2013-09-3
ベトナムのハイさん その3
その姿は、50メートル先にあっても見まがうことはない。ホーチミン市の目抜き通り、ドンコイ通りの歩道にたたずんでいるのは、われらがハイさんである。僕が昨年プレゼントしたポロシャツは、ヴィンテージもののように色褪せ、着古されていたが、ハイさんはあいかわらず元気なようすで、周囲の人が振り返るほど大きな声で、「ハロー!マイフレンド」とがなり立てた。
ハイさんの登場は、いつも唐突だ。都合がよすぎる偶然というのは、たいがい安っぽいテレビドラマの中だけで起きるものだが、時間も場所も約束していないのに、ちょうどよいタイミングで目の前に現れる。
でも考えてみれば、友人の到着を待ちかねたハイさんが、朝からホテルの周りをうろついていたにすぎず、少しも偶然ではないのだが、ハイさんは初っ端から強烈な存在感を発揮してくれるのだった。
今回の旅は、最初の数日間だけ同行者がいた。僕のとなり町に住むマユミさんである。
マユミさんは、僕よりもほんの少し、実際はひと回りちょっと年上の、独身の女性だ。つきあいはそれほど長くはないのだが、近所に暮らすよしみで、なんとなく親しくなり、ひと月と開けずに、食事をしたり、映画を見たり、お酒を飲む間柄となった。
親しくしているにもかかわらず、二人の間に噂のひとつも立たないのは、マユミさんが男勝りのさばさばとした性格の持ち主だからである。本当は年相応に人生の辛酸を嘗め尽くしているのだろうが、子供みたいに奔放で突拍子もないところがあり、その反面、甘え上手でしたたかな計算が働くマユミさんは、僕といい案配に年齢が離れているため、ロマンスにもアバンチュールにも発展しないのであった。
そんなマユミさんが、僕のベトナム行きを聞きつけ、半ば強引に、私をベトナムへ連れていってほしいと甘い声で懇願したのにはワケがあった。5年前、娘が旅行したことがあるベトナムに行ってみたいのだという。聞けば娘の滞在先は、ホーチミン市内。それならばたいがいのところは案内できるだろうということで、僕が安請け合いしたのだった。
ハイさんと劇的な再会を果たした僕らは、あいさつもテキトーに切り上げて、市内観光に出発した。ハイさんには事前に話をしてあったので、段取りはばっちり。街歩きの手がかりは、地図でもガイドブックでもなく、マユミさんが日本から持ってきた数枚のスナップ写真だった。
ホーチミン市はここ数年で大きく様変わりしていた。フランス植民地時代の面影を残す建物は次々に取り壊され、近代的な外観の外資系のショッピングセンターやホテルが建ち並んでいた。僕らはまず、娘が滞在していたホテルを探した。
そこは街の中心にたたずむ、豪奢なホテルだった。ハイさんは目当てのホテルを見つけると、臆する僕らの背中を押して、ガサ入れにきた刑事のように、堂々とロビーに足を踏み入れた。最初は警戒心をあらわにし、怪訝な表情を浮かべていた従業員であったが、さすがにここはベトナムだ。わずか30秒の交渉で、宿泊客でもない僕らはウェルカムとなった。フロントの女の子の説明によれば、このホテルは2年前に改装し、看板も中国語から英語に表記を改めたとのこと。彼女はマユミさんの娘がロビーで写したスナップ写真を手にすると、懐かしそうに目を細めた。
「ここに写っているのは、去年アメリカに行ってしまった私の妹なんですよ。制服も昔のものだし、なつかし~!」
そんな裏話を聞かされても、僕はただ「へー」とうなづくしかなかったが、マユミさんは女子高生のようにキャッキャッとはしゃぎ、その姿を見たハイさんもさも自分の手柄のようにご満悦のようすだった。
僕はホテルの入口にマユミさんを立たせ、娘が写っている写真と同じ構図で記念写真を撮影した。ところが、撮影した画像を見て、僕は納得がいかなかった。画角もアングルもポジションも同じように撮影したはずなのに、印象がずいぶん違っていたからだ。目を凝らして写真を子細に観察すると、理由がわかった。ホテルのガラス窓に映る風景が変わっていたのだ。たしか以前このあたりには、コロニアル風の雑居ビルが建ち並んでいた。だけど今、ホテルの前には、銀座や表参道と変わらない、高級ブランドがひしめく巨大百貨店がそびえ立っているのであった。
