salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

WHERE IS THE PATH IN THIS TRAIL? 〜わき道へ一歩、逸れた世界〜

2015-01-5
彼との出会いはスピリチュアル

人は今も昔も、目に見えない事象や科学的にまだ説明のつかない出来事に、理由なく惹かれる資質があるように思う。パワースポット、オーラ、占い、精神世界、、といったスピリチュアルな考え方や物事は、世界中どこへ行っても形を変えて存在する。私はそのいった事柄に感覚的には惹かれるのだが、実際あまりピンときていないというのが本音だ。しかしバックパックを背負ってラフに旅をしていると、自然とそういった考え方を強く持つ人や、儀式(?)に出くわすことが不思議とよくあった。

そんなエピソードのひとつとして、デンマークに住む友人を訪ねたとき、その友人宅へ着くや否や、「今晩、ネイティブアメリカンのファイヤーダンスがクリスチャニアであるらしいから、一緒に行こうよ」との謎の誘いを受けた。クリスチャニアとは、もともと軍の所有地であった土地にヒッピーが移り住みコミューン化したヨーロッパの中でも特殊な地区だ。内容はさっぱり不明だが、とにかく響きが面白そうなのでその晩彼に付いていった。街灯もほとんどない路地を進むと、小さな炎が見えてきた。ファイヤーダンス!…と思いきや、それはごく普通の焚き火で、10人ほどの人々がその焚き火を囲んで座っていた。聞くと、ネイティブアメリカンによる火を使った儀式だと言う。ファイヤーダンスは友人のとんだ勘違いだったのだが、せっかく来たのでその儀式とやらの円に私たちも混ぜてもらった。しかしその後すぐ、そのことを強く後悔することになる。デンマークの12月の夜の気温は氷点下、しかも湖のほとりというロケーションだったため冷たい強風が吹き荒れていた。また運悪く私たちの座ったポジションは焚き火の煙がちょうど当たる所で、目からは涙が止まらない。だが途中で抜けられるような雰囲気でもなく、もうおいとまさせてもらいますと意を決して言うまで3時間近くかかった。がくがくと震えが止まらず、手と足の先の感覚は完全になくなっていた。他の参加者は儀式の後清々しい様子で去っていったが、私たちは寒さと苦痛に耐えることに必死で、儀式というよりも修行に近い、ある意味貴重な体験となった。
またインドでは、至るところでヒンドゥー教寺院に連れていかれお祈りに参加したり、瞑想をする機会があった。そしてヒマラヤ山脈では苦行を続ける様々な修行僧と出会い、不思議な時間を共に過ごしたりもした。

どの経験も神秘的でとても興味深い世界なのは確かだが、そういった体験をすればするほど、どこか周りを冷静に客観視している自分がいることに気が付いた。その時々の環境や他者からの一時的な影響で、その道へすんなり導かれることはとても難しい。そして、自らの身に論理的に説明できない何かが実際に起こったり、目に見えない何かがはっきりと見えるまで、スピリチュアルの世界は私の中にしっくり溶け込まないだろうと思った。
しかしそんな私でも、見えないパワーが確かに存在するだろうとすでに体感していることが1つだけある。それは人と人とを引き合わせる、出会いのパワーだ。
通りすがりに出会った人と深い関係を築くことになったり、思わぬ人と国境を越えた場所で再会したり、そんなこと起こりうるのかと思うほどの不思議な巡り合わせを数々体験した中で、出会うべくして出会う人というのは世の中に存在するのではないかと感じるようになった。ロマンチックに言うと「運命の出会い」だ。私の人生を大きく変えることとなった大切な出会いの1つは、現在の夫、エリオットとの出会いだった。

