salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

WHERE IS THE PATH IN THIS TRAIL? 〜わき道へ一歩、逸れた世界〜

2015-08-5
笑顔とこどもの国、マラウィ

アフリカ最南端の街ケープタウンからヨーロッパへと自転車で向かう、スローペースの旅をスタートして丸4ヶ月。
南アフリカ、ナミビア、ボツワナ、ザンビアを通過し、今は縦長の美しい湖が南北に広がるマラウィという国にいます。

それぞれの国は陸続きなものの、国境を越えるだけでがらっと雰囲気が変わる。それを肌身でじわじわと感じることができるのも、自転車旅の楽しみのひとつだ。
今まで越えてきた国境はすべて、川が国を隔てていたため、橋を渡った先に広がる新たな世界へ踏み入るときはいつもドキドキとワクワクでいっぱいだった。
ナミビアへ入ったときは、橋を渡ると急に生暖かい熱気が立ち込め、緑のない灰色の岩山がこれから向かう砂漠を彷彿させた。また野生動物の宝庫、ボツワナへ入ったときは、国境を越えた途端、アフリカを象徴するバオバブの巨木が私たちを出迎え、道路のあちこちに象の糞が転がっていたのが可笑しかった。

そして今回も、ザンビアからマラウィの国境フェンスを越えると大きな変化があった。だけどそれは、今までの地形や動植物の変化とは少し違うようだった。
ザンビアで見た土の壁と茅葺き屋根で出来た円形の家は、マラウィに入ると赤土レンガの四角い家へと変わり、ぽつぽつと間隔を空けて点在していた集落は、どこからどこが1つの集落か見分けがつかないほど広域に広がっている。
路上には頭の上にバケツをバランスよく乗せて歩くカラフルな布を纏った女性たちや、とてもレトロな自転車をのんびりと漕ぐ男性たちで溢れ返っている。「あ、これぞ以前から思い描いていた”アフリカ”だな。」とここに来てやっと、アフリカの人々の暮らしがぐっと近くなるのを感じた。

しかし自転車を数時間漕いでみると、人々の暮らしの変化以上に、もっと変化したことがあることに私とエリオットは気付いた。
それは、「子供たちの反応」だった。
道を走っていると、「Hello! Hello!」「How are you?」と連呼する子供の声がどこからともなく聞こえてくる。そしてその声が聞こえた少しあと、前後左右から大勢の子供たちがこちらへ向かって走ってくるのが見えるのだ。
アフリカの人は、先進国生まれの私たちと比べ物にならないほど目がいい。そのため、私たちに子供の姿が見えなくても、声だけがこだまするように聞こえたりする。
こういったことは他の国でもよくあったことだったが、途切れることなく延々と声を掛けられるという経験は、今までにないことだった。

始めのうちは、思いっきり手を振りながら全速力で走ってくる子供たちに自然と笑みがこぼれ、私もエリオットもできる限り多くの子供に返答し、手を振り返していた。
しかしそれが5時間、6時間と続いてくると、体の疲労も伴い、笑顔を作る頰が引き攣ってくるのを感じた。私の気分の都合で、無垢な子供たちの声を無視するわけにはいかないと気持ちを改めようとするが、どうしても1日の後半にはどっと疲れが出てくる。

さらに厄介なのが、「Hello!」「How are you?」という声だけならまだしも、その中に「Give me money!」「アズング!(白人、外国人の意味とされる)」の声が加わることだ。
ほとんどの子供たちはその言葉を、外国人を見たときの合言葉のように笑顔で口にする。それはインドや南アフリカで物を乞う子供たちから感じたような、鬼気迫る種類のものではない。
そのため、彼らの前を通り過ぎるとき胸が痛くはならなくとも、私たちを見ると反射的に「Give me money!」という子供たちに対して、どうしたものかと悶々とする日々が続いた。

