salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2014-02-5
偶然と必然


庚申橋駐輪場 2014-1-25撮影

 去年の年末、最後に会った家族以外の人はKくんだった。そして、年頭最初に顔を合わせたのもKくんである。はからずも私の狭い交友関係を実証することになり、いささか不本意な気もするが、それはともかく、Kくんに誘われて年頭一緒に訪れた先は、散歩写真の名匠Tさんの個展だった。Kくんとは会場となった中野のギャラリーで落ち合うことにした。彼は電車で新中野の駅から向かい、私は自転車を利用することにした。早稲田通りを東に上りJR中野駅を経て、案内状の簡単な地図を頼りに会場を探し当てるつもりで家を出た。
 天気は上々で、今年初の自転車散歩のためには絶好の日和だった。しかし私は15分ほど自転車を漕いでから、西武新宿線沿いの庚申橋(こうしんばし)駐輪場に自転車を入れ、武蔵関駅へと向かった。鼻孔の奥にわずかな痛みを感じ、ちょっと悪寒もしたから、用心のため電車で行くことにした。正月早々風邪をひいて熱を出すのは幸先がよくない。
 やや気が急いて、少し早足で駅へと歩き始めた。出がけに仕事のメールの返信にてこずり、予定よりかなり遅れ、自転車でも電車でも約束の時刻にギリギリというタイミングとなってしまった。寛容なKくんは少しぐらい遅れても意に介さないだろうが、久しぶりにお会いするTさんには失礼になる。Kくんが私の到着時刻をTさんに予告している可能性もあった。
 そんな私の横を、優しげな横顔の若い女性が小走りで追い越して行った。駐輪場に私の後から入って来て、私のすぐ近くに赤い自転車を置いた女性だ。彼女も出がけに思わぬ用事で時間を食ったのかもしれないと思った。

 電車に乗ってから考えた。高田馬場まで出てしまい、東西線で中野まで折り返すのが早いか、西武新宿線の新井薬師前駅から歩いて中野駅まで行くのが早いか。単純な足し算引き算につまずきながら得た答えは、新井薬師前からのコースだった。用心深い私はこう考えた。JR中野駅から十数分離れた住宅街にある、初めて行くギャラリーだから、案内状の地図には12分と書かれているが、迷ってその倍の時間がかかることを計算に入れておく必要がある。とすれば、高田馬場まで出て折り返すほうが、少々時間がかかってもリスクは低く安全だと。
 しかし、それはあまりに用心しすぎではあるまいかと、私の中の楽天家が、ニヤニヤしながら蒸し返してきた。なぜなら、新井薬師とJR中野の間は、何度も歩いている既知の道のりだったからだ。新井薬師前から15分も歩けばすぐに中野ブロードウェイの北の端に出るのである。ブロードウェイの中をくぐれば中野駅までは、残りはわずか300メートルほどだった。
 私の中の楽天家が蒸し返したのは、わざわざ高田馬場まで出て折り返すより手っ取り早いし、電車賃もかからないという理由だけでない。何よりも前日Kくんからもらっていた親切過剰なメールが気になっていた。案内状にはギャラリーまでの地図が印刷されているというのに、彼はわざわざ次のようなメールを送って来たのだった。
「明日はよろしくお願いします。ご一緒するのを楽しみにしています。迷うといけないので、詳しい地図を添付します」
 
