salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2014-07-25
ボンのしっぽ 自分のしっぽ


犬のボン 1959.5 中川凡 撮影

 いつのことか、自転車で黒目川に行く途中、西武池袋線ひばりヶ丘駅の近くの住宅街にさしかかったとき、こんなことがあった。
 七十ぐらいのおばあさんが、四つ角で自転車に乗った八十ぐらいのおじいさんに出会い、反射的に親しげに声をかけた、「あれっ、元気?」。するとおじいさんは自転車を止め、すぐさま頭を縦に振り、「おおっ、元気、元気」。
 顔なじみのありふれた挨拶かと思いきや、その返事の後おばあさんが間髪を入れず、予想外の言葉を強い口調で返した、「誰っ?」。
 おじいさんが不審そうな顔つきで、首を傾げながらペダルを踏み、その場を離れたのはいうまでもないが、おばあさんはおじいさん以上に怪訝な表情をたたえ、刺すようなまなざしをおじいさんの後ろ姿に向け、心の中に被害者を確立したようだった。

 この事件の真相は謎だ。果たして、勘違いしたおばあさんの開き直りなのか。勘違いではなく正解なのに、「おおっ、元気、元気」と聞いた次の瞬間痴呆が現れ、おばあさんは相手のおじいさんの記憶とともに、自分自身さえも見失ってしまったのか。はたまた本当の夫婦で、おじいさんはおばあさんのそんな状況をおおらかに受け止めていたのか。もしくは、夫婦二人とも痴呆が進み、互いをどこかで見たことのあるような赤の他人として位置づけたのか。その詳細についてはもはや知る由もないが、私自身歳を取るにつれていろいろなことを忘れやすくなり、忘れたことも忘れ、とどの詰まり、自分さえも忘れてしまうことになりかねないという感じが少しずつわかってきて、楽しいような悲しいような気がする今日この頃である。

 ところで、「自分さえも忘れる」というときの「自分」とは何なのか。これは子供の頃から解決を望んで果たし得ない懸案の一つである。人類を代表する英知が寄ってたかって考えても答えが出ない問題だから、私ごときに手におえる問ではない。無論自分を物質の組成によって定義することはできる。また、運動機能面から説明することもできるだろう。しかし、ここでいう自分とは、まぎれもなく自分特有の精神であり、自我である。通信簿の生活行動の記録欄の協調性に、常にCをつけられていた私だが、協調性とか自主性とか、そうした大づかみな精神の傾向や在り様ではなく、もっと詳しく私の精神の形を知ってみたいと願うのである。クレペリン検査や心理学の力を借りると、かなりはっきりと性格判断ができ、職務適正がわかり、自分の正体を突き止める一つの方法として知られているが、それは私をうまく使おうとする人たちの役に立つだけで、私の探究心を満たすものではない。血液型のよる性格判断といった根拠のない迷信よりははるかに好感が持てるのだが。

 昔私の家にボンという名の犬が居た。柴犬の雑種で、頭が悪かった。退屈すると、よく自分のしっぽを追いかけていた。楽しそうだった。けれど、クルクル回る回転速度を上げれば上げるほど、しっぽも速く逃げていった。ボンは結局自分のしっぽにかみつくことはできなかった。
 私は代わってボンの宿願を果たそうと思う。自分のしっぽぐらいはつかまえてみたいものである。

 今日は昼前に自転車で隣駅に出かけた。久しぶりに訪れる兄のために、最近オープンした空揚げ屋で、おいしい空揚げでも買って食べてもらおうと思ったからだ。兄はクリアファイルを山ほど持ってきてくれることになっていた。ある協会の事務局を退任し、もう事務用品は要らない境遇になった。しかし、あいにく空揚げ屋は開店前で、仕方なくLIVINの地下で空揚げのパック287円と一口カツのパック283円を買って戻ることにした。帰り道、西武新宿線のガード下で、三十代後半だろうか、ママチャリに乗った青いTシャツと紺のジーンズ姿の、どう見てもママだろう、目がパッチリとした不美人ではない女性に呼び止められた。
「すみません」
 彼女は住宅地図の看板の前で、自転車を止めて見ていたから、用事の趣はすぐに想像できた。兄はすでに到着したとの電話が入っていたから、できるだけ早く帰りたいとは思ったが、そう手間取る仕事でもないだろうと、快く応じることにした。
 あえて、快く、と決意したのは、相手の気忙しい様子が伝わってきたためだ。気忙しい人はときとして、周囲の人まで巻き込んで気忙しさにつきあわせ、それを恥じないことがある。私は見ず知らずの人にはそれほど親切ではなく、ましてや礼を失した人には、できるだけ冷淡に振舞おうとする性質だ。
 快く応じようとは頑張ってはみたのだけれど、そんな内心をかかえていたから、正直な私は、「すみません」に対する「はい」という短い返事が、いささか明るさを欠いたものになってしまい、返事の後で少し申し訳ないと感じた。
 しかし、彼女の質問の仕方は、私の反省を打ち消してくれた。
「市役所は、どっち?」
 私は凍りついた。彼女は私の知り合いではない。言葉づかいがまだ不十分なトツクニの方でもない。無礼を許されるままに今日まで生きて来た人なのか、あるいは、老いぼれを幼児扱いしたつもりなのか、その内心は測りがたかったけれど、ともかく私はそのとき侮辱された思いがし、亡父の病院での振る舞いを、より深く理解することができた。