僕らは、娘の足跡をたどるように、中央郵便局、サイゴン教会、ベンタイン市場といった市内観光の王道を巡り歩いた。そして写真と同じ場所を見つけると、マユミさんをモデルにして、母娘同じポーズの記念写真を撮り続けた。東南アジアが初めてのマユミさんの目には、見るもすべてが新鮮に映るのだろう。バイクタクシーの強引な勧誘や、観光客目当ての物乞いに対しても興味を示した。マユミさんは娘が行った有名なアイスクリーム屋で同じメニューを注文し、同じブティックを見つけて買い物にいそしんだ。
メンバーに女性がいるからだろう。特別なミッションを与えられたハイさんのガイドも、いつもより熱が入っていた。
マユミさんの夜の部の楽しみは、ビアホイでお酒を飲むことであった。ビアホイは数十円の予算で浴びるほどのお酒が飲める、エアコンのない大衆酒場で、かつては市内にたくさんあったが、最近は数えるほどしかない場所である。提供される飲み物は、ポリタンクにつめて1リットル数十円で売られているビールのような飲み物だけ。工場直売だというが、その味わいは水のように軽く、かち割り氷をジョッキに浮かべていただくのが地元スタイルなのであった。
好奇心旺盛なマユミさんは、日本にいるときからこのビアホイに強い関心を示し、そんな夢のような場所があるなら絶対に連れていってほしいと熱望していたのだった。
ただ、僕にはひとつだけ心配があった。それはトイレの問題だった。ビアホイでは男性は店の奥の、幅60センチくらいの隙間に体を潜り込ませて、壁に向かって用を済ませるのだが、はたして女性はどうするのか? マユミさんを連れていけばその謎がとけると思い、僕はあえて何も告げていなかった。
飲み始めてしばらくすると、案の上、マユミさんがトイレに行きたいと言い出した。しかし、女将(おかみ)に連れられて厨房の奥に消えたので、なんだフツウのトイレもあるのかと、肩すかしをくらったような気がしたが、実際はそうでなかった。
マユミさんがトイレだと案内された場所は、食器がうずたかく積まれた炊事場で、彼女はその隅にしゃがんでパンツを下ろし、小さな排水溝に向けて用を足したのだという。水はどうしたのかと聞くと、隣で野菜を洗っている女将が、シャワー付きのホースをよこしたそうである。
さすがはベトナム。ハイさんは「ワンダフルエクスペリエンス!」と叫び、僕らは声を上げて笑った。
マユミさんはバッグの奧から小さな包みを取り出した。それは、結婚披露宴のときの娘の写真だった。マユミさんは写真立てをテーブルの上に置くと、小さく乾杯のしぐさをした。マユミさんの娘、ユウコは、純白のドレスを着て幸せそうにほほえんでいた。
「ユウコがね。私をここに連れてきてくれたの」
マユミさんは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、笑った。
「あの子がもしここにいればね。みんなもっと楽しかったと思うの。母親の私が言うのも変だけど、ユウコはみんなに愛される、にぎやかな子だったのよ」
ベトナムはユウコにとって、独身最後の海外だった。ユウコがベトナムに遊びに来たのは、ほんの思いつきだったかもしれない。それがまさか数年後、母親が同じ街に押しかけてきて、ベトナム人のハイさんとビアホイで酒を酌み交わしているなんて、ユウコは絶対に想像がつくまい。
悲しみを残して、みずから命を絶つことを選んだユウコの心情を、会ったこともない僕がおもんばかることはできない。だけど、マユミさんと一緒にいると、ユウコの存在を身近に感じ、会ったことがあるような気になるから不思議である。
そんなマユミさんのユウコに対する想いは、どうやらハイさんにも伝わったようである。いつもよりちょっとだけおとなしかったハイさんが口を開いた。
「マユミ、生きることはつらいことだ。悲しいこともいっぱいあるだろう。だけど、これからは娘のために自分の人生を楽しんでくれ」
天井扇がブンブンとうなりをあげ、壁をヤモリが伝っていった。ハイさんの目に光るものを見た気がした。僕は見ぬふりをして、ジョッキを手に取り、氷が解けたあやしい液体をいっきにのどに流しこんだ。
