salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2015-07-5
地球ゴマ

 地球ゴマという教育玩具がある。今はどうなのだろう。昔は小学生なら誰でも持っていた。先日自転車に乗っていて、ふとそれを思い出した。地球ゴマは、金属製のコマの軸に、垂直方向と水平方向に、コマをカバーする丸い枠が付いていて、枠の外から回転中のコマを触ることができるようになっている。コマの軸にヒモをからめ、思いっきり引っ張ると勢いよく回転し、ふつうのコマより速く長く回る。速く回っている間は、軸を指で押して傾けてもすぐに垂直に立ち直り、立ち直って水平を維持する力が強いから、ヒモの上でも安定して器用に回り続けるところは曲芸師さながらで、まるで生き物のようだ。

 以前、ある大学の博物館で、生物とは、という企画展を見た。まず、博物館の入口に生物の定義があった。無論生物の増殖性がその条件の一つにある。そして、それ以外にもいくつも生物の条件があり、無生物との違いを明確にするのはそれほど簡単ではなさそうで、私の貧弱な理解力をはるかに超えていた。しかし、私にとっては少しも不都合はなかった。生物と無生物の境界は、あいまいらしい。それがわかっただけで愉快だった。

 したがって、大まかでけじめのない性質を持った私の頭脳にとっては、地球ゴマや、それによく似た自転車を、生き物の範囲に入れてもさしつかえない。もっといえば、グルグル回っているときは倒れないけれど、回っていないとすぐに倒れてしまうコマや自転車は、人間によく似ているし、ついでに私にも似ているように感じられる。

 ギリシャの哲人ディオゲネスは、終生、樽、もしくは甕を住まいとして、基本その中に居たらしい。クルクルとコマのように立ち回らないと糊口を凌ぐことができない私は、彼を羨む。じっとしているだけで満たされるためには、どうしたらいいのかといつも考えている。もっともディオゲネスにも人並みの欲望はあったようで、あるとき哲人と噂の高いディオゲネスのもとにアレキサンダー大王が訪れ、「何か欲しいものがあるか」と尋ねると、ディオゲネスはこう答えたそうだ。「日陰になるからどいて欲しい」と。

 東京品川は私の生地である。今は東京の西郊の片田舎に住んでいるので品川とは縁遠くなったが、新幹線が品川に止まるようになり、京急が羽田に乗り入れるようになってから、品川へはしばしば人の出迎えや見送りに出向くことがある。
 先日も夕刻品川駅に行く機会があり、ラッシュに遭遇した。この十年程、ラッシュ時にターミナル駅に赴く機会がなかったので、初めて見る光景のように新鮮に驚いた。

 品川駅に乗り入れる十数本の列車が次々に無数の乗客を運び込み、乗客は階段を昇って中央通路に這い上がり、各々目指す路線のホームを目指すのである。中央通路は幅二十メートル以上、長さ百メートル以上あるだろうか。ここを左右と中央の三つの流れに別れ、乗降客が間断なく行きかう様子は壮観だ。交錯する激流のようにも見える。その足並みはバラバラでも、歩幅とスピードにある種の調和が見られ、まさに動脈や静脈を勢いよく流れる血流だ。

 この血流が四方八方、縦横無尽に大東京をグルグル回って、経済や精神の軸を起立させているのだと実感した。この歩幅、このスピードが、東京を支え、東京を支配し、私に影響を与えているに違いないと発見した。この圧倒的な人並みに抗う力は私にない。抗えば飲みこまれ、踏みつけられ、息の根が止まるだろう。東京自体が生物であり、この巨大な生物の回転を止めることは、誰にもできそうにない。

 期せずして東京の皮層をめくり、血流を目の当たりにした私は、ため息をつきながら自らその血流の一滴となり、人並みに歩調を合わせて山手線に乗り込む以外に方法がなかった。

 地球ゴマも自転車も、回転数を上げれば上げるほど、安定して外力にも強く垂直を維持し続けるのだけれど、ゆらゆらと軸を乱しながら、たよりなく、危なっかしく走ること、回ることはいけないのだろうか。
 そして、結局誰のために、垂直に起立して回っているのだろう、走っているのだろう。一人一人のためであればよいのだが、おそらくそうではあるまい。

 追記
 この原稿を書き終えてその日の新聞を見ると、タイガー商会の記事が大きく出ていた。同社は「地球ゴマ」の製造会社の老舗。今月で廃業の予定らしい。私はときとして、周囲も驚くほど鋭い直観や予感や霊感が的中することがある。しかし的中させた事柄は、例外なく無駄なものばかりだ。馬券や宝くじや麻雀の当たり牌の的中に適応された試はない。
 すっかり記憶の底に沈み、長く思い出すことのなかった地球ゴマを、なぜこのタイミングで思い出したのか、不思議だ。時代の地平に没していくものたちが、別れに声を上げることがあるのだろう。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

2件のコメント

地球ゴマ、家にも薄汚れて紐がくしゃくしゃになったのがあった記憶がが・・・。はたして、あれは何処へ行ったのか・・・?

私はずっと軸を乱しながらよたよたしてます。

中川さんの鋭い直観予感霊感が、いつか世界のために!?日の目を見る日が来ますように。

by うらちゃん - 2015/07/21 10:16 AM

はい、役に立たない直観予感霊感を、世の為人の為に、役立つよう磨きます。よろしくご指導ください。

by EN - 2015/07/21 4:09 PM

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント


中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

そのほかのコンテンツ