salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2014-01-6
草野球


千駄山広場 2013-9-2撮影

 とくに行くあてもなく自転車を流していると、時々草野球に出くわし、しばらく足を止めて観戦することがある。週末には小学校の校庭で子供たちの試合に心なごませ、ウィークデーなら市営グラウンドでおじさんたちのへっぽこ野球に相好を崩す。
 12月も押し詰まった昨日も、近隣の小金井公園のグラウンドで、草野球に遭遇した。最初は、ああまたやってるな、この寒風の中、元気で結構なことだと思う程度で通り過ぎようとしたら、はしゃぐような、驚くような、甲高い声が聞こえたので、少し離れたグラウンドの方にそれとなく目をやった。すると、使い古した不揃いなユニフォーム姿の若者たちが黒い土のグラウンドに散らばり、ピッチャーがマウンドに立って投球練習をしていた。甲高い声はその投球に対する、一人の男のリアクションだった。
「速えーな! なんだこれ。135は出てるぞ。スピード違反だよ」
 浮ついた、少しイヤな感じのするしゃべり方で、気の利いたウイットも誠実さもなく、私の好きな種類の人間ではなさそうに思えた。そもそも草野球で、軟式ボールを135キロで投げるピッチャーなどいるはずがない。軟球は軽くて空気抵抗が大きから、120キロの速度を出すのがせいぜいだといわれている。135なんて、適当なことをいうもんじゃないと、私はちょっとそのピッチャーの投球を自分の目で確かめ、その男のいい加減さを証拠立ててみたい気がした。
 自転車を止めた道路からバックネットまでは、少し距離があった。しかし、遠目でも十分スピードを確認できるだろうと、1、2球に目を凝らした。速かった。ジャージ姿の大柄で肥満体のキャッチャーは、いちいちミットをはじかれ、ボールを横や後ろに逸らし、まったく捕球がかなわなかった。それでも草野球で120を出すピッチャーなど、そんじょそこらにいるものではなく、ましてや不揃いなユニフォームを着た寄せ集めのチームの中にいるはずかないと、私は自分の常識を確認するために、道路を離れてバックネット裏へと近づいて行った。
 
 相変わらず甲高い声の男が、スゲー、スゲーと下品に囃し立てている。そのうちマスクとレガースを付けた本物のキャッチャーが登場し、お役御免となったジャージ姿の大柄なキャッチャーは、レフトの守備位置についた。
 バックネット裏の金網越しに見ていると、本職のキャッチャーが来たためか、ピッチャーの投球練習はさらに力が入り、いよいよスピードが増してきたようだった。
 確かに120は出ていた。いや、135とはいわないまでも、130キロ近くあるようにも感じられた。
 最近以前にも増して目がかすんできた私だから、気のせいかもしれないと思い、130キロ内外で投げられる体力とフォームが備わっているのか、そうした面からも仔細にチェックすることにした。
 私は自転車を乗り回しているばかりではなく、構想1年、制作1年余、足掛け3年もかけて『150キロのボールを投げる!』という野球のピッチャーの投球術の本をプロデュースしたことがあり、プロ、アマの専門家を取材し、じっくり勉強したから、普通の人よりは投球の方法やそのトレーニング法について詳しい。
 大柄な体格ではなかったが、そのピッチャーの足腰の筋肉はたくましく発達しているように見えた。土台の性能はいかにも高そうだ。そして、フォーム上の最も重要なポイントといえる、踏み出し足のヒザの割れもなかった。130キロの速球を投げる体力と技術は、十分備わっているように思われた。
 そこでもう一度その球筋をしっかり見ると、なるほど球がホップするような伸びがあった。しかも彼はサイドハンドスローである。リリースポイントが低いから、バッターから見ると、球が浮かび上がって来るように感じられ、非常に合わせにくい球筋だ。
 私はこれほどのピッチャーの球を、こんな所で偶然見られるとは、大きな得をしたような気になった。そして、サイドハンドローという点も、私がピッチャーに好意を寄せる理由の一つとなった。
 肩関節の可動域の問題で、先天的にサイドスローが投げやすい人も、中にはいる。しかし、大方の人は斜め上のスリークォーターから投げるのが自然で、ピッチャーを目指す者は、基本的に上から投げたがる。いかにもダイナミックで、理想的な剛腕投手のイメージもそこにある。だから好き好んでサイドスロー、アンダースローなど、横や下から投げるピッチャーは非常に少なく、高校野球ではだいたいチーム事情により、無理矢理サイドスローにさせられてしまうケースが多いようだ。上から投げる主戦投手が一人いれば、あともう一人の二番手投手は、球の出所の違うサイドスローを用意して目先を変え、敵の打者を翻弄するという戦法だ。このときサイドスローに転向させられる投手は、涙をのむ。屈辱的とさえ思うこともあるだろう。そして、落胆の底から這いあがり、それをバネに人一倍奮起して、サイドスローでありながら、上から投げる主戦投手よりも速い球を投げるべく努力する。そんな高校野球のサイドスローのピッチャーを、私は実際に知っている。小金井公園のグラウンドにいた彼も、きっと同様な辛酸をなめた一人で、その球の速さから推測すると、高校野球の都道府県予選のベストエイト以内に名を連ねる強豪校にいた可能性が高いように感じられた。

