salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

WHERE IS THE PATH IN THIS TRAIL? 〜わき道へ一歩、逸れた世界〜

2015-02-5
道路脇のスーパーマン

今、私が住んでいる南アフリカ共和国は、公共交通機関があまり発達していないせいか、かなりの車社会だ。都会暮らしであっても一家に車1台か2台は普通で、市内の道路はいつも車でいっぱいだ。そうとなれば、駐車場もそこら中にあるかと思いきや、日本にあるコインパーキングのような駐車施設は1つも見当たらない。
その代わりに、道路の片側一車線に車を停められるようになっていて、空いていればほぼどこにでも路上駐車をすることができるのだ。
縦列駐車がとことん苦手な私にとっては辛いシステムなのだが、これは海外で珍しいことではなく、以前住んでいたロンドンでも同じ駐車方法で、時間単位で路上の自動発券機にお金を入れ、駐車料金を支払うシステムが主流となっていた。

南アフリカのケープタウンに引っ越してきた当初、この国の駐車システムもロンドンと同じ案配なのかなと思い、車を運転しながら自動券売機を探してみた。しかしそれらしき機械はどこにも見つからず、駐車を規制する看板もない。どうやらこの国の路上駐車は、基本的に無料のようだった。日本の高額な駐車料金に比べ、なんて良心的なシステムなんだと感動しながら市内をさらに走っていると、ある見慣れない光景があることに気が付いた。

ロンドン市内の道路脇に自動発券機が等間隔で設置されていたように、ケープタウン市内には黒人男性が道路脇に等間隔で立っていた。
彼らは皆、車のライトに反射する蛍光色の安全ベストを着ていて、ただ単にたむろしているような様子でもない。警備員さんか何かかなと思い、そのまま少し観察していると、車を駐車した人が去り際に、安全ベストを着た一人の男性にお金を手渡していた。

そこでやっと理解した。
この街では、自動券売機の代わりを人がやっているのだと。
それからさらに1週間ほど経って分かったことが、彼らは駐車を誘導したり、防犯のため車の見守り役も担っているということ。だけど、彼らに支払うべき金額は決まっておらず、むしろ彼らにお金を渡すかどうかはその人の自由なようだった。なので正確には、彼らは自動券売機の代わりの役目をしているわけではなかったのだ。

人々が1回の駐車につき彼らに渡すお金の相場は約50円、よくても100円程度。そして彼らが目視で管理できる車の数はせいぜい10台ほどなので、彼らの1日の収入がどれほどささやかなものなのかは容易く想像ができた。
しかし、誰も彼も好きなところで駐車管理をしていいかというとそうでもなく、誰がどこの区間を何時から何時まで管理するということが、きちんと決められているようだった。そのため、私の家の前の道路で駐車管理をしている人はいつも同じで、毎日顔を合わせるたび、自然と顔見知りになっていった。

私の自宅からよく行くスーパーマーケットまでの間には、3人の駐車管理の黒人男性がいつもいる。1人は、いつも節目がちで退屈そうにしている若い男性で、私が通り過ぎるときも目を合わせることすらないため、残念ながら今の所彼の声を聞いた事はない。
2人目は、真夏でも厚手のマフラーを巻いてる穏やかなおじさんで、毎日あいさつをするうちに、立ち止まって雑談をする仲になった。
彼はコンゴ共和国から出稼ぎでケープタウンに来ていて、日曜日は町外れのバーで歌を歌うシンガーだ。
「Hi, 調子はどう?」と私が軽く声を掛けると、
「最高にハッピーだよ!昨日俺の誕生日だったんだ!まるで生まれ変わったような気分だよ!」という明るい返答や、またある日は、
「今日は最悪だよ。昨日祖国にいるおじいさんが亡くなって、葬儀代を全額送金しないといけないんだ。もう大変だ。」といった個人的なことまで、通りすがりの私にいつも真っ直ぐと話してくれるので、私も彼に心を許していた。
こういったおじさんとの短い雑談タイムは、買い物へ行く途中の私のささやかな楽しみになっていた。

そして最後の1人は、私の自宅の真ん前で駐車管理をしている華奢な30代くらいの男性だ。その彼のことを、私と夫はひそかに「スッパマン」と呼んでいる。
その理由は単純で、彼は道端で私たちを見つけると、これでもかってくらいの満面の笑顔をニカッと浮かべ、両手でグーサインを作り、
「Super! Super! (彼の英語の訛りで、スッパ!スッパ!と聞こえる)」と、響く声で元気よく言うのだ。
‘Super’ には ‘超’ などの意味の他に、‘最高’ や‘すごい’のような意味もあるが、彼の言う ‘Super’の真意は分からない。だけど彼は、いくら暑さにへたれこんでいても、どんなに疲れた顔をしていても、私たちに気が付くと一瞬で100%の笑顔になり、「Super! Super! 」と言うのだった。

