salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2016-12-5
NHKラジオ深夜便・ないとエッセー
「手紙で出会う漱石」


2016-12-2 NHK録音スタジオにて Kさん撮影写真を加工

私は、見つけることが好きだ。子供の頃はよく下を向いて歩いていて、近くの鉄工所の付近では、棄ててあった鉄塊を拾ってきたり、保谷クリスタルの工場も近くにあったから、そのゴミ捨て場で、シャンデリアの壊れた部品のカットガラスを拾い、太陽にかざして、その煌めきを楽しんだりしていた。林の中でセミを探すのも、草むらでバッタを探すのも、四つ葉のクローバーを探すのも好きだった。
だが、残念なことに、私は物覚えが悪いし、理解力も乏しいし、何より根気がないから、学者にはならなかった、なれなかった。

私は大学の文学部史学科で、東洋史を専攻したのだけれど、大学に入って初めてのホームルームのような集まりで、担任の教授が語った最初の言葉の意味を、今頃になって理解した。「学者になるには、頭がよくてはいけない。なぜか。頭がいいと、すぐに推論してわかった気になってしまう。学問は、一つずつ確かめて、着実に進む必要がある。わかった気になってはいけない。そのためには、頭がよくないほうがいい」。学問とは、そういう地道なものなのかと、そのときは思ったのだけれど、周りを見ると、呑気そうな顔をしている仲間が多かったから、私も含めて、「君たちはバカだから、学問をするには適している」と、教授先生はおっしゃったのだと、今頃になってようやくわかった。40年余りを要したこの血の巡りの悪さに、自分ながら恐れ入るのを通り越し、惚れ惚れする。

教授先生の「バカは学者に適している」説の正否については、いつか考えるとして、私は最近日本文学の大御所に関する本を、うっかり何冊か書いてしまい、怯えている。夏目漱石の書簡に関する本などだ。もちろん、無学無知非才な私の漱石に関する言説や評論的なものについて、改めて取沙汰する人などあまりいないとは思うけれど、なにせあの漱石である。「漱石以来、日本文学は一歩たりと進歩していない」と断じる文芸評論家もいるぐらいの日本文学の最高峰のひとつだ。それに引きかえこの私は、17歳の夏までに読了した本は、児童版のHGウェルズ『タイムマシン』と、やはり児童版の『宮本武蔵』の2冊だけ。どちらもとても楽しかった記憶があるが、それにより、読書習慣がつくことは、何よりも嫌いなのは読書だった。17歳の夏までは。

では、それまで何をしていたかというと、バットの素振りと投球練習とバスケットボールのシュート練習ばかりだった。特にバスケットボールのジャンプシュートについては自信があり、アマチュアでもプロでも、私は今でも、シュートの成功率を上げる指導をすることができる。これだけは自信がある。中学高校時代の膨大な時間を費やし、シュートの練習方法とフォームの開発、シュートチャンスについて考え抜き、実際に試して成果を上げたからだ。

そんな私がなぜ漱石に辿りついたかについての話を始めると、長くなるので割愛するが、ともかく私は漱石の手紙が好きになり、足かけ四年をかけて、漱石の現存する手紙2500通余りを読み込み、一つ一つ手紙の内容別に仕分け、面白さ、興味深さの等級をつけ、重要なキーワードを拾い、あるいは感想を添え、2500の手紙文とともに、それらの情報をエクセルでデータベース化して、漱石の手紙を徹底的に眺めて愉しみ始めた。そして、愉しんだ結果を本にしてみたくなり、『夏目漱石の手紙に学ぶ 伝える工夫』と『漱石からの手紙』を書いたのだった。