 夢をつかみ損ねた誇り高き彼が、小うるさい軽薄な男を黙らせ、グーの音も出ないほどに圧倒し、実力差を見せつけてやるのがいいと私は願った。しかし、そう願う理由は、過去に挫折を味わったであろう彼への同情と小うるさい嫌味な男への嫌悪だけではなかった気がする。私は彼の投球を利用して、私個人の夢を奪った何かへのお門違いの復讐を目論み、せこい爽快感を得ようとしていたのだった。
 多くの野球少年がそうであるように、私もピッチャーとして甲子園のマウンドを目指し、プロ野球を夢見、そこにたどり着くために日々努力重ねた。そして、その夢を諦めなければならない日が来て、止めどなく涙が流れたのを覚えている。たとえ私のレベルが低くても、その挫折感の本質は、おそらく目前の彼が味わっただろうそれと、それほど変わることがないだろうと思えた。
 見知らぬ彼よ、いや自分と重なる君よ、下賤な下々に高貴な投球の真価を知らしめよ。と、私は心でつぶやいた。そして、ニヤニヤしながら独りネット越しに、夕刻間近の真冬の野球場で幕を開けた小さな物語の成り行きを見つめていた。

 いよいよ練習試合が始まった。
 一番バッターは、きゃしゃな青年だった。目深にかぶった野球帽の脇から長い茶髪がはみ出している。私は日本人の茶髪が未だに好きになれない。一球目、かなり高めのボール球だった。球がベースを通り過ぎてから、空しくバットが振られた。例のうるさい男が、「ウォー」とかなんとかいって騒いでいる。しかし、バッターも他の者たちは誰ひとりとして声もなく、その速球の速さに唖然とするばかりだった。
 二球目は、ど真ん中の速球だった。バッターは辛うじてチップした。ボールにバットがかすっただけで、どよめきが起こった。
 普通この手の若者たちの草野球には、マネージャーや応援に若い同世代の女の子がいて、下手でも上手でも、それなりに華やいだ雰囲気に包まれ、ゲームを楽しむという空気が感じられるものだ。ところが、このグループに女子は一人もおらず、しかも破格な威力を持つボールのせいで、緊張すべき理由など一つも見当たらない草野球の紅白戦でありながら、一球ごとに、この場にふさわしからぬ真剣味が加わっていくようにも感じられた。
 三球目。チップに気をよくしたバッターの構えが変わった。構えの段階から右肩に力が入り、打ち気が見える。サイドスローから放たれた速球は、斜め横から観戦していた私には、ホップするように見えた。その球はチップされた球速よりさらに速い。案の定、球はホームベースに到達したときにはかなり高めのボールとなった。しかし打ち気満々の打者は強振した。球の軌道とスイングの軌道は、二十センチも離れていた。
 例のうるさい大将が、さらに興奮しながら、「スゲー、スゲー、打てねぇーよ、こんなの。なんだよー。やっぱりパトカー呼んで来いよ」と、相変わらず腹立たしいほど低級な野次を飛ばし続ける。
 私は、まあ予想通りだと思った。ピッチャーの投球は、重力を受けて落下する。しかし、速度が速いと落下の幅が小さくなる。バッターにとって既知の速度の投球は、その落差を予測してスイング軌道を決め、ホームベース上で球にバットをアジャストすることができる。ところが未知の速さの球は、落差を予測することができないので、バッターは経験済みの落差の範囲内で、スイング軌道を決める。すると、未知の速度のボールは打者の見積もりよりはるか上を通過し、無様な三振となるのである。

 二番バッターは、やや小柄な狡猾そうな目をした若者だった。やはり線が細く非力に見える。しかし、彼は前の打者の三振から多くを学んだ。とても打つことのできる代物ではないと。そこで作戦を立てた。球は速いが比較的制球の定まらない投球だったから、スイングせずにじっくり見ることにした。フォアボール狙いだ。ストライクゾーンは、体が小さいほど小さくなる。高めに浮きがちな投球はストライクになりにくく、二番バッターはすべての球を見逃して、結局スリー・ツーのフルカウントからフォアボールを選んだ。
 攻撃側にとってはフォアボールさえ思いもよらぬ大きな勲章だった。連続三振をいくつ重ねられるかを期待していた私にとっても意外で、ややがっかりしたが、ハイアマチュアが素人相手に完全試合を達成するのは、あまりに大人げない。フォアボールを一つぐらいは、草野球仲間に対する必要な配慮かもしれないと思った。
 そして、三番バッターの登場となった。身長は高く腰回りの大きなしっかりした体つきをしている。打席に入る前の素振りに十分な勢いがあり、スイング軌道もダウンスイングを意識したものだった。少しは心得があるように見えた。一球目、やはり高めの速球。彼は一球目から強振した。球速に負けないタイミングとスイング速度でボールをとらえ、チップした。「おいおい、当たるぞ、当たるぞ」と例の声がする。
 二球目。今度は初めて内角をえぐるボールが来た。バッターはその球威に驚き、体をのけぞらす。しかし、ストライク。ピッチャーは少しは手ごわさを感じたのかもしれない。単に速球で押すだけでなく、コースのゆさぶりをかけてきた。さらに三球目が来た。外角高めの速球。二球目で腰が引けたバッターのバットは、力なく空を切り三振を喫した。誰ももう声を発する者はいなかった。圧倒的な力の差により、グラウンド全体が攻撃側の絶望感によって支配された。守備側もこのピッチャーをチームに招き入れたのは初めてのことのようで、いくつもの呆れ顔が黒い土のグラウンドの上に並んでいた。
 私の顔のほころびが増したのはいうまでもない。もはやピッチャーの彼は彼ではなく、私そのものといってもよかった。

