2015-08-5
新し物好きな銀座は密の味
――銀座ミツバチプロジェクト
1969年8月 銀座1丁目のウィンドディスプレイ
銀座に養蜂場があるという。13階ビルの上だ。驚くなかれ年間一トンの収穫があるらしい。あらかじめ断っておくが、ここでいう銀座とは、長野県北佐久郡の軽井沢銀座はなく、ましてや東京都葛飾区の亀有銀座のことではなおさらない。本家本元東京中央区の銀座の話である。
狐につままれた気になり、私は自転車をころがしながら、最寄駅までM氏を見送る道すがら話を聞いた。
この不思議なミツバチプロジェクトの話を教えてくれたのは、これまた不思議な名古屋の怪人M氏である。いつからか月一度の割合で、日本橋の老舗の美味しい出汁の素を携えて、私の仕事場にいらしてくださるようになり、某新聞社の新聞記者の方とともに、四、五時間、粗酒粗肴の宴を張る。
どうやらM氏はこの銀座ミツバチプロジェクトに一枚噛んでいるらしい。どんな噛み方かうかがったが、私の記憶力は揮発性なので、すぐに蒸発してしまった。いずれにしてもお金儲けが主たる目当てではなさそうだ。M氏はある事情から、お金にはあまり興味がない。一方、ある事情から、お金にとても興味を持つ私とは、好対照をなす。
それはともあれ、M氏はミツバチプロジェクトをとても自慢げに楽しそうに話し始めた。
ミツバチと聞き、また、銀座と聞いて、黙っていられない私は、すぐに次々に質問の矢をM氏に放った。
「銀座に花はありますか」
「皇居まで飛んで行きます。浜離宮にも、それから銀座の街路樹にも花の咲く木を植えるようになりました」
「蜜を集める花の種類は」
「ソメイヨシノ、マロニエ、ユリノキなどです」
桜はもとより、マロニエもユリノキも私の好きな木だ。マロニエの蜂蜜はどんな味だろう。さぞかしロマンチックにちがいない。そして、つや消しの新緑が美しいユリノキの花の蜜も、味わってみたいものだ。さわやかな青春の香りがするかもしれない。
「蜂蜜として販売したりするのですか」
「蜂蜜としても販売しますが、銀座の老舗バーのカクテルで使ったり、ケーキ屋さんや和菓子屋さんの名店で、様々なスイーツに利用されたりしています」
「へえー、知らなかった」
「銀座の蜂蜜からビール酵母が発見され、その酵母でビールも製造されているんですよ」
「それも飲んでみたい」
「それに、蜜蝋でロウソクも作りました」
それほどゴージャスでロイヤルな甘い香りがする炎はなさそうだ。
実の所、私がミツバチと聞いて黙っていられないのは、よい思い出のせいではない。
小学生とのき、ミツバチが筒状の赤い花に潜り込んだのを見つけ、すばやく花の先端を親指と人指し指でつまみ、閉じ込めることに成功した。自分はなんて頭がいいのだろうと、一緒にいた友達に得意満面のまなざしを向けた。しかし、次の瞬間、人差し指の爪と肉の間の一番敏感な部分に激痛が走った。ミツバチが花弁を通して私の指を突き刺したのだった。その痛さ半世紀過ぎた今でも忘れない。まあ、痛いのなんの。そんな思い出のあるミツバチだ。
そして、銀座も自分と切り離せない因縁がある。私の名前は越という。銀座一丁目にあった広告会社でデザイナーをしていた父が名づけた名前だ。どんな困難をも乗り越えて生きていけるようにとの願いを込めたと、命名の由来を聞いていた。なるほど親心あふれる発想だと素直に感謝した。しかし、ものごころついて父の銀座の仕事場近くをたずねたとき、その感謝がやや薄まる思いがした。父の仕事場のすぐ近くに、私の名前が大きく看板で出ていたからだ。○の中に越。三越の看板である。父はこれを毎日見ていた。小さなウソをつくことには、およそ反省のなかった父だから、これぐらいのウソは平気でく。なんでも乗り越えるようにとの願いは、きっと後付けにちがいない。