私は本稿の冒頭で、見つけるのが好きだったと書いたが、私にとっては漱石の書簡を眺めることもまた、鉄工所周辺の鉄くず探し、保谷クリスタルのごみ箱の近くのクリスタルの破片探し、林間のセミ、草むらのバッタ探し、あるいは、バスケットボールの美しいシュートの追究と、ほとんど変わることがなかった。もう誰の役にも何の用にもならなくても、私には面白い、奇妙な形をした鉄くず、壊れていても美しく光を跳ね返すクリスタルガラス、鳴かないメスのセミを見つける醍醐味、草と同化するバッタの発見、確立されているようでいて、実はほとんど確かな根拠のない曖昧模糊としたスポーツのパフォーマンス理論の中から、自分に合ったフォームを探し求めることなどと、漱石の書簡の大海原から、時めく文句、愉快なフレーズ、品格に満ちた表現、優しさあふれる言い回しそして妙なる言葉を探すこととは、まったく同様な、スリリングな胸躍る喜びだった。

そんな私の漱石の書簡についての愉しみと喜びの成果に共感してくださる方が、夢のように現れた。NHKラジオの「ラジオ深夜便」のディレクターKさんだ。同番組の「ないとエッセー」というコーナーで、「手紙で出会う漱石」というテーマで、3日間話してみないかというのだ。私は本を出してから、どなたか厳しい漱石の専門家の方に見つかり、こっぴどく叱られはしまいかと恐れつつも、一方でどうか私のこの漱石観を見つけてほしいという願いもあったので、専門家を恐れるためらいなどどこ吹く風で、図々しくすぐさまKさんの依頼に応じたのだった。

そして一昨日、収録日を迎えた。
収録までには三週間ほどあったので、練習に練習を重ねた。1日、3時間前後、毎日練習した。もともと滑舌が悪いので、その改善にも努力した。1日10分余りの放送だけれど、事前の収録は1日なので、3日分、都合30分以上をしゃべり続けることになる。1回でうまくいくとは思われない。30分を2,3回話すことになるかもしれないと思うと、体力面が心配になってきた。普段人とほとんどしゃべることもない私は、10分一人でしゃべり続けるだけでも大変なのに。よっぽど体をしっかり健康に保っておかなければと思った。そこで、ほんの少し喉に違和感があり、風邪のごく初期症状かもしれないと思い、収録の三日前に、インフルエンザの注射を打った。体が弱っていると、インフルエンザにかかりやすいのではと思ったからだ。注射を打ち終え、これでなんとか乗り切れるだろうと一安心した。

すると、その夜から異変が起きた。なんとなくだるい、のどに違和感がある。寝れば治るだろうと思い、いつもより早く寝たら、夜中に咳き込んで目が覚めた。熱はないが、ひっきりなしに鼻水が喉に回り、二、三十秒に一回むせ返るようにして咳き込んだ。翌朝にはもっと状況は悪化し、翌日に控えた収録があやぶまれた。まだ一日ある。熱もないし、まあなんとかなるだろうとその日安静にしていたが、回復傾向は生まれなかった。

そして当日、どうか朝には回復しているようにと祈りながら目覚めると、咳はかなり収まっていた。だが、体がだるい。いわゆる病み上がりのぼーっとした感じ。収録は午後2時からだったので、午前中はちょっと横になっていようとベッドに滑り込んだ。気がつくとすでに昼近くになっていた。一か月近くも準備期間があって、体調管理もしてきたつもりなのに、なぜピンポイントで具合が悪くなってしまったのか。さすが自分だ、またまたやってくれるじゃないかと呆れた。今日ネットで調べてみたら、風邪をひいているときにインフルエンザの注射をすると、風邪が悪化する例もあるらしい。

ともあれ収録は無事? いや、なんとか終えた。練習中も大変だったが、本番はもっと体力が必要だった。しゃべっている途中、とてもお腹がすいてきて、調整室に居たディレクターKさんにバレた。NHKの高性能マイクは、私の些細な「音」を聞き逃さなかった。「中川さん、すみません、今お腹が鳴ったので、もう一度お願いします」と、笑顔とともに注意された。そんなことが二度あった。しかし本当はお腹は五度鳴った。
その他にも途中でつっかえるし、深夜放送にふさわしく、ムーディーに、ソフトに、大人に、魅惑的に話そうとしたのに、その真逆となるなど、あれほど練習したのに、なんだったのかと愕然としたが、Kさんは喜んでくれたようだった。

