salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2014-03-5
錯覚


錯覚を利用した道路標示  
太宰治が好きだった三鷹跨線橋付近で撮影 2014-3-3

 恋愛とは美しい誤解である。かつてこんなことをいって人気になった哲学者がいた。失恋した数知れぬ若者たちが、この言葉に傷心を癒された。へちゃむくれを美人と、悪質を美質と取り違えていたのだから惜しくはないと気づかせてくれる頼もしい啓示だった。そうはいっても未練は残ると完治せずに疼きだす傷口に、何度もこの名言の軟膏をすり込んだ記憶が私にもある。
 哲学者は人生相談もするともっと大事にされると思う。大学時代、一般教養の科目にハイデッカーの『時間』を訳した先生の哲学の授業があったので試しに取ってみた。常々時間というものに迷惑を感じていた私に対して、教授先生最初の授業で開口一番こうおっしゃった。「哲学は、君らの日常生活の悩みは受け付けない」。密かに受け付けてもらえるかもしれないと期待していた私は大いに失望した。
 
 失望といえば、あるとき私は自転車で県境のカレー屋を目指していた。噂によれば日本一のカレーだそうだ。美食の宝庫日本において一番ということは、世界で一番という言い方もできるはず。とはいえ、私の味覚は至極幼稚だ。銀座のナイルや神保町の有名な何とかというカレー店でご馳走になったときも、たいしておいしいとは感じなかった。それより母親がハウスのカレー粉で作った淡泊な(半世紀前はそんな印象だった)カレーのほうが、カレーらしくておいしかった。また、中学1年の遠足で埼玉県の宮沢湖畔に行って、男子は火を起こし飯ごうでご飯を炊き、女子はカレー作りを担当し、そのとき仕上がった思いきり水っぽい黄色いカレーのほうが、どれだけインパクトがあったことだろうか。そりゃ、ノスタルジーの味だろうといわれれば、いかにもその通りであると答えるしかないが、味覚とは何かといったときに、それを作った人の顔、それを一緒に食べた人の顔によって形成されるものではないだろうかと、口をとがらせて応酬したくなる気もするのである。

 そんな私が美食家気取りに日本一のカレーを目指すのは、珍しいことだった。いや、初めてだったかもしれない。だいたいグルメ情報に右往左往する人々を、私は軽蔑する。食という欲にあからさまに屈服する風潮は、情けなくはしたないと思う。私が高潔で自制心旺盛なはずはない。私はあらゆる欲望に負けやすいから、敗北感を少しでも軽減したくて自らを戒め、ついでにグルメや食いしん坊たちも罵倒するのである。
 また、噂の発信源が、提灯持ちのグルメレポーターでも、嫌なクセのある食道楽の評論家でもなく、しかも、金にあかせて全国の名店を歩き回るお金持ちのボンボン以上に、何十年もの間、全国をくまなく飛び回り続けてきた人だということも、私の日本一のカレー店探索の大きな動機となった。
 さらには、噂の主が私にとって幼い頃からカレーのカリスマだったということが、私に初めての行動を促した決定的な理由といえる。

 ある日の午前11時ころ、北へと進路を取り、愛車を駆った。前日のラジオでカレーのカリスマが絶賛したそのカレー店は、大泉学園駅から北の方角、確か埼玉県との県境、新座に近い関越の手前あたりだった。
 大泉学園の繁華街を抜け新座に近づくにしたがい、徐々に空地や畑が目立ち始める。道路沿いに食品スーパーやコンビニがあるけれど、カレー屋はおろかラーメン屋さえないだろうという雰囲気になっていった。
 もとよりそれほど執念を燃やしたわけではなく、散歩がてらに見つかれば面白いという程度の気持ちだった。諦めて帰ろうとしたとき、広い空地のひと所に数本の高い木立があり、その下に車が何台かとまっているのが見えた。11時半。早くもお腹がすいてきた私は思わずほほゆるませ、唾液がにじみ出てくるのを覚えた。自転車のペダルを強く踏み込んで速力を上げ、木立に近寄っていくと案の定レストランのようだった。さらに近づくと、目当てのカレー専門店であることが判明した。
 広い駐車場に、そこそこ大きな店。なるほどカレー店にしては大規模だ。繁栄の証だろうか。しかし、それにしては駐車場にとまっている車の数は、全体の半分も満たしてはいなかった。前日、あの有名な彼が、ラジオであれだけ美味しい、日本一といったのだから、さぞかし混んでいるだろう、もしあまり並ぶようだったら、ほとぼりが冷めてから別の日に行くことにしようという心づもりをしていた私は、やや拍子抜けした。ラジオの訴求力はテレビとは格段に違い、この程度なのかと思った。

 店内に入るとほぼ満席で活気を呈していた。ざわざわと客の話し声が響き、店員たちは忙しげに動き回る。12時より少し前なのに、これだけの混みようということは、やはりほどなく想像通りの混雑が訪れるのだろうと思われた。
 席に座って少し間があり、中年のエプロン姿のおばさんが注文を取りに来た。愛想に乏しい雑な接客姿勢で、馴染み客を相手にすることが多いからだろうと感じられた。場所柄もあり、気取らない、知る人ぞ知る名店に違いないと解釈した。
 注文は、その店の一番オーソドックスなものにした。バリエーションではなく、この店の味のベースをまずおさえようと、まるでいっぱしのグルメのように研究心をたぎらせた。
 待つ間も当然カレーの匂いが鼻孔をくすぐり、食欲を増進させた。すでに食事中の周囲の客の食べっぷりは、なかなか活発で、味の優秀さがうかがえる気がした。
 さてさて、早く来ないかなと、私の胃の腑は無邪気に勢いづき、私は食べる前から、顔がだらしなく緩んでいることを自覚した。店内には、相変わらずカレーの匂いが漂い、それとともに、おや、なんだか嫌な臭いも感じた。清潔感を欠いた食べ物屋独特の酸化の進んだ油の臭いというか、それにタバコのヤニの臭いがミックスされた異臭というか、そういう不審な臭いもあったのだけれど、そんなものは、その時の私のまっすぐな力強い食欲にとっては、何の差しさわりにもならなかった。