泣きはらして目を真っ赤にしたマユミさんは、「おしっこ!おしっこ!」とおどけて2度目のトイレに立ち上がり、少女のように軽い足取りで厨房の奧へ消えていった。
旅の間中、マユミさんのヴォルテージはいっこうに下がることがなかった。午前中からソフトシェルクラブを頬張り、夕食はカエルの足やホビロン(孵化寸前の卵)といったゲテモノ料理に舌鼓を打ち、深夜の屋台では締めのフォーをたいらげた。出発前は彼女の語学力に不安をおぼえたが、やはり決め手は度胸なのだろう。僕なぞよりはよほど上手に、地元の人たちとコミュニケーションをとっているのであった。
そんなマユミさんの興奮は、帰国直前に訪れたハイさんの自宅で頂点に達した。マユミさんは、ハイさんの孫を抱きしめると、「ベトナム大好き。私はここで暮らしたい」と、世界中の誰にも伝わらない、英語まじりの日本語でまくしたて、缶ビールを次々と空にして、ハイさんの家族を驚かせた。ハイさんの娘と義母(ハイさんのガールフレンド)は、これまで出会ったことのない珍客に目を丸くしながらも、生後3ヶ月の赤子をマユミさんの胸に預けて、自分たちの夕飯を食べ始めた。いつも陽気なマユミさんだが、この日はいつにも増して幸せそうだった。
一方、僕はこれまで一度も味わったことのない倦怠感に襲われ、ハイさんの家のタイル張りの廊下に横にならせてもらっていた。僕にとってのベトナムの旅は、マユミさんが日本に到着した明日から始まる。だが、背筋に走る悪寒が何やら嵐の前触れのような気がして、僕は空港への見送りをハイさんに任せて、タクシーに乗って一人でホテルに帰った。
翌日、ハイさんからマユミさんを無事空港に送り届けたと報告を受けた。その後もマユミさんは上機嫌で、ハイさんのバイクの後部座席にまたがってサイゴンの夜を疾走し、エキサイトしていたという。
かくしてマユミさんのベトナムの旅は、成功裏に終わった。マユミさんが帰国した後、暴飲暴食につきあった僕は、体の調子が少しおかしくなり、旅の予定を大幅に変更せざるをえなくなったが、彼女が喜んでくれたので恨む気持ちにはなれなかった。
よほど楽しかったのだろう。マユミさんは来年の春に向けて、新しい旅の計画を練り始めている。次はカンボジアを経由して、ベトナムに行きたいそうだ。
「できたらハノイにも行きたいのだけれど・・・、コウタくん、ハノイってどこにあるの?」
ムードメーカーとしても役割をはたしながらも、ややこしいことはすべて他人に頼りきりのマユミさんのことである。きっと航空券や宿の手配は、僕にやらせようという魂胆にちがいない。
帰国後、マユミさんは日本語で書いた手紙を僕に託した。これを英語に訳して、ハイさんに届けてほしいという。
それは、こんな文章であった。
「親愛なるハイさんへ ベトナムでユウコに会えたような気がします。ありがとう。ハイさんのお宅から空港まで、バイクに乗せてもらったとき、15歳のときに亡くなった父の背中を懐かしく思い出しました。またベトナムに行きます。そのときまでどうかお元気で」
数日後、ハイさんから返事が来た。
「親愛なるマユミへ サイゴンでマユミがユウコに会えたこと、そしてお父さんを思い出したこと。私も同じようにうれしく、幸せに感じています。また会える日を楽しみにしています」
今度は僕が英語から日本語に訳して、マユミさんに渡した。
来年の春、どうやらまたベトナムに行かなければならないようである。
(つづくかも)
1件のコメント
一つの事実が語り部により物語となり、物語がやがて詩情をおび、詩情が胸打つ歌となる。そんなプロセスをほうふつとさせるお話でした。ハイさんも、マユミさんも、ユウコさんも、こうたくんも美しい。そして何よりも、この人々を結びつけたベトナムという国について、ぼくはどんな解説書を読むよりも、深く豊かに知り得たような気持ちになりました。四十二歳の夏休みにふさわしい、味わい深い休日のお話です。
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