この父、銀座を拠点に、仕事に遊びに小暴れした。髪の毛を脱色して赤くし、前髪をパッツンと切りそろえて丸メガネをかけたり、自作の帽子、バック、上着をこしらえて、独自のファッションを目指したり、自分の勤める広告会社の10メートル幅のウインドディスプレイの制作を何十年も続け、四季折々の物語性のあるオブジェや絵や人形を好き勝手に作り続けた。そして、広告社に勤めながら近くの出版社の挿絵をアルバイトで書いたり、出版社の編集者との徹マンに興じたり、日課のように銀パチに通ったり、それはもう縦横無尽に銀座の街を謳歌した者の一人だった。
その後私も働くようになってから、銀座の編集プロダクションで仕事をもらい、銀座のブランドショップに関わる仕事をしたりした。また、銀座の出版社から本を出し、雑誌に載せてもらったりということもあり、随分いろいろな角度から、銀座の魅力に触れるチャンスをもらった。
そういえば遠い親戚のKちゃんは、銀座のホステスをしていた時代がある。夜の銀座の裏事情の中で、随分辛い思いをしていた。それも銀座の一つの顔として、私の記憶に深く刻み込まれている。
そうした一切合財を踏まえて、ミツバチと聞き銀座と聞くと、このかけ離れたもののイメージが、私の中で妙に違和感なく融合する思いがするのである。
銀座は新鮮で高貴で甘い蜜の味がする。
銀座の老舗とかなんとかいってありがたがる人がいて、確かに老舗の伝統が、芳醇な香りを漂わせるよさもあるけれど、元はといえばイノベーティブな空間。父は自身のファッションだけでなく、新し物好きだった。新製品好きだった。自宅の模様替えも大好きで、月一回は机やテーブルや食器代、テレビの位置を変えた。私たち家族はその度、せっかく馴れた生活導線や景色が変わり、不満しか残らない恒例の模様替えだったが、新鮮な風を常に追い求めた父の精神は、今にして思えばなかなか興味深い。
桜花、マロニエ、ユリノキなど、あるいは、ファッション、絵画、写真、飲食などなど、様々な品格を備えた特徴ある高品位な蜜がこの地域に集められ、そして、その蜜に集まる人々がいて、その人々が織りなすドラマがあり、そのドラマは決しパッピーならざる裏事情にも支えられ、いたいけなKちゃんのような花が摘み取られたり、あるいは人によっては裏事情の中でたくましく生きて、黒皮の手帳を持ち、ハチの一刺しで大物を失脚させたりすることもあったのだろうと想像する。
銀座ミツバチプロジェクト。これほどミスマッチでありながら、これほど銀座にふさわしいプロジェクトはないだろうと、最寄駅の改札で怪人M氏に別れを告げてから、自転車に乗って仕事場に戻る道の上で、ひとしきり思う私だった。
3件のコメント
銀座のミツバチ、以前TVで観ました。
亀有銀座、私は亀有駅を利用していた時期があり、懐かしかった。
銀座三越、昨日、高校の同級生と銀座三越で待ち合わせ。
この、たび重なった偶然、前回中川さんがお書きになった〝運命的な〝予感、予知能力が私にもあるのかも!?
修行を重ねよう。
うらちゃんの記憶や経験に近づくつもりはないのに、なにかと近づきますね。うらちゃんの大きな力にひきよせられているのかもしれません。とすれば、すでに「修行」はかなりの段階に達していると判断せざをえません。わたしの仕事部屋は現在31度。クーラーがなく、熱風を浴びて仕事中です。苦行です。この部屋で早く悟りを開き、うらちゃんの域にまで達したいと思います。
越様というお名前は、私の憧れです。お父様は、モダンな方なんですね。
銀座ミツバチは、石鹸にも使われているようです。
長女は、泰明小学校の卒業生です。中川様がテレビに出られたときは、ふたりで真剣に聞きました。
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