過去にない、子供たちの私たちに対する強烈な反応。
なぜマラウィに入った途端、こんなにも物を乞う子供たちが増えたのだろうう・・・?
私とエリオットは不思議に思うようになっていた。
そしてその理由は、マラウィで時間を過ごすにつれ、徐々に明らかになり出した。

マラウィに来てから、村の人々の質素な暮らしとは似つかわない、新品の高級四駆車が頻繁に通り過ぎていくのがよく目に付いた。今までだと、このような四駆車に乗っている人のほとんどは観光客だったが、マラウィで見る四駆車には観光客らしい荷物が1つも載っていない。
その後、車を注意深く見てみると、ほとんどの真新しい車のドアには、ボランティアやチャリティ団体のロゴが記されていることに気が付いた。

マラウィの首都リロングウェに着くと、さらにその実態が見えてきた。
キャンプサイトで知り合った欧米人の何人かと話をしてみると、その多くがボランティアやチャリティ活動のためにマラウィを訪れていた。
短期で学校を建設しに来たというアメリカ人の若者たち、衛生指導を1年間していたというイギリス人の女性、井戸のポンプを作ろうとチャリティ資金を募る旅人など、その目的や意図は様々だ。
なかでも興味深かったのが、チャリティ活動のためニューヨークから3週間マラウィを訪れたという50代の女性だった。彼女はチャリティのメンバーと共に、幼児学校や野菜畑を作ったり、子供たちに絵を描く楽しみを教えていたという。そして彼女はかばんを持っていない子供たちのために、スクールかばん200個と、絵を描くための大量の画用紙を個人資金で提供したというのだ。

その話を聞いたとき、今までの「Give me money!」の子供たちの声が、自分の中でしっくりときた。
たくさんの外国人が、マラウィの人々に何かを「与える」ためにこの国に来ている。私とエリオットが自転車に乗ってようと、ボランティア団体の車に乗っていようとそれは関係なく、外国人=なにかくれる!お金を持っている!と子供たちが単純に捉えてしまうのも無理がないように思えた。
その後、リロングウェから移動して南下していくと、世界各国の政府やボランティア組織が行った援助活動を表示する看板が、ありとあらゆる場所に建てられているのを目にした。数十年前に建てられほったらかしにされた看板から最近のものまで、その数はあまりにも多く、私たちは驚きを隠せずにいた。

先進国が行ってきた数多くの援助は、マラウィにどんな影響を与えているのだろう?そう疑問に思っていたとき、私たちはマラウィで25年間子供教育に関するボランティア活動を続けているアメリカ人の老夫婦に出会った。
彼らは25年前、1年間だけのつもりでマラウィを訪れたのだが、結果的にその後もマラウィに住み続け、80歳を過ぎた今でも現役で活動を続けている。その献身的な活動と、彼らのマラウィの人を心から愛する姿勢には本当に頭が下がる。
彼らの話によると、二人がマラウィに訪れた当初は、子供が物を乞うことはほとんどなかったようだ。

物を乞う文化は、与える側が存在することで出来上がる文化だと私は思っている。例えば、食べ物を育てようとする人に種や肥料を買って与えることは、一時的には彼らに食べ物を与え、喜びを与えるかもしれない。
だけど食べ物の育て方やその必要性を分かち合わず、ただすべてを与えてしまうことは、長い目で見るとあまり良いとはいえない影響を地元の人々に与え、最終的にまた原点へ戻ってしまうような気がしてならないのだ。

はじめに書いたように、マラウィには至るところに家があり、人がいる。
そのため、人目に付かない場所を見つけてテントを張り、一晩明かすことはここでは不可能に近かった。しかしそれでも自転車でゆっくり旅をしている以上、寝床は見つけなければならないので、私たちは個人の家や教会を訪ねて、テントを張らせてもらうことにした。

