salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

近道にない景色 自転車に乗って今日も遠回り

2014-04-25
はぐれ雲、よい旅を


いつかのはぐれ雲 2010-7-14撮影

 青い空にぽっかりと白い雲が浮かんでいる。
 そんな白雲は、大きな雲のかたまりの端っこ、しっぽが、強風に吹き飛ばされてちぎれたり、はぐれたりしてできたものらしい。『空の名前』の作者がそう教える。
「おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうじゃないか どこまでゆくんだ ずっと磐城平の方までゆくんか」とつぶやいたのは山村暮鳥だ。「君は雲を見てくらして居るだろう」「閑静で綺麗な田舎へ行って御馳走をたべて白雲を見て本をよんで居たい」と手紙に書いたのは漱石だった。

 そよ風の中に立つ歌姫から音楽CDのアルバム二枚が届いた。私の本を差し上げたお礼だった。嬉しい物々交換が成立した。さっそく耳を傾けると、どちらも心地よいものだったが、印象はかなり違っていた。
 旧作はメローな雰囲気の中にひそむ適切な高揚感が、明日を感じさせた。新作はフレッシュなステップが、私を遠い過去に誘った。
 歌姫はいつもそよ風の中に居るのだけれど、その風は初夏の高原に吹く風とは限らなかった。ときに、ねっとりした夏の夜に、汗ばむうなじをなでつける指先のような微風の中にも居た。いずれにしても彼女が風の中に歩み入ったのか、彼女自身が起こした風か、それはどうだかわからない気がする。

 あるとき私はサラリーマンだった。キャリアはすでに二十年。ちょっとおっちょこちょいで社長ににらまれるヘマをしでかすとこともあるけれど、責任感が強く、週末ともなると慕う部下が家に訪れ、妻の手料理をほめそやした。酒が入り興に乗ると、クローゼットの奥からギターを持ち出し爪弾きながら、昔流行ったポップスを一人で歌ったり、みんなで歌い始めたりすることがある。そんな様子を見て純にほほえむ妻を見るのが至福のひとときだった。
 週末が終わればまたやって来る仕事。少し厄介なクライアントとの対応が控えていたりすることもままある。けれど時は確実に過ぎゆき、問題はそれなりに片付いていくのだった。また月曜日が来て少し我慢すると金曜日が来て、月日は循環の永遠の輪の中にある。こんな日がいつまでも続かないことは知っていても、いつまでも続きそうな錯覚を疑う力をなくしていた。
 ふとしたときに襲われるそこはかとないむなしさ。親友を裏切ったときのような巨大な後悔が胸の奥底にわだかまり、私の笑顔は行き止る。
 すがしい明日への興奮が野放図に高まることに、一つの哀切がいつもほどよいブレーキをかけるのだった。

 あるとき私は旅人だった。さまざまな国を地域を経巡り、私はめくるめく日々を惜しげもなく、航跡のように白く左右に追いやった。するとある日過去が、ものすごい勢いで私に追いすがった。
 そして、過ぎ去ったはずの春が四十ばかり、あっという間に私を追い抜いて、私は暖かな五月のお昼前、鷺ノ宮の駅に居た。歩いて中村橋に向かう予定だった。中村橋からは電車で二つ目の桜台で降り、坂道の途中にあるあの人の家へ行く。冷やし中華を作っておくからおいでと誘われていた。共に過ごす初めてのお昼だった。
 昼前の穢れなき光が、町中にこぼれた。古ぼけた家々の青や緑の瓦屋根が、清潔に濡れて輝いていた。歩道のつつじは赤く燃え、下草のタンポポはまぎれもなく黄色だった。それなのに色は音として聞こえた。町中の音は色彩として見えた。私の感覚はいつしか愉しく境をなくしていた。
 途中私はそれほど親しくない旧友に会った。つまらない近況をいつになく楽しく語り合い、気がつくとずいぶん時間が過ぎていた。慌ててあの人の家に着くと、ほっぺたを膨らませた料理人が無言で冷やし中華をテーブルに運んだ。ちょっと大きく切りすぎたなと思われるトマトが初々しくそえられた麺を口に入れると、のびていた。あの人の小言がしばらく続いた午後だった。

 二枚のアルバムを聴いて、二つの物語を過ごした私は、歌姫の昨日までの物語を想像してみた。何者にも寄りかかれない頑固な甘えん坊が、とうとう無人島にたどり着いた。正直だから仕方がない。そこで花と鳥、風と月を友達にした。ワタシは話したいのだ、そんなにも聞きたくはない。都合のいい相手に満足した。ところがやっぱりそのうち人恋しくなった。島を出ようした朝、ヤシの葉の後ろに人影を見つけた。歩みより呼び止め名前を聞くと、ロビンソン・クルーソーだという。あたりをよく見ると、岩陰にも、丘の上にも、朝凪の入り江にも、あっちこっちに人影があった。彼に聞いたら、見える以外にもたくさんいて、男も女も名前はすべてロビンソン・クルーソーだといった。
 人々の間には取り立てていさかいはないけれど、こころの距離は清潔に遠く、それぞれがはぐれ雲みたいに、青い時間の中にぽっかり浮かんでいるように思われた。雲のしっぽ。そんな言葉が似合うと思った。無遠慮な突風になぶられ、いたずらでいたいけな雲のしっぽがちぎれ、蒼空の一人旅を開始したのだった。そのときもちろんもとの雲は、雲のしっぽにこう声をかけた。よい旅を。

 歌姫のアルバムのそれぞれのカバーには、「The Cloudtails」、「Bon Voyage」とあった。クラウドテイルズの意味を私は知らない。調べてみるつもりもない。歌姫は白雲のいたずらなしっぽ、それでいい。そよ風に浮かび旅を続ける。
 私ははなむけにもう一度言う。
 どうぞ、よい旅を。

 さて、私も青空の旅を続けることにしよう。

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1件のコメント

「おうい雲よ・・・」
中学だったか高校だったか国語の授業を思い出しました。
私も馬鹿みたいに空をずっと見上げている事があります。

鷺の宮、中村橋、懐かしい地名も出てきて、
今回は若い頃を思い出させて頂きました。

by うらちゃん - 2014/05/13 2:16 PM

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中川 越
中川 越

なかがわ・えつ/ もの書き。園芸などの趣味から野球やサッカーなどのスポーツまで、いろいろな実用書を企画したり、文章構成を担当したり、近代文学の作家の手紙を紹介したりしています。子供の頃の夢は野球の大リーガー。次にバスケットのNBAを目指しました。樽の中で暮らしたというギリシアのディオゲネスは、二十歳を過ぎてからの憧れです。

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