 Kくんは時々小癪(こしゃく)である。しばしば、といってもいいかもしれない。その昔、私が今よりさらに十キロ近く体重が多いとき、何かの折に私が素早い動きを披露したら、Kくん笑いながら驚いてこう言った。「やっぱり、ただのデブじゃなかったんですね」と。私は生まれて初めてデブと言われたので心外この上なく、返す言葉をなくして苦笑いするのが精一杯だった。以来Kくんには油断しないよう努めてきたが、まさか中野のギャラリーへの行き方で攻めて来るとは予想だにしなかった。
 私を誰だと思っているのだろう。昨日今日の西武線乗りじゃない。半世紀以上、この線を行ったり来たりしている。新井薬師前と中野の間も何回も、いや百回近くは歩いているかもしれない。そして中野周辺だって、数限りなく歩き回っているのである。
 Kくんは人をおちょくるのが好きなわけではない。年長に対して礼儀正しく、ほどよい尊敬の姿勢を貫く。が、彼の心中にはもう一つ泉があり、そこからは、絶えずいたずらのチャンスをうかがう情熱がふつふつと湧き上がっている。彼はそれを抑えきれなくなって、言動にほのめかしてしまうことがしばしばある。
 私はまた攻撃を仕掛けて来たな、ちょこざいなと思いながらも、「ご親切にありがとう。私は実は方向音痴で自転車には方位磁石を標準装備しているので、道に迷うことはありません、ご安心ください」と丁重に返礼し、余裕を示すことでスマートな反撃を試みたつもりだった。

 武蔵関駅から各駅停車に乗り、20分足らずで新井薬師前駅に着いた。中野駅までの道の途中には、いくつかの甘い思い出、ほろ苦い記憶が、街のそこここに埋め込まれている。それらを眺めながら新春の晴天のもと、待つ人のいる場所への向かうは、なかなか味わい深いものがあった。
 しかし、あまり思い出に浸りすぎて、道を間違えるようなことがあってはいけない。中野駅までは既知の道のりであっても、それから先は未知だ。迷うことを計算に入れ、できるだけ余裕をもって中野駅に到着することが必要だった。
 私は几帳面でも誠実なわけでもない。むしろその逆だ。私は昔、調子に乗って人を待たせたことがよくあった。自分で仕事の打ち合わせを招集しておきながら、すでに遅刻の道すがら、心の中でこううそぶいて恥じなかった。「自分が行かなければ、何も始まらんのだから、慌てる必要はないか、アハハ」。おごり高ぶるにもほどがある。何様か。私の心に刺さって抜けないトゲの一つである。
 私は念のため1分でも早く中野駅に辿り着くべく、小さな冒険を試みた。既知の道のりを進めば中野ブロードウェイの裏手に出る。しかし、ブロードウェイの人混みをかき分けて中野駅に向かうのは時間のロスになる。それより裏道を選んで早めに大通りに出るほうが、歩道が広く速く歩けるから得策に思えた。
 そこで私はある角を曲がってしまった。そのときそこがまさか、迷路への入り口だったなどということは、気づくよしもなかった。
 私は迷いに迷った。方向感覚は90度ずれ、南に向かうべきが真西に向かってひたすら歩いていた。東京の街は大方東西、南北に道が流れ、大間違いは起こりにくい。なのにどうしてか。自分が大きな間違いをしでかしたとようやく気づいたとき、空間が捻じ曲げられているような錯覚さえ覚えた。
 私が生まれてからの道のりもまた、幾度ものこうした偶然の思いつきにより、思わぬ方向へと引き寄せられ続けてきたのかもしれないと思った。南に進んでいると信じたのに西に、あるいは真逆の北に進んでしまったこともあったのだろう。おかしいやら、なさけないやら、妙なところで自分の一か八かの無計画とその結果与えられた手痛い褒美について、考えさせられるはめとなった。
 
