2016-06-5
ゆっくりと朝に目覚める
もう1年近くになるだろうか、朝早くでかけるという目的のために月に何度か早朝の予定を入れている。朝がこんなに気持ちいいなんて、私はぜんぜんわかっていなかった。前回もちらっと書いたけど、小さいときから私はずーっと朝が嫌いだった。寝ていたいんだよ、どうかほっといてくれ。いつもそんな気分が心の底にあったのに、ずいぶん変わったなあ。
きっかけはハワイだ。多くの人々にとっての宝物たるハワイ。それについて少しでもなにかを書くのは気が引けるけど、仕方ない。かつてはハワイなどまったく興味なかったのだ。でも、あるとき急にどうしても行きたくなり、当時付き合っていた人を言いくるめてマウイへ行ってみたのだった。乗り換えのホノルル空港でそとの風に吹かれたら、あらびっくり、体が軽くなったような感じがして、その一瞬で気を許してしまったとでもいうか、ここはいい場所だと決めてしまったように思う。ハワイのやることなら間違いない、みたいな、なかば妄信。
最初は、朝のビーチのお散歩はさぞ気持ちいいだろうなー(しないけど!)、朝サーフィンは楽しいだろうな(しないけど!)といった調子だった。ハワイをもってしてもこの身に朝の良さを浸透させるには、そこから10年近くの時間といくつかのステップを要する。
数年後、趣味の仲間と初めてワイキキをおとずれたとき、その最終日はフライトのせいで夜明け前に起きなきゃならなかった。団体旅行のハードなツアーで疲れもたまっていただろう。ねむい。が、前夜、友だちと朝のビーチへ行こうと盛りあがってしまったため、しぶしぶ起床し、まだうすぐらい道を歩きだした。ほどなく街頭は消え、なごりの月を浮かべたまま空が色を変えていく。ビーチ前の大通りに出て、そして、そしたら、そのおだやかさときたら。観光地の商業的な雰囲気に飾られた顔しか知らなかったので、ギャップがあざやかに響いてきた。俗な景観だからこそ、朝の空気がその場を清めていくさまがきわだって、わたしの目でも見てとれたのかもしれない。わずか15分くらいのことだっただろうか。ハワイの朝ってほんとにいいんだなーってことがカラダに刻まれた。
さらに時は流れてそのまた数年後。言いくるめて同行させる相手はおろか、急なプランに都合の合う友達も家族もなく、一人でハワイへ行った。せっかくだから海からの日の出を見たい。いつもの朝のわたしにはありえない行動力で、夜明け前に起床して車で出かけた。しゃべる相手がいないから、ただ見ているしかない。ひたすら見ていた。そんなことを何日か続けた。わたしの人生が朝の良さとともにあってよいとしっかり定まったのは、このときだったはずだ。のちのち振り返ってわかる、後戻りしない一線をこえたとき。
そして、先日。わたしが住んでるところは、下町というか猥雑なまちで、駅の向こうの俗ぽさはワイキキの比では、ない。朝6時過ぎでも居酒屋では長い夜が続いており、最後の力を絞り出すようにうたうカラオケが聞こえたり、路上では男女の駆け引きなんかも見られる。ふと、そんな情景を横目に見ている自分のほうへと意識を戻してみた。わたしは、朝日でふくらんだ空気につつまれて歩いていた。あの朝の大通りを思い出した。海からのぼる太陽も。人の暮らしにつきものの垢を洗うように、その場を元の状態に戻すように、朝がはたらいている感じ。
ハワイや海などの場所という制約や旅という非日常の要素によらず、自分のいつもの生活にあのときと同じ朝の気持ちよさを体感できたことがうれしかった。
もうすぐ梅雨で、夏で、そして秋や冬。どの朝にも同じさわやかさを見いだせたら、すごく快適で便利だろうと思う。どこでもドアを手に入れるようなもんだ。、、、なんだろ、急に、ドラえもんがいなくなったときに自分の力でがんばると決めたのび太を思い出した。このトピックの裏テーマは、自立だったのかもしれない。
今日のBGMは「椰子の実」(作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二)でお送りしました。思いやる八重のしおじお、いずれの日にかくににかえらん。
初めて見た海からの日の出
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