 ツーアウトになった。次は四番打者。素振りを始めたのは例のうるさい男だった。その素振りは比較的軸のしっかりした強いもので、四番打者でもあるし、騒ぐだけのことはあるのかもしれないと、少しだけ思った。
 しかし、年末の雑事がまだ残っていて、あまり長居はできなかった私にとっては、これでちょうどよい締めくくりになるだろうと、短いドラマの終幕を予感した。あの剛腕江川卓が全盛期のとき、オールスターで見せた空前絶後の8連続三振を彷彿とさせる投球を期待した。最盛期の江川の速球はホップし、顔のあたりの高さを通るとんでもないボール球を、パリーグの強打者たちは、まるで素人のダイコン切りのようなスイングで空振りを重ねるだけだった。
 一球目、真ん中高めの速球が来た。彼はためらわずフルスイングした。すると意外にもチップし、ボールが真後ろに飛んで行った。まさかとは思ったけれど、タイミングは合っているようだ。しかも、なんとピッチャーがキャッチャーに歩み寄ってきて、何やら真剣に相談し始めた。バッターがそれを見て、「おいおい、打ち合わせかよ。何話しているだい」といいながら、ピッチャーとキャッチャーに近づいて行った。そして、「変化球投げていいかって言ってるぞ。勘弁してくれよ、あの速球に変化球まぜられたら、打てっこないよー」。相変わらずよくしゃべる男だと思った。しかし、私はそのとき、ピッチャーが相談する意味がよくわからなかった。なぜなら、チップは偶然で、変化球を混ぜる必要のある相手ではないと信じていたからだ。
 二球目、今度はやや外角にそれる直球が来て、男はへっぴり腰の手先だけのスイングで、力なく空振りした。たぶん速球は捨てて変化球のタイミングで待っていたら速球が来たのだろう。まあ、そんな程度だろうと、私は次の球で三球三振を想像した。
 そしてついに三球目が投じられた。

 一塁ランナーがホームインした後、息苦しそうにようやく三塁に到達したそのうるさい男は、ピッチャーを見ながら半分勝ち誇り、半分憐れんで言った。
「バッティングセンターに通ってて、よかった。でもバッティングセンターの130より速えーよ」
 攻撃側も守備側も、グラウンドのすべての選手たちは、打たれた当のピッチャーも含めて一様に大きな驚きを隠さなかった。私はピッチャーが負った心の傷が気になった。
 投じられた三球目はインサイド高めの速球だった。その日の最速だったかもしれない。しかしバッターは、うまく腕をたたんで腰の回転を速めることでスイングを加速させ、見事に速球をとらえ、レフト線ギリギリにライナー性の大飛球をカッ飛ばしたのだった。
 ピッチャーが二球目を投げる前にキャッチャーに相談したのは、この男のスイングを見て、速球だけでは合わせられそうな予感がしたからだった。この予想外の事態の後に、私はようやくそれを理解した。それなのにピッチャーが速球を投げたのは、やはり変化球で逃げたくはないという速球投手持前の強気な心理が働いたからだろうか。
 いずれにしても、やかましい男の見事な勝利だった。

 私はもうそれ以上試合を見る必要を感じなかった。バックネット裏を離れて、仕事場へと帰路を急ぐことにした。
 公園内の林間を埋め尽くす乾いた落ち葉を自転車で踏みしめて走ると、バリバリと音がした。私の迂闊な予断が崩れ去る音だ。そして私の胸中は、新鮮な反省で満たされ始めた。
 私はピッチャーが抱えてきたと思われる心の歴史ばかりに気が奪われていたようだ。やかましい男の方が、ピッチャーよりもっと大きな透明な屈辱を忘れずにいたのかもしれない。私は申し訳ない気になり、自転車を漕ぎながら恐縮して背中を丸め、その後ろ姿を三塁ベース上の彼に、謝罪の印として差し向けることにした。

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1件のコメント

全国何十万人いるのでしょうか、草野球人。
草野球にはそれぞれの人生が重なっているのですね。
プロで成功する一握りの選手の皆さん、
ヤンキーズに破格の契約金でいく田中選手。
やっぱり凄いんだ!!

by うらちゃん - 2014/01/28 5:28 PM

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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