2015-02-5
カメリの話
自分が面白がって話すことは、他人をひどく退屈させるものなので、これまで固く口をつぐんできたが、僕は2013年の9月から亀を飼っている。名前をカメリという。
亀のことをまったく知らない人は、ガラパゴス諸島のロンサム・ジョージも、足がヒレのようになっている竜宮城の使いも、みんな同じようなものだと思うかもしれないなので、ここで少し説明をしておくと、僕が飼っているのは、リクガメでもウミガメでもなく、池や小さな川でわりとよく見かけるクサガメという種類の亀である。
と、ここまで紹介すると、「ああ知ってる!お祭りの屋台でよく売ってたやつね」と懐かしそうに相好を崩す人がいるが、あれはミドリガメだ。生息地はだいたい同じだが、彼らは外来種で、カメリとは種類が違う。
亀は、トカゲやヘビと同じ、爬虫類である。人間のように自分で体温を一定に保つことができないので、冬場はヒーターが必要になる。自然界では気温が下がると冬眠してしまうそうだが、春まで会えないのはあまりにもさびしいので、僕のうちでは150ワットの水中ヒーターを使って、27度の水温を保っている。おかげで冬場の電気料金は、軽く1万円を超えてしまったが、しかたない。
カメリは、プラスチックの衣装ケースの中で暮らしている。ケースの中には、レンガを積み上げて甲羅干しをするための陸地をつくり、15センチほどの深さで水を満たしている。定位置は、午後の光が射し込むベランダの近くで、僕の仕事机の隣、というか足もとだ。
亀は基本的に人に懐くことはないが、環境に慣れる。だから、なんとなく僕の気配をおぼえていて、餌をくれということなのだろうか、一日中僕のことを見上げている。そのたびに僕はカメリに話しかけたり、即興でつくった歌を口ずさんだりしている。
先日、友人夫婦が芝居を観たいというので、彼らの2人の子供、4歳と10歳の女の子を預かった。これまで子供の面倒など見たことはないが、上の子はもう手がかからないというし、2時間くらいなんとかなるだろうと思い、僕は簡単に引き受けた。
僕は下の子の手を引いて、歩いて20分の図書館に向かった。子供の手はねっとり汗ばんでいて、ハナクソをほじった指先が触れるのは少し気持ち悪かったが、車の通りが激しい往来で手を離すわけにはいかない。とくに話すことがないので、僕は図書館を探しながら黙って歩き続けた。
図書館に着くと、上の子は児童書のコーナーに走り、下の子は紙芝居を読んでほしいと僕にせがんだ。静まりかえった館内で、声を出して読み聞かせるのは、とても恥ずかしかったが、しかたない。僕はよれよれになったアンパンマン紙芝居を3作、そして狼と七匹の子山羊を読んだ。
しばらくすると、下の子が「お腹が空いた」と言い出した。さっきいっしょにスパゲティを食べたばかりなので、空腹のはずは絶対にないのだが、機嫌をそこねて愚図られても困るので、近所のコンビニに連れて行き、お菓子を買い与えた。
公園に移動すると、僕は彼女の口にポイフルを放りこんだ。そのたびに「お腹が空いた」と必死に訴える子供は、衣装ケースの中で餌を欲しがるカメリとまったくいっしょだった。続けて、ビスケットやラムネを与えると、子供は感極まって僕に頬ずりをしようとした。僕はポケットティシュで子供の鼻水をていねいにふき取ってから、頬を差し出した。
子供をもった友人は、ほぼ例外なく、その喜びを最上のものとして語るが、どんなに想像力を働かせても僕にはよくわからない。だけど、それは亀を育てるみたいなものかもしれないと、僕はそのとき思った。子供とペットが同じだとはいわないが、社会的な意味や責任はさておき、注がれる愛情の深さはたいして変わりがないのだろう。
僕は、仕事の大先輩で友人の、中川越さんの言葉を思い出した。十年以上前、お世話になっていた会社の若手社員に初めての子供が誕生したときのことである。子供の名前を聞いて、僕が「おめでとう。僕の実家で飼っている猫と同じ名前ですよ」とお祝いを述べたら、後で中川さんに呼び出されて、こっぴどく叱られた。
2時間後、子供を親のもとに引き渡した僕は、ほっとした。肩の荷が下りるとはまさにこのことだろう。疲れがどっと出た。
僕は食事に行かないかと誘われたが、疲れがひどく、食欲もなく、カメリに無性に会いたくなったので、断った。別れ際、「ばいばい」という子供の声が聞こえたような気がしたが、僕は振り返らず、改札に向かった。
紙芝居に夢中になる、うたこちゃん
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