというほど、知識と経験のある男性だ。
初めのうちは、シャーロットの作ったレシピ本を元に料理をしていたようだが、今ではイタリアン、アジアン、メキシカンなど、あらゆる多国籍料理を、彼自身のレシピで作れるほどの腕前だそうだ。

私たちが旅中立ち寄る、マラウィの庶民的なレストランで出てくる料理といえば、白米かシマ(白とうもろこしを粉状にして練ったもの)に、鶏か牛か山羊をトマトで煮たもの、それに煮豆と少々の緑野菜といった感じで、メニューと味付けはどこも同じだった。
それに比べ、ウィルソンの作る料理はといえば、マラウィの野菜とフルーツを上手く活用し、油と塩分も控えめ、テーブルセットだって完璧にこなしている。
都市部にある旅行者向けのお高めレストランも、彼の料理には敵わないんじゃないかと思うほどの、上品な美味しさだった。

もし彼が食堂でもオープンさせたら、たちまち人気店になるだろう、と私とエリオットは思い、いかに彼の料理がマラウィで唯一無二の食事かということをウィルソンに熱く語った。
しかし、今年で60歳を迎える彼は、もうすぐ退職を考えているというのだ。
それを聞いたとき、私とエリオットはすぐにウィルソンに言った。
「その素晴らしい腕前と知識を自分の子供に教えてあげるべきだよ!ウィルソンが長時間働くのがしんどいなら、子供たちがそのスキルを受け継いで、生活していくことが十分可能だと思うよ!」

その私たちのアドバイスに、ウィルソンは「そうかなぁ、、。」と苦笑いを浮かべるだけだった。

その後、そういったウィルソンとのやり取りのことをシャーロットに話すと、
「それは私もウィルソンに以前提案したことがあるんだけどね。。」と話し始めてくれた。
シャーロットは、「仕事がきつくなったら、いつでもウィルソンのタイミングで退職してくれていい、だけど手の空いているときに、家事担当のお手伝いさんに、簡単な食事の用意やレシピを教えてあげてくれないかな?」とウィルソンに聞いたそうだ。すると普段穏便なウィルソンは、「ここは学校じゃない!」と少々声を荒げて、それを断固拒否したという。
それからさらに、シャーロットはウィルソンに別の提案した。
「もしそれが嫌なら、土曜日にでも長男の子をここに連れてきて、料理を教えてあげたら?見てるだけでもいいし、勉強になるはずよ。」
ウィルソンが使い慣れたキッチンで、子供の学校がない日に料理を教えてあげることは、子供にとってとても為になることに思えた。
しかしその提案にも、彼が応じることはその後なかったそうだ。

なんで?
色んな疑問が私の中を取り巻いた。
一般のマラウィ人は私たち日本人のように、仕事や学問の選択肢が幅広くあるわけではない。ほとんどの人が自給自足で育てた作物とわずかな給料で生活をまかなっている。そのため、特定の技術と経験は、限りなく価値のあるもののはずだ。
それなのに何がウィルソンを躊躇わせているのだろう?
家事担当のお手伝いさんに、ウィルソンが料理を教えたくない理由として、シャーロットは”嫉妬”が主な原因だろうと言った。
だけど、自分の息子にさえ、進んで料理を教えないのはなんでだろう?教育は学校でするものと思っているから?まさかそこにも嫉妬心があるのか?いや、実の息子に嫉妬心を抱くことなんてないはず。。

毎晩出されるウィルソンの料理に感激をする度、ウィルソンの代でこのスキルを絶たせるのは、なんて残念なことなんだろうと、考えても考えても終わりはなく、ウィルソンの真意は最後まで分かることはなかった。

私が考える、「将来彼らの為になり、彼らの生活がより良くなるだろう」と確信に近く思う事柄も、ある人にとってはまったくそうではないのかもしれないと、さらに思わせたエピソードがある。
それはマラウィ北部の見晴らしのいい山の上で、キャンプサイトを15年間経営しているベルギー系コンゴ人男性から聞いた話だ。