仕事の帰り道、いつもの定位置と逆の道路脇にいたスッパマンは、私に気付かず、公共のゴミ箱の中を漁っているところだった。
安定した仕事とは決して言えない駐車管理の仕事を毎日していて、スッパマンがこの街で私たちと同じような不自由のない暮らしをしているとは到底思えなかった。きっと日々食べていくことで精一杯であろう中、彼のその淀みない純粋な笑顔はどこから来るのだろうかと不思議でならなかった。彼がどんな環境で生まれ育って、今どんな生活をしているのか、私は何も知らない。もしかしたら過去にもっと厳しい時期があったのかもしれないし、今がまさに厳しい時期なのかもしれない。だけどもし、私が彼の状況だったとしたら、私は毎日道行く人々に元気な笑顔を向けられるのだろうか?
実際、スッパマンのようにとびきり元気な駐車管理の人を見掛けたことは、他に一度もなかった。

「Super! Super! 」と言うスッパマンの声はなかなかの大音量で、アパートの二階の部屋の中に居ても、外から聞こえてくる。そしてその声を聞くだけで彼の明るい笑顔と力強いグーサインは想像でき、やっぱりこちらも笑顔になるのだった。

毎度おなじみの「Super! Super! 」の声が外から聞こえてきたある晩、ふと窓の外を見てみると、彼は小包のようなものを大事そうに抱えていた。そして過ぎ去る車に向かって大きく手を振りながら「Thank you so much!!!!」と叫んでいた。
そしてまた数日後、何気なく外を眺めていると、白人のカップルとスッパマンが道端で立ち話をしていた。何だか話し込んでいるようで、スッパマンが「Thank you, Thank you…」と言っている声だけが聞こえてきた。そしてその女性は去り際に、何かが入ったビニール袋をスッパマンに手渡した。スッパマンはそれを受け取ると、また大事そうに抱えて立ち去っていった。
その小包とビニール袋の中身が何かは分からないが、大きさからして食べ物だろうと想像できた。白人が路上にいる黒人に何かモノを分け与えてる光景は、差別がまだ残るこの街でそうそう目にするものではない。
それでも、スッパマンが様々な人から声を掛けられ、頻繁にモノをもらったりしている理由は、とってもよく理解ができた。そして彼らがそうするのは、同情心からではないことも。
スッパマンの笑顔には、こちらが「ありがとう」と言いたくなる、素晴らしいパワーを秘めているのだ。

ケープタウンに住む人々の貧富の差は、私の想像以上に激しいものだった。
笑い声が溢れるおしゃれなレストランやバーの外には、必ずといっていいほど物乞いをしている人や、道脇に座り込んでいる人がいて、一度その情景を見てしまうと、どうしてもレストランで楽しく外食する気にはなれなかった。

路上にいる彼らと私たちの差は?彼らが今の状況から抜け出す方法は?
私にできることは・・?
すぐ近くにいながらも、私たちの生活とはほど遠い環境の中で生活をしている人々と接する度、私の頭の中は腑に落ちないことだらけでいっぱいになり、どうしようもなくなるのだった。

しかし、何度もループするそういった自問自答に対して、毎日顔を合わすスッパマンがヒントをくれた。
根深い問題を目の前にしたときこそ、難しく複雑に考えるよりまず先に、自分が笑顔でいなくては何も始まらない。自分が心から笑顔でいられる毎日に向かって、少しずつでも突き進むのみだ。
そんなシンプルな原点に、スッパマンの笑顔は私をぐっと引き戻してくれた。

こうしてる今も、彼の声は夜の街に響き渡っている。
耳をよく澄ますと、今晩は「Super! Super! 」ではなく、
「Super World!!」と言っていた。
彼がそう言うのなら、この世界はきっとスーパーワールドに違いない。

お金がなくたって、正義の味方じゃなくたって、スッパマンはたくさんの人にとってのスーパーマンなのだ。

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1件のコメント

ありがとう。笑顔で接する大切さを再確認。

by chikkun - 2015/02/05 5:25 PM

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Mayu Rowe
Mayu Rowe

ロウ 麻友 / 旅するデザイン・ライター。1986年生まれ、大阪出身。20歳でインテリアデザイナーとして社会に出た後、活動の場を広げるため渡英。そこで現在の夫と出会い、一歩踏み込んだ旅へと魅了されていく。彼と共にヒマラヤ登山、日本ヒッチハイク縦断などの旅を終えたのち、南アフリカへ移住。しかし2015年春、南アフリカ生活にピリオドを打ち、自転車でアフリカ大陸縦断の旅へ出る。

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