丸1日自転車を漕ぎ、太陽もそろそろ傾きだしたある日。家の外で自転車を修理している男性が私たちに挨拶をした。毎日何十人ものすれ違う人と挨拶を交わしていると、人柄というものは顔に滲み出るものだと実感する。
その男性の笑顔は、「この人が悪い人なわけがない!」と思わせるような、優しさの滲み出る笑顔だった。
私とエリオットはすぐに顔を見合わせ、その晩彼の家の敷地内にテントを張らせてもらえないかと尋ねることにした。
私たちが自転車を引き返し、彼の家へ近づくと、彼はそのままの笑顔で私たちを出迎え、「No problem!」と言って、私たちのお願いを快く承諾してくれた。

家の前を通り過ぎたときは、「Hello! アズング!」と大声で叫んでいた子供たちも、私たちが彼らに近づくと急にシャイになり、ある程度の距離を保ちながら私たちの様子を黙って伺っているのが可笑しかった。(少し慣れて一緒に遊び出すと、すぐに人懐っこくなったのだけれど。)

私たちをあたたかく迎えてくれたクリストファーは、家の前にある彼の土地の赤土からレンガを作って生計を立てている。もちろん彼の家もレンガ作りで、素朴ではあるもののとても立派な家だった。
また家の前と裏にある庭では家族で食べるとうもろこしと豆を育て、その上を放し飼いされたにわとりが歩き回り、敷地内の一番奥にはクリストファー自身が2ヶ月かけて掘ったという深さ10mの井戸があった。

家、職、食べ物、水のすべてを自身で補う彼の家族の暮らしは、私たちの目には何の問題もないように映った。
だけどもし、別の角度から彼らの暮らしを見てみるとしたら。
彼らの家にはお風呂がなく、お湯はいつも焚き火で沸かさなければならない。また井戸の水は赤い土の色をしていて、完全に透明な水ではない。さらに言うと、子供たちはぼろぼろになった穴のたくさん空いた服を着ている。
一般的に、これらは私たちの社会からすると、結構な問題点かもしれない。だけど彼らの社会だと、それは取り立てて問題ではないのではないか?と1日彼らと過ごしてみて思った。

末っ子の女の子は、私たちに切り株の椅子を運んできてくれ、真ん中の女の子は、朝食の焼き芋を私たちに分けてくれた。そして長男の男の子は、遊んで土まみれになったエリオットの背中を丁寧に叩いてくれ、クリストファーは私たちが持っていた果物あげた代わりに、彼が育てたピーナッツをたくさん持たせてくれた。

マラウィは、アフリカの中で最も貧しい国とも言われている。
だけど、たとえ彼らの暮らしが世界の基準よりはるかに貧しいとしても、彼らの心は貧しくなんかまったくないのだ。

太陽のように明るく朗らかな笑顔をもつマラウィの人々に、私たちができることは?そして彼らから学ぶことは?
今日も多くの人々とすれ違いながら、そんなことを考えている。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

いい旅をされてますね。日本というせまい地域と文化にどっぷりと浸っていると、自分たちと違う生活や人々にどうしても違和感を覚えてしまいますが
実際に出会って、なにがしかのコミュニケーションがとれたりすると、人種や文化を超えた人としての在り方に思いが行くんでしょうね。人が生きていく上で、何が心地よくて、何が大切か、何に価値があるか。こうじゃなきゃいけないと決めつけるのではなく、これもいいねって、懐が広くなる生き方をしてみたくなりました。いいお話をありがとうございました。

by まつぼっくり - 2015/09/23 1:04 PM

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Mayu Rowe
Mayu Rowe

ロウ 麻友 / 旅するデザイン・ライター。1986年生まれ、大阪出身。20歳でインテリアデザイナーとして社会に出た後、活動の場を広げるため渡英。そこで現在の夫と出会い、一歩踏み込んだ旅へと魅了されていく。彼と共にヒマラヤ登山、日本ヒッチハイク縦断などの旅を終えたのち、南アフリカへ移住。しかし2015年春、南アフリカ生活にピリオドを打ち、自転車でアフリカ大陸縦断の旅へ出る。

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