 いよいよカレーが来た。明るい黄色のカレーではない。暗いカレー色をしている。さっそく食べた。ひと匙め。うまい、気がした。ふた匙め。うまい、にちがいないと思った。み匙め。まずい、はずがない。よ匙め。どこがうまいのだろう。ご匙め。えっ? 私は店内の異臭の元凶を、口の中に放り込んでいる気さえしてくるのだった。
 カレーは作って一晩寝かせると、味に深みが増しおいしい。けれど、残ったカレーをさらにもう一日持ち越して、何度も煮詰め直すと、やがて野菜やジャガイモが崩れ、新鮮さをなくした具材たちが、嫌な臭いと味を発揮してくる。そんな感じが否めないのが、この店のカレーだった。
 幼稚な味覚の持ち主である私の貧しい感想にすぎないので、このカレーを美味しそうに食べておられる店内の皆さん、そしてあの噂の主の味覚に対して、何の異議を唱える気もさらさらないのであるが、私の極めて個人的な感想を包み隠さず申し述べれば、次の一語に尽きるといわざるを得ない。まずい。さらに付け加えるならば、二度と来るものか。
 しかし、私はそのカレーを完食した。料理人へのいたわりではない。貴重な教訓を胃の腑に記憶させるためだった。

 私は帰路、値段の割に量が多かったそのカレーがのど元まで満タンになり、不快な後味が消えないまま、ペダルをいつもよりかなり強く踏み込み続けた。消化速度を少しでも早めるためだ。そして、西城秀樹にはしてやられたな、と苦笑いを禁じ得なかった。
 日本一のカレー店の噂の主は彼だった。西城秀樹は私にとって、YMCAでもローラでもなく、ハウスバーモントカレーなのである。「リンゴとハチミツとろりとけてる、ハウスバーモントカレー♪」は、私の母の作った淡泊だけれどおいしいカレーの主原料だった。その量感のあるかすれ声のCMソングを長く聞き続けてきた私にとって、西城秀樹はカレーのカリスマだった。
 そんなことなどあるはずがない。ベンツのコマーシャルをしているミュージシャンが、ベンツのカリスマか。井上陽水が日産の車に乗ってコマーシャルをしているとき、彼は免許さえなかった。コマーシャルの宣伝文句と、出演者の個人的な見解とは、まったく無関係であると、私は誰よりも知っていたはずなのに、母さんの思い出がからみつく西城秀樹を、勝手にカレーのカリスマに仕立て上げてしまったようだ。
 飲食店は、同じ店でも生き物のように、劇的に味が変化することが多い。調子に乗った店はすぐに味が落ちる。最近行った近所のスシローも、開店当時に比べると、半分以下の味になり下がった。
西城さんと私の訪問の時差は、確か1年余だったと思う。その間に味が落ちることは十分ある。とはいえ、そんな事情を差し引いてみたとしても、日本一という店ではあり得ないと私は感じたのだった。

 私の期待値の大きさは、西城秀樹、イコール、カレーのカリスマという先入観によって生じたようだ。その店のせいでも西城さんのせいでもなく、私個人の勝手な思い込み、錯覚が、私自身に過剰な期待を生じせしめたのだった。
 私はこのほろ苦い体験を、のど元にまだ残る不快感とともに自宅まで持ち返ると、家電がけたたましく鳴り続けていた。家人は留守のようだ。私は慌てて家に入り受話器を取り上げると、中年の男の声がした。
「ああ、俺だけど」
 ごくふつうの感じで、ちょっと気落ちした印象で、不機嫌もややまざっているような様子だった。そして、「俺だけど」というからには、私の知友の一人に違いないと推測した。その結果、気落ちして、不機嫌もまざっている「俺」を、もうこれ以上がっかりさせてはいけないという気持ちが、私の中で強く起こった。
 そんなわけで、相手へのいたわりの気持ちが原動力となり、私の脳内の低性能なコンピュータが、記憶ファイルを高速であたり始めた。そして無理やり一つの照合結果を引き出し、私は「俺」を勝手に特定したのだった。
「おお、ヤマちゃんか、どうしたんだい」
 
 私はオレオレ詐欺にかかる人は、よほどモウロクしている迂闊な方だろうと想像していた。ところが、私もなんなく引っかかった。相手は中年の息子を演じ、年老いた母親か父親をだまそうとしたらしく、「ヤマちゃんか、どうしたんだい」から始まる友達関係の筋書は用意していなかったようで、ほどなく向こうから電話を切ってしまったのだが、私がおかしいと気づいたのは、電話が切れてからだった。
 私は聞き覚えもない声を、無理やりヤマちゃんの声と一致させてしまった。そんな頓馬な苦心を力強く後押ししたのは、「もうこれ以上がっかりさせてはいけないという」善意だった。
 人はノスタルジーに足をとられるだけでなく、善意を発揮しようとして錯覚を見事に構築していく生き物のようである。

 と、結論づけたところで、背後から声が聞こえた。
「人は?」
 そうかもしれない。ノスタルジーのトラップにかかりやすく、偽善的な傾向が強いのは、一般的な人の性質ではなく、私の個性にすぎないのだろう。
 狭い了見を普遍的なものと錯覚して安心するのも、私の安っぽい得意技の一つだった。

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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