salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2018-08-5
「さりとて」デビュー、若林 佐江子さんの「ワンツージャンプ」7-25を読んで

へぇー、そうなんだ、東京って、そういうところなんだと、若林さんの文を読ませていただき、東京に生まれ63年住み続けている私は、認識を新たにしました。もちろん、これまでにも、東京生まれではない人にはいくらでも会っているし、東京に住み着いた理由も聞いていますが、若林さんの新鮮な感じ方が、顔の見えにくい東京人の一つの顔を、素直に見せてくだった気がして、なんだか愉快でした。

わたしは東京の辺境、西東京市という、いわゆるベッドタウンに住み続けていますので、東京といっても、いわゆる、渋谷、新宿、銀座という場所とは、かなり趣を異にしています。子供の頃は、あたりは麦畑ばかり、ウドの畑もたくさんありました。麦畑にはひばりの巣があって、いつも麦畑の上にはヒバリがピーピーいいながら飛んでいました。だから、近くにはひばりヶ丘という地名もあります。

ヒバリって、知っていますか。北海道にはいるのですか。ヒバリは麦畑の上でエサ探しをしているのでしょうか。ピーピー鳴きながらエサ探しをした後、麦畑の中の巣に戻りますが、そのとき、ヒバリが降りた場所に行っても、巣は見つかりません。ヒバリは巣よりかなり遠くに降りて、歩いて巣に戻るのです。ぼくの目をあざむくためです。

ぼくは多分、麦畑に降り立ったヒバリの後を、そっと抜き足差し足で追いかけ、巣を突き止めたことはあると思いますが、そこから卵やヒナをとることはしなかったはずです。でも、どういう経緯だったか、ヒバリの赤ちゃんを育てたことはありました。ニワトリのひよこより、かなり大きかった記憶があります。おしりも大きくて、ウンコも大きくて。残念なことに、巣立ちの日を迎えられたかどうかは、覚えていません。

東京といっても、そんな場所で育った私は、大学生になって都心に出るときの気持ちは、若林さんと、それほど違わなかったかもしれません。見るものいろいろ珍しく新しく、大学構内のエレベーターに乗ったとき、エレベーターガールがいないので、大変まごつきました。操作の仕方がわからなかったからです。一人で乗ってしまったときには、慌てて降り、人と一緒に乗るようにしました。

そして、就職するときも、一苦労でした。私は街遊びをする人間ではなかったので、学生時代も都心で過ごす経験は少なく、遊び慣れた友人に連れられて行く場所は、せいぜい新宿の高層ビル、住友三角ビルの「独逸邸」というパブぐらいでした。だから、初めて就職した場所が赤坂のTBSテレビの近くで、東宮御所の隣だったので、毎日すっかり上がりっぱなしでした。テレビ局、サントリー、東急エージェンシー、鹿島建設、赤坂東急、そして、ちょっと行けば永田町。麦畑でヒバリを追いかけていた少年には、ちょっと難しい場所でした。

で、三ヶ月ほどで会社を辞めてしまった私は、それからというもの、万年失業者で、いまだに常に職を求める毎日です。貯金も年金もなくて、少し困っています。年金は払っていなかったので、受給資格がないのです。若い友達のこうたくんには、その昔、何回かコーヒーや飲み代をおごったことがあるので、いよいよ貧窮したら、お金を借りに行こうと密かに計画しているのですが、彼もなかなかの貧乏なので、あまりアテになりません。

ぼくも若い頃には、「東京」に希望を抱いていました。いろいろな分野のいろいろな立場のいろいろな才能の、カッコつけた人たちに会いました。憧れたときもあります。というか、随分長い間、憧れ続けてきました。けれど、最近になって、本当にカッコいい人というのは、なかなかいないもんだと気がつきました。

若林さんは、こんな言葉をご存じですか。
「スカしてるんじゃねぇーよ」
東京の辺境で少年時代を過ごしたぼくが、一番恐れていた言葉です。私の街にには不良がたくさんいまして、毎年中学の卒業式は、鮮血で染められていました。まず、生徒会長、優等生、そして、不良を毎日のように殴ってしつけていた先生たち何人かが、血祭りに上げられるのです。グーで顔とお腹をなぐられ、顔を腫らし、口から血を流します。警察の介入はありません。クラスメイトには、兄さんが練馬鑑別所に入っているという人が二人いました。そのうち一人は、ケンさんのようにさらしを巻いて学校に着て、サラシにはドスをさしてきて、昼休みにそのドスをカーテンにブッさし、重みだけでカーテンが切れると、切れ味を自慢していました。

僕は同学年の不良には、慕われるタイプだったので、怖くありませんでしたが、上級生は恐ろしく、できるだけ刺激しないようにしたものです。そして街で出会ったとき、「スカしてんじゃねぇーよ」と、言いがかりをつけられないようにしていたのです。

「スカす」という言葉の語源は、調べたことはありませんが、カッコつけるな、という意味です。そしてそのカッコとは、これ見よがしに、見てくれや知識や権威をひけらかすことです。不良たちの暴力性は、どうかと思いますが、その感受性は、なかなかだったと、今は評価できる気がします。

見てくれや知識をひけらかし、パワーでハラスメントされたから、不良たちは拳で対抗したのでした。その結果、札付きとなり、つまはじきとなり、結局は損をすることになるのですが、ぼくは今でも、そしてこれからも、不良たちのスピリッツを受け継いで行くつもりです。

どんな分野の人でも、偉そうな人を見ると、すぐに思います。「スカしてんじゃねぇーよ」。カッコつけてるカッコ悪い人を、みんなが笑うようになると、もう少し世の中は住みやすくなるのだろうと考えています。

イキでイナセな江戸、東京魂は、物欲優先の経済思想を抑制するためにも、お金集めが好きな人を羨望し尊敬する社会の病を治療するためにも、ずいぶん大事な感受性になるのだろうと信じています。

まあ、私ごときが何をほざいたところで、何が変わるわけではありません。
ただ、私はこれからも、いじけながら、「スカしてんじゃないよ」と、小声でつぶやき続けるつもりです。太宰曰く「千の嫌悪が一つの趣味を生む」。まだ、四百五十ぐらいしか嫌悪していないので、確かな趣味がイメージできるようになるためには、これからです。

唐突でふつつかですが、若林さんの文を拝見して、以上の感想を差し上げます。
唐突ついでに、絵は、夏の花火です。
花火は、カッコいいですね。

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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