 結局ギャラリーには、15分ほど遅刻して到着した。先着したK君はニヤニヤしながら私を待ち受け、Tさんは業界関係者らしき方と、それほど広くはないギャラリーの隅に置かれたテーブルを囲み歓談中だった。
 私は久々にお会いするTさんと目を合わせ、お話の邪魔にならないように軽く会釈をしてから、展示会場を一巡りすることにした。
 1970年代から90年代にかけての東京の散歩写真だった。東京各所で開発の槌音が響く中、失われていく時代の地平が見えてくる作品群である。いろいろな街をさまよい、いろいろな人々に会い、これまでいくつの、いく百の、いく千の偶然をカメラにおさめてこられたのだろうと想像した。そして、そこで垣間見た偶発のドラマ。命令を受けて歩いた必然の場所、そして、ポーズを願った必然の写真は、ひとつとしてないはずだった。
 ギャラリー中央の低いテーブルには、Tさんの散歩写真がまとめられた写真集も置かれていた。一通り展示を見た私はソファーに腰かけて、写真集をめくった。もう三、四十年前の神田の街中を撮った写真の中の一枚に目がとまった。古いしもたやの格子の玄関戸が狭く開いたその隙間から、初老の夫婦のなごやかな顔が、上下に二つ並んでいる。外をのぞいただけなのか、これから出かけようとしたのか、それは定かではないが、構図もその笑顔も新鮮で楽しい。
 歓談を終えた後のTさんに、長い無沙汰の詫びを短くしてから、この写真についてうかがった。
「こういう写真は、どうしたら撮れるのですか」
 私は答えにくい質問を不用意にしてしまったことを後悔した。一瞬のシャッターチャンスであろうこうした瞬間に、まずカメラを構え、構図や露出を決めてシャッターを押すということなれば、カメラに警戒して夫婦の晴れやかな表情は曇り、場合よっては玄関戸をぴしゃりと閉めてしまいかねない。
 Tさんは穏やかに笑いながら、少し困った顔をしてから、「まあ、偶然ですよ」と答えるだけだった。

 ギャラリーの帰り道、中野ブロードウェイの東側に続く飲み屋街で、Kくんと一杯やった。私は悔しさを隠さないで道に迷ったことを白状すると、Kくんは満足そうに言った。
「ぼくも実は以前西武線に住んでいた頃には、新井薬師から中野までよく歩いたんですよ。そうすると必ずといっていいほど、道に迷うんです。知らず知らずのうちに、西へ西と引っ張られていくんです」
「そうか、やっぱりそうなのか」
 と、私は答えながら、Kくんの善意の忠告を素直に感謝しなかった自分を反省した。Kくんは自分だけの固有な体験かと思い、私に強く注意を促すことが余計なお世話になるかしもれないと考えらしかった。
 しかし、それにしても不思議だった。中野から新井薬師前駅に向かうときは、道を間違えることはなかった。大まかな方向は把握できていて、知らない裏道を冒険しても、目標から大きくそれることなどまったくない。そんなこともKくんに話すと、
「ぼくもそうなんですよ。中野から新井薬師へは、絶対まちがえない」
 そんな話やTさんの写真展のこと、そして今年の私たちの小さな抱負を語り合いながら、帰る時刻も特に決めず、何杯も杯を重ねた。
 私たちの歓談はかれこれ3、4時間続き、そろそろ話も尽きたので帰ることにした。Kくんは中野ブロードウェイを見ていくという。古いレコードでも探すのだろうか。私は寄り道をせずに新井薬師駅へと向かった。

 少しも道を間違えることなく、駅まであとわずかとなった。そのとき、駅の隣りの踏切の警報音が鳴り始めた。新井薬師前駅には急行が止まらないから、一本各駅を逃すと急行の通過を一本待たなければならないので、私は50メートルほどを走ることにした。特に急ぐ用事が待ち受けているわけでもないので、何を急ぐのかと半ば自分に呆れながら走った。
 しかし、努力は徒労に終わった。改札を抜けたそのとき、すでに電車の扉は閉められたところだった。ほんのわずかなタイミングのずれにより、私は冬空の下のプラットホームに取り残された、たった一つの影となった。
 急行を一本やりすごし、ようやく来た各駅停車に乗り武蔵関駅に着いた。庚申橋駐輪場まで5分ほど歩くと、ひっそりとした駐輪場に一つの人影を認め、はっとした。その人影が私の自転車の近くの赤い自転車のハンドルに手をかけたからだった。
 私は感慨深く、彼女を見送った。
 今日私は道を選んだ。道に迷った。写真を見た。話をした。笑った。いろんな偶然を、あみだくじのように進んできた一日だったのに、最初に彼女に遭い、最後に辿り着いたのも彼女だった。
 私は、偶然と必然について考え、抗(あらが)うことのできない運命というものを目の当たりにして、奇妙な安心感に包まれるのだった。

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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