salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

やすらかに生きたい

2016-04-5
きらいなもの苦手なもの

小さいとき、好き嫌いがたくさんある子どもだった。食べものの好き嫌いはもちろん、朝起きるのがきらい、保育園がきらい、男の子がきらい、トイレがきらい、大きな音がきらい、だから徒競走がきらい。当時は比較のしようもなくわからなかったが、苦手なものやきらいなものがたくさんある人生って、つらいかつらくないかと言えばたぶんつらいのではないだろうか。つらさ対策にこの人生の前半、きらいなものをきらいと思わない努力をしてきた気がする。きらいじゃないフリをするっていうのか、きらいじゃないと心のそこから信じ込むっていうのか。

果たして、保育園のあといくつかの学校に出入りしたり、男の子が苦手なのを忘れて恋愛に盛り上がったりなどしてたから、その対策はまあまあ奏功していたのだろう。キライ!を暴発させたこともたくさんあったけど。

しかし、その対策も耐用年数を過ぎたようで、ここんとこ、ちょっときらいなものに出くわすと非常にしんどいとか、きらいじゃないと思いこむなんてウソっぽくていやーなどの症状が出てきていた。ウソはむなしさの母だ。父と言っても過言ではない。そんなふうにウソの母性父性について思いをめぐらせていたわたしの暮らしに、ひょんなことからとある苦手できらいなものが登場、ウソは母でも父でもどっちでもよくなるくらい、ひどく動揺させられた。

そういうことならと思い、ちょうどいいから考えてみたのだ。あれしきの苦手度きらい度なのに、こんなに揺さぶられてしんどいのはなんでなんだろう。思いついたことがふたつみっつあった。

「きらい」にとどめておけばよいものを、それは悪いことだと強固に思っている。親や学校から聞かされたことをよーく真に受けたんだね。さらに、その「悪い」ことをしている友だちたちが楽しそうに盛り上がっているのがうらやましくて、一緒に楽しめないことがさみしくて、その輪に入れない自分をダメな人間だと責めてもいた。

ほかには、投影というものにもヒントがありそうだった。いくつかパターンがあるらしいが、たとえば、他人の気になるところは自分の内にある認めたくない面が写しだされているのだといった考え方だ。

これらの思いつきとともに見直してみた。このたび出くわした私のきらいなもの苦手なものというのは陰口だったんだけど、つまり、私、ほんとは思いっきり湿気のあるどろりとした悪口を笑顔の裏で延々と上手にまきちらせるタイプなのかもしれない。でも、それを悪だとする価値観はそんな自分を許さない。そんな自分がいることを表に出してはいけないと否定して、自分を責める。しんどさはそんなところから生じてきたのかもしれない。

また、わたしが陰口をあまり言わないようにしているのは、善良さからというより、教えられた「それは悪い」っていうだれかの考えを鵜呑みにしていて「悪い」ことをするのがこわいだけ、そして、陰口が見せる人のこころの本質的な揺らぎがこわいだけだと思えてきた。そうだとしたら、よどみなく上手に陰口をたたける人というのは、与えられた教育に染まりきらない強さをもった人々、こわさに動じない勇敢な人々、あるいはそのこわさ以上に他人や自分を、人間の善のようなものを、強く信頼している人々ともとらえられる。自己肯定感すら漂ってる。

一方、そこにためらいを感じるわたしという人間は、じぶんを、他人を、ちょい飛躍するけど言うなれば生命というものを、信頼していないということになりはしないだろうか。合点がいく。そして、そんなのは、もうイヤだ。わたしも、なめらかに陰口をたたきたい!じゃなくて、わたしも人を信頼して生きていきたい!

そもそもが、それってほんとに「悪い」ことなのかどうか。もしかしたら、人というもの生きるということへの信頼があれば、陰口なんてただの言葉遊びみたいなものなんじゃないだろうか。そうだ、言葉遊びによって人の価値が損なわれることなどないんじゃないだろうか。そうだ、きらいはきらいで良いんじゃないだろうか。そうだ、わたしの「きらい」「苦手」で傷つくひとやものなんて、ほんとはなにもないんじゃないだろうか。そうだ、そういう世界を生きていきたい。

そんなわけで、わたしは、わたしのきらいなものや苦手なもの全般にたからかにほがらかに、いまお伝えしたい。これまでながらく、わたしはあなたがたの存在をなきものにし、目を背けてきたけれど、もうやめますね。これからは、ちゃんとフツーにきらいでいます、落ちついてイヤがります。気が向いたときには接近すらします。そして、そのようにして、わたしのきらいなもの苦手なもの全般よ、わたしと一緒に手に手をとって、信頼とかいうものを生きてほしい。信頼の大地でともに踊ってほしい。

(うん!)

彼らはきっと、そう受けこたえてくれたと思う。根拠がなくともそう信じることがともに信頼を生きる第一歩ってものだろう。

こうして、きらいなものとの新たな関係作りを始めた2016年3月だった。スタートにはちょうど良いタイミングだね。なにしろ春だ。夜は何度も明けた。

今日のBGMは「花」(作詞:武島羽衣、作曲:滝廉太郎)で、お送りしました。
『げに一刻も千金の~、眺めをなににたとふべき~』
どなたか一緒にハモってください~。

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関口けりー
関口けりー

せきぐち・けりー/群馬県出身。会社員。金融機関、外資系メーカー、教育機関で働いてみて、会社員生活もそろそろ折り返し、さて、これからはどうしようかなとのんきに考え中。好きなものは踊り、温泉、早起き、手作りごはん。嫌いなものは期限、人ごみ、テンション高い人。将来の夢は海外と日本の半々暮らし。ちゃんとした人に見せること、とてもナチュラルで感じの良い笑顔が得意。ものごころついたときから、我、一縷のかたい絶望と共にあり。ほんのりパンク味。

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