salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2015-09-5
エンブレム


新エンブレム A案・B案 作EN

 雨が続いて、自転車に乗れない。仕方がないので仕事をしたり、本を読んだり、テレビを見たり。
 テレビは今エンブレムの問題でにぎやかだ。新国立競技場に続き、昨日エンブレムも取り下げられ、やり直しになった。テレビのニュース番組の司会者やコメンテーターは、こぞって鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。そして、一昨日まで擁護していた推進派も、手の平がえしの攻撃を開始した。勉強になる。賢い処世の術がここにある。
 かくいう小生もまた、当初から「デザイナー氏の過去の作風とエンブレムは、明らかに世界観が違う。盗作でしょう」という業界関係者の見解に組みし、「まあパクリでしょう」と自信を持って断じた。
 
 けれどもここまで一方的な個人攻撃が過熱すると、自分の胸に手を当てなくてはならないような気がしてくる。私は何もパクッてないかと。実はさりとてのこの連載で2013年1月4日にアップした「コウタくんと森山大道とポッポちゃん」という記事は、太宰治の「令嬢アユ」のオマージュだ。似たような言い廻しをややまじえ、その世界観を尊敬し真似たつもりだ。ただしこれは、「令嬢アユ」を少しも彷彿とさせないから、盗作の誹りを受ける栄誉を、どこからも得ることができなかった。

 一方長い編集者生活で、逆に一度だけ盗作されたことがある。バスケットボールの指導書をプロデュースした際、説明イラストを盗用された。あるとき書店で何気なく競合他社の同種のバスケットボールの指導書を観察していたら、頁をめくるごとに次々に見覚えのあるイラストが出て来た。おかしいなと思い買い求めて仕事場に戻り、自分のプロデュースした本と見比べるために、コピーをとりライティングテーブルで重ねてみると、ほとんどすべてのイラストが盗用だった。新たに描き起こしてはいるが、どれもが細部までぴったり重なった。そんな見え透いた盗作をよくもヌケヌケとやったものだと驚いた。しかし、その盗作者にも、いくばかの良心は働いたようだ。盗作したイラストは全部、小生の本のイラストの逆版だった。すべて左利きの選手のイラストになっていたのである。前代未聞の左利きの人専用のバスケットボールの指導書となった。そのように銘打って販売されたわけではないが、もし左利き用として販売したら、意外に売れたかもしれない。

 また、小生の著作の文章の盗作は、しばしばネット上で見受けられる。これに関しては、むしろ名誉だと思っている。真似されるなんて大したものだ。だから、文句をいったこともなく、今後もいうつもりもない。件のバスケの指導書のイラストの盗作に関しては、イラストレイターの著作権と出版社の出版権が侵害されたので、出版社同士で話し合って、盗んだ側が該当書籍の出版を停止しただけで、金銭のやり取りのない示談となったようだ。お互い探ればスネにキズ持つ身ゆえの大人の解決を図ったものと思われる。

 ことほどさように、表現世界においては、盗作はつきものといっていいかもしれない。インターネット上では、パクリ疑惑のポピュラーソングが、原曲とともに山ほど紹介されている。小生もよく知るあの曲もこの曲も、なんだパクリだったのかとがっかりした。それからずいぶん前のことになるが、世田谷美術館で常設展を見ていたら、素朴派の絵画の展示があり、腰を抜かすほど驚いたことがあった。当時流行っていたヘタウマのイラストに、そっくりだったからだ。そのような不正確な言い方が自然なぐらい、ヘタウマが堂々とニューウェーブとして取沙汰されていた。われわれはしばしば中国のパクリを笑うけれど、日本だってつい最近まで、欧米の流行をそのまま日本に持ち帰った各ジャンルの表現者たちを、ちやほやしていたような気がしてならない。

 そもそもこの問題を討議するには、オリジナリティとはなにか、という定義が必要になる。今回のエンブレムも、盗作とはなにかの定義が不明確であれば、盗作ともなんともいえない。似ているとは、異なるという意味も含まれる。ただし、似ているから嫌だとか、面白くないとかいうことだけはいえるだろう。
 
 太宰治もこの問題に関して、過去から参戦しているので、最後にご紹介しておく。
「もともと、このオリジナリティというものは、胃袋の問題でしてね、他人の養分を食べて、それを消化できるかできないか、原形のままウンコになって出て来たんじゃ、ちょっとまずい。消化しさえすれば、それでもう大丈夫なんだ。昔から、オリジナルな文人なんて、在ったためしは無いんですからね。真にこの名に値いする奴等は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。だから、あなたなんか、安心して可なりですよ。しかし、時たま、我輩こそオリジナルな文人だぞ! という顔をして徘徊している人間もありますけどね、あれはただ、馬鹿というだけで、おそるるところは無い。」(太宰治 「渡り鳥」より)
「原形のままのウンコになってて出て来たんじゃ、ちょっとまずい」は、けだし名言。

(追記 エンブレムなんて簡単だろうと思って作ってみたのが冒頭にかかげたA・B案。これはダメです。いただけない。2時間もかけたのに。難しいものです)

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

中川さんのエンブレム、
よろしいのではないでしょうか。
応募を考えていらっしゃる?

今回の事で、
オリンピックでは莫大なお金が動くのだと知りました。
もったいないことです。

いっそのことオリンピックを辞退して、
そのお金を今回の水害に遭った地域と
未だ津波の被害から立ち直れない地域に使ったら、とも思います。

日本は何処に向かっているのでしょう。

by うらちゃん - 2015/09/11 10:45 AM

応募は考えていないと本人は言っています。
あえてありきたりにしたそうです。
ともあれ、うらちゃんの意見には賛成です。
ニンゲンならそう考えますよね。
そう考えたニンゲンが行うオリンピックなら、心から応援します。野原でやるオリンピックでも、きっと歴史に残る、もっとも美しいアスリートとなり、もっとも栄光に輝くオリンピックになることでしょう。日本はそっちに向かって欲しいと願います。

by EN - 2015/09/11 5:23 PM

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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