彼は、マラウィ人の友人の家を訪ねたとき、友人宅の敷地内にある井戸が壊れて長い間使えずにいるのを見つけた。そして、5キロ離れた水道ポンプまで毎回水を汲みにいくのは大変だろう、と井戸を修理してあげたそうだ。
しかし数週間後に再度友人の家を訪れると、その井戸はビニールシートで蓋がされていた。彼が「なんで修理した井戸を使ってないの?」と聞くと、「子供が落ちると危ないから。」と答えたという。それならばと彼は、簡易な柵を井戸の周りに作ってあげたらしい。
そしてそのまた数週間後、彼が友人の家を訪れると、またも井戸にはビニールシートが被され、使用している形跡がなかったそうだ。「なんで!?」と友人に尋ねると、「奥さんがこの井戸を使うとハッピーじゃないんだ。この井戸があると、5キロ先の水道ポンプに行く必要がなくなって、彼女が友達に会う機会がなくなるからね。」

水汲みはマラウィで、女性と子供の仕事だ。
20ℓの水が入ったバケツを頭の上に乗せ、5キロも続くあぜ道を毎日往復するのは、私からするとかなりの重労働のように思えてならない。だが、その水汲みが女性たちの交流の時間になっているとは考えもしなかったため、この話を聞いた時あっけにとられてしまった。

思い返すと、料理のための火をおこすために、毎日大量の木を伐採して長距離を往復するナミビア人を見て、「このストーブなら、大きな木を切らずに、地面に落ちてる小枝だけで火をおこすことができるよ!」と、仲良くなったナミビア人女性にロケットストーブの作り方を教え、私たちが作ったストーブをプレゼントしたとき、「これはすごいね。」と口では言いながら、とても微妙な反応をしていたことを思い出した。
どう考えても効率がいいし、楽に火がおこせるし、環境にもいい。
それでもストーブを使わない「何か」がその彼女にもあったのかもしれない。

マラウィの人の考え方と、私たちの考え方。
「こうしたらもっと良くなるはずなのに、なんで?」
と、頭をかしげることだらけの彼らの日々の生活。
しかし考えれば考えるほど、結局違うのは置かれている状況だけで、根本は彼らも私たちも似たようなものなのかな、といつも最終的に思い至るのだった。

ウィルソンのように、誰かに認めてもらいたい、特別でありたいと思う自己価値を求める意識は私たちの中にもあるし、また井戸の女性のように、こっちのほうがいいのだろうと分かっていても、今ある生活を簡単に変えることができないのは、私たちの社会でも同じことだ。

マラウィの人が、自然ひとつない大都会で忙しく働く私たちを見たら、もしかするとこう言うのかもしれない。
「そんなに働かず、ちょっとゆっくりしたらいいのに、なんで?」

きっと私たち日本人の日常も、マラウィの人からしたら理解できないことだらけなのだろうと思うと、なんだか可笑くなった。

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1件のコメント

[...] らの文化や考えを知れば知るほど 「なんで?」と頭を悩ますことばかりで、初めの数ヶ月は疲れ果ててしまっていた。 (その「なんで?」の内容のコラム : http://salitote.jp/trail/20151005-2.html) [...]

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Mayu Rowe
Mayu Rowe

ロウ 麻友 / 旅するデザイン・ライター。1986年生まれ、大阪出身。20歳でインテリアデザイナーとして社会に出た後、活動の場を広げるため渡英。そこで現在の夫と出会い、一歩踏み込んだ旅へと魅了されていく。彼と共にヒマラヤ登山、日本ヒッチハイク縦断などの旅を終えたのち、南アフリカへ移住。しかし2015年春、南アフリカ生活にピリオドを打ち、自転車でアフリカ大陸縦断の旅へ出る。

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