 年老いて病をかかえた父を治療、看護した医師や看護師たちの中の少なからぬ人々は、老若男女の別なく、父を子供扱いした。
「はい、おじいちゃん、腕をまくってー、血を採るからね。ちょっと痛いよー」といいながら、採血を始める女の看護師。
「なんだよ、これじゃー、エコー撮れないじゃねぇか。だから、おしっこしてきちゃ、ダメだっていっただろー、チッ!」と、怒り出す老練な医者。
 父から見れば看護師は孫ほど、医師は子供ほどの年嵩にすぎない。年長者に対する態度として許せなかった。人間としてダメだと思った。私がこうした人々の口をつまんでひねってやれば罪になる。けれど、こういう人たちのこうした言動は罪にはならない。おかしな話だ。
 自分たちの大先輩に、医師や看護師たちは、どうしてああした言葉づかいができるのだろうか。
 父は、無礼な医師や看護師たちの言葉にはできるだけ返事をせずに、自らの尊厳を守り通した。いよいよ腹に据えかねたとき父は、平手で医師や看護師をひっぱたいて応酬した。手を焼いた病院は、父に拘束服を着せた。
 病院から呼び出しを食った私が、父親に自重するよう頼むと、父親は小声でこういった。
「警察に通報してくれ。この病院は、俺を殺そうとしている。ほら、あの医者だ。俺に拘束服を着せて、毒を注射しようとしたのは」
 父にはもともと物事を大げさにいう癖がある。拘束服は事実でも、毒とか医者の殺意とかは妄想に違いない。しかし比喩としての毒や殺意は、確かに存在したのだと思われる。

 あの「星の王子さま」のサン・テグジュペリが、こんなことを書いている。
「ひとりの人間の年齢というものは、感動を誘う。それは彼の全生涯を要約している。その人間のものにほかならぬ成熟は、実にゆっくりと育てあげられてきたのだ。多くの障害を克服し、多くの重い病から癒え、多くの苦悩を鎮め、多くの絶望を乗り越え、たいていは意識されなかったが、多くの危険を踏み越えて育てあげられてきたのだ。多くの欲望、多くの希望、多くの悔恨、多くの忘却、多くの愛を経て育てあげられてきたのだ。一人の人間の年齢というものは、経験と追憶とのすばらしい積荷を現わしている。」

 話がそれた。
「市役所は、どっち?」の無礼な言い方に対して、私はつい語気を強めて、「ア゛ア゛ッ?」と言ってしまった。
 すると彼女はようやくこちらの不快感に気がついたのか、「市役所は、こっちですか」と聞き直したが、依然ぶっきらぼうな調子で、敬意は微塵も感じられなかった。私は呆れて怒気を消し、憐みの思いを濃くしたけれど、ていねいに教える気持ちはとうにそがれていた。ぞんざいに指さして、「こっちの方向」とだけ答えた。二百メートルほど「こっち」に行けば、大きな市役所の建物が見える場所だったので、そう迷うこともなかろうと思った。
 これでお役御免と立ち去ろうとすると、また彼女が口を開いて質問した。
「どの道?」
 消えたはずの不快感が瞬時に戻った。私はもはや返事をする気が失せ、黙って彼女を見つめた。沈黙の間にたえきれず、彼女が自ら言葉を継いだ。
「線路に沿ったあの道を行けばいいの?」
 いや、違う。その一本手前の細い道を行かないと駅の北側に出てしまい、市役所の方面には行くものの、市役所には永遠に到着できない。
 私は彼女の質問に「うん」と答え、生まれて初めて意識して人に嘘の道を教えた。彼女は、線路沿いの道を走り始めた。
 ざまあみろ、因果応報と思うとともに、彼女自身や家族にかかわる大切な届出が遅れてしまわないように願うのだった。
 私はこうして後味の悪い懲らしめに成功した。
 
 これも自分のしっぽの感触だろうか。そうだとも、そうでないとも思える。

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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