5年前、私たちは、前へも後へも進むことができないほど人で溢れかえったロンドンのライブハウスで出会った。彼は私から数メートル離れた場所で、人目も身なりも何も気にせず、全身で音楽とその空間を楽しんでいた。彼があまりに楽しそうなので、こちらまで自然と笑顔になるほどだった。そして自然な流れで1分に満たないほどの短い会話をその場でした。その時の私の英語力はまだまだ乏しかったので、彼が何を言ってるのかほとんど聞き取れなかったのだが、相変わらず身振り手振り使って楽しそうに話す彼を見ているだけで笑いが止まらなかったのをよく覚えている。それが私たちの、短い短い最初の出会いだった。
外国人と付き合うと、文化の違いで大変じゃない?と聞かれることがよくあったが、私は「外国人だから」という理由で大変と感じたことはない。確かに生まれ育った環境や習慣は大きく違うがそれがマイナスには働かず、逆に新たな発見や視野を広げるきっかけになった。自分の慣れ親しんだ文化に固執するのではなく、いいなと思う方にお互いが順応していく。それは日本人同士であってもきっと同じことが言えるだろう。
しかし国籍が違うと常にまとわりつくのが、ビザの問題だ。私のイギリス滞在ビザが切れるとき、まだ結婚という決断に至らなかった私たちは否応なしに遠距離での関係を始めることになった。初めのうちは会えないことが辛かったが、一度離れてみて自分と彼との関係性を改めて見直してみると、私はロンドンでいかに彼に頼って過ごしていたかに気付くことができた。週に1回話すか話さないかくらいのわずかなコミュニケーションでも、お互いの辿っている道が同じだと体感できるのならば、距離は障害でも何でもなく、それぞれの存在価値を高めるいいキッカケになるものだと知った。
そうは言っても終わりなく遠距離を続けるわけにもいかないので、次は何処で会おうかと話し合っていたとき、イギリスー日本間の航空券は高額なので、どこか中間あたりで会おうかということになった。世界地図を開くとそのちょうど真ん中あたりに、私も彼も興味があったインドがあった。そうして私がイギリスを去ってから10ヶ月後、お互いさっぱりと仕事を辞めて、イギリスとも日本とも全く似つかない国、インドで再会をした。そこで離れていた二人の時間を埋めるようにインドでのんびり優雅に過ごした、ということはまったくなく、インドにいた3ヶ月間のほとんどをヒマラヤ山脈で過ごした。そして電気もガスも水道もない標高5000mというかつて経験したことがなかった過酷な美しい世界で登山をしている最中、エリオットのメールボックスには新たな仕事のオファーが舞い込んできていた。その勤務先は、地球の裏側、南アフリカ共和国。アフリカに長期で住める機会なんて、人生でそう何度も訪れるものではない。インドの旅からエリオットと共に日本へ帰国し、私たちは南アフリカ行きと結婚を決意した。

出会ってから5年経った今、こうして私は南アフリカにいる。もし5年前のあの夜、あのライブハウスへ行っていなかったら。もし友達とのおしゃべりに夢中で彼の存在に気づかなかったら。今の私はいったいどこで何をしているのだろう?自然の流れに身を任せてここまで辿り着いたように思うが、今まで幾つもあった分かれ道を一度でも逸れていたら今の私はここにいなかった。そう考えると、人との出会いとは本当に不思議なものだ。
もちろん恋愛面の出会いに限らず、様々な人との出会いが日常のありとあらゆる所に溢れている。毎朝電車で見掛ける人やカフェで隣に座った人、そして毎日すれ違う無数の人々。目も合わさずただ過ぎ去ればその人は他人でしかないが、一言笑顔で言葉を交わしたならその人は他人ではなくなるのだ。そういった日々の生活に潜む素敵な出会いをできるだけ沢山見つけられるように、見えないパワーをフル作動させていたいと感じる。

あなたの毎日をよりわくわくさせる人との出会いは、意外と身近なところにあるのかもしれない。

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Mayu Rowe
Mayu Rowe

ロウ 麻友 / 旅するデザイン・ライター。1986年生まれ、大阪出身。20歳でインテリアデザイナーとして社会に出た後、活動の場を広げるため渡英。そこで現在の夫と出会い、一歩踏み込んだ旅へと魅了されていく。彼と共にヒマラヤ登山、日本ヒッチハイク縦断などの旅を終えたのち、南アフリカへ移住。しかし2015年春、南アフリカ生活にピリオドを打ち、自転車でアフリカ大陸縦断の旅へ出る。

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