ディレクターのKさんとは、すでにメールや電話で何回かやり取りはしていたが、お会いするのは初めてだった。私の娘よりも少し年上ぐらいの若い女性だろうか。女性の歳はよくわからない。私の本に興味を持ってくださるような方だから、きっと個性的な方に違いないと予想していたら、予想を上回っていた。どう上回っていたかの詳述は避けるが、別れ際のKさんの対応を、私はきっといつまでも忘れない。

収録を終えた私は、NHK放送センターの西口玄関でKさんに挨拶をして別れ、西口玄関前に広がる駐車スペースの奥に止めた車まで歩いた。そして、カバンを後部座席に置き、コートを脱いで、飲みかけのペットボトルのお茶をゴックンと飲んでから、すぐに車を出すのはやめて、大きなため息をつき、やれやれと肩の大きな荷を下ろした気分で、しばしボーッとして、それからおもむろに車をスタートさせ、順路に従い出口に向かった。すると西口玄関口で、カラフルなブラウスを着たKさんが、こちらに向かってニコニコしながら大きく手を振っている。もうとっくにお別れしたはずなのに。わざわざ待っていてくれたようだ。私もすぐに窓を開けて手を振った。仕事の後にニコニコ笑っている仕事の人と、手を振ってお別れをしたのは、生まれて初めてのことだった。

そのとき私は中原中也の詩の一節を思い出した。

さよなら、さよなら! 
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る

私は漱石の手紙から私だけの漱石を見つけたつもりだ。
そんな私を、今度はKさんが見つけてくれた。

帰途、渋滞気味の井の頭通りで、ふと私は胸にぶら下がる勲章に気づいた。
見える人にしか見えない勲章。街中を彩り始めたクリスマスのライティングよりはささやかだけれど、私には、はるかに眩く暖かな煌めきを放っていた。

※私の放送は、12月27日、28日、29日の23時15分以降の23時台にあります。
番組名、コーナー名、各回の演題は以下の通りです。
NHKラジオ 「ラジオ深夜便」・ないとエッセー
総合タイトル「手紙で出会う漱石」
12月27日 第1回 「手紙を読めば漱石がわかる」
12月28日 第2回 「手紙から浮き上がる漱石の素顔」
12月29日 第3回 「手紙から見る漱石の人生論」
いずれも、23時15分以降の23時台です。
年末のお忙しいときですが、よかったら聴いてみてください。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

3件のコメント

放送、楽しみです。

HOYA、って地名からきているのですね。
ひとつ勉強になりました。

Mは中川さんのシュートの事‘だけ’は
「本当にきれいで、かっこいいシュートだった。」
と今でも褒め称えています。
私は全てにおいて
中川さんを尊敬いたしておりますよ。

by うらちゃん - 2016/12/06 11:49 AM

ラジオ深夜便、第一回をいま聞き終えました。
漱石のチャーミングともいえる意外な一面に驚くとともに、「手紙」というものの魅力を改めて知らされました。スマートフォン上での短文のやりとりは、何往復もすることが前提となっていて言葉の投げかけあいの様相を呈しています。いっぽう手紙は、その一通がすべてであるため、導入から用件、そして締めくくりまでのいわば「構成」を考える必要があります。先日自分自身が作文をする機会があり、久しぶりに書いてみたらなんだかまとまりがなくてつまらないものになってしまったのですが、短文ラリーに慣れてしまったからかもしれません。構成力、相手への気遣い、アクセントに添えるひとことなど、漱石の手紙から学ばされることはたくさんありそうです。明日も楽しみにしています。

by マルコ - 2016/12/27 11:56 PM

示唆に富んだご感想、誠に有難く拝読しました。
「言葉の投げかけ合い・短文ラリー」、すなわち反射的なものと、「構成」つまりは物語、ストーリー的なものとは、自ずと違いが出てくるという視点、なるほどと思いました。ありがとうございます。中川

by EN - 2016/12/28 5:51 PM

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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