salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2015-06-25
江戸の風に吹かれて柳橋

 柳橋の亀清楼(かめせいろう)を訪れた。
 昔馴染みの芸妓に会うためだった。
 名は吉州(きちず)という。あれから十余年が過ぎた。さぞかし無残に時の刑罰を受けたに違いない。そんな想像はしなかった。この女の蠱惑は、きっと初々しく保たれていると信じた。
 吉州は寒いといった。十余年前の夏のことである。浅草橋のたもとの三浦屋から小舟に乗り、墨田川の川風に当たりに出かけた。吉州のうなじの汗が引いたころ、不意に吉州の小さな口先から、吐息のように、寒いと漏れた。
 夏とはいえ、夕暮れ、そして間断なく吹く川風は、華奢な吉州を過度に寒からしめたのだと、その時は思った。
 それからほどなくして吉州は、利左(りざ)に請け出され、二人は柳橋から姿を消した。
 利左とは利左衛門。柳橋、新橋、二柳きっての粋人だった。月夜の利左の異名を持ち、月明かりに濡れたその美容は、女は無論、男どもさえはっとさせた。

 利左と吉州の名が、またここ柳橋界隈で囁かれるようになったのは、二人が出奔して十年が過ぎたころだった。上野黒門のしんちゅう屋に、利左らしきが出入りしているという噂が立った。 
 しかし、利左をよく知る者は噂を端から信じなかった。出来のよくない冗談と受け流そうとした。そこで、噂を立てた男はむきになり、ある日ボーフラ売りを呼び止め問い詰めた。
 そう、利左と思しきは、金魚の餌となるボーフラを満たした小桶を両天秤に担いで、しんちゅうやという大きな金魚屋に出入りする身なりの貧しい男だった。
「もしや、あの利左衛門さんではありますまいか」
「いえ、旦那、人違いで。ご覧の通りのボーフラ売りの太吉でございます」
 そして、「ボーフラのご用命はいつでも承ります」と、いやしい笑顔を作って踵を返し、立ち去ろうとしたそのとき、期せずして後ろ姿が正体を自白することとなった。やや左肩を落とし、首を右に傾げて歩く姿は、利左そのものだった。そのしぐさがあまりに艶っぽいので、馴染みの芸妓に利左の真似をせよとせがまれる旦那も少なくなかったほどである。

 亀清楼に着き部屋に通されると、すでに吉州は部屋に居た。
ボーフラ売りにたどり着いた利左との暮らし向きは、二人を分かつ力となった。そんな自明な成り行きの詳細について、吉州に今更問う趣味はなかった。
 にもかかわらず、つい口をついて半端な言葉が出た。
「金魚か…」
 吉州は変わらないね、まるでしんちゅう屋の生簀の中、清流に揺れる藻をくぐり、身を翻してきらめく、金魚、銀魚だ、とでも言うつもりだったのか、私は己の真意を掴みそこねたまま、利左へと向かう言葉が胸の内で暴れた。
 吉州はそれには何も答えなかった。ガラス戸越しに遠くに見える屋形船を目でしばらく追ってから、口を開いた。
「花火はいつかしら」
 目を閉じるといつか吉州と見た打ち上げ花火が、まぶたの裏で美しく散った。

 自転車を駆り、神田川を辿って柳橋に行き着いたのは、いつのことだったか。あの頃は、柳橋について、聞いたことはあるけれど、何も知らなかった。ましてや、安政の昔から柳橋に継続する亀清楼などという老舗料亭があることなど、知る由もない。
 緑色のペンキでべったり塗られた、風情も何もない鉄橋、柳橋を自転車で渡りながら、ここからが隅田川かと、自転車の長旅の充実と徒労を感じながら、きれいではない川面に目を落とすばかりだった。

 今度雑誌に頼まれて、柳橋の老舗と文豪と手紙をキーワードにした原稿を書いた。粋筋とはおよそ縁遠い小生ではあるが、西鶴へのオマージュとして太宰が書いた「遊興戒(ゆうきょうのいましめ)」に登場する三粋人や美しい芸妓吉州と、想像力の中で遊んでみた。
 吉州はきっとそそとした美人で、我を通すところなど一つもないのだけれど、男をとこんとんダメにする女に違いないと想った。マノン・レスコーのような蠱惑的な悪女とはいえ、マノンほど明確な本人の意思はない。柳のように風任せに心をなびかせ、枝先で男の頬をなでつけては、残酷に男心を翻弄するのだろう。

 まあ、そういったわけなんだ、こうたくん、ゆうたろうくん。
 雑誌に載せた記事は、もう少し大人しいものになったけれど、もし本屋で立ち寄りする機会があったら、208頁と209頁に、柳橋、漱石、荷風、太宰、三粋人、吉州、しんちゅう屋、金魚銀魚などと上品に?遊んだことを書いたから、読んでみてください。
 雑誌名はメンズプレシャス 2015年7月号増刊(小学館)。値段は950円。そんなに高くなから、二人にも買えるはず。でも、買わなくていい。僕の所にあるから、今度見せてあげる。それから一つ注意します。もし、本屋で立ち読みするなら、僕の頁以外は見てはいけない。なぜかというと、雑誌に掲載されている広告は、カルティエのクラッシュ スケルトン ウォッチ 895万円とか、リシャール・ミルの腕時計が1億1千700万とか、気絶しそうなものばかりだから。
 そんな雑誌があるんだね。そんな世界があるんだよ、こうたくん、ゆうたろうくん。
 貧乏の勲章をぶら下げていたって、誰も感心しやしない。
 なんとかしなくちゃ、僕たちは。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

やっと更新されましたね。待っていました。
浅草橋、我が高校の最寄り駅。
”メンズプレシャス”の世界、私も無縁。

by うらちゃん - 2015/06/25 7:28 PM

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント


中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

そのほかのコンテンツ