salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

やすらかに生きたい

2016-01-8
しあわせのもと、大盛りで

暮れの冬至のとき、趣味関連のとても特別なできごとが続いた。私の中ではそのときに1年の区切りがついてしまったようで、今年の年明けは気持ちがさほどあらたまらないままに過ごした。冬至のすぐあとのクリスマスなんて、「あれ?まだやってたの?」などと思う始末。大晦日に実家に帰省し、紅白を見終え、ようやくお正月を迎えたときには、なんだかもう間延びしてしまって。さらに、今年はカレンダーの並びが悪かったから、3日には仕事始めの空気におおわれて、浮いた気分もたちまち収束。なんだろ、この平常心は。

前回、絵馬におまかせした願いごとは水面下で展開されているらしく、外的環境にこれといった変化はない。年末年始を経て引き続き、おだやかでやすらかな日々が繰り広げられている。具体的には、心配や不安、不満、後悔などについやす時間がへり、腹が立っても長く続かないし、泣くのもうれし涙がふえた。トシのせいではないかとも思うが、いや、きっと、それだけじゃない、なんか違う気がする。しあわせだなあって満足するだけではなく、よーし、もっとしあわせを感じちゃおっかなという意欲がわいてきているのだ。意欲というと綺麗すぎて抹香くささに寄るから、欲と言おう、欲望だ、生きることへのナマナマしい欲望がカラダのうちからフツフツとわいてきているのだ。

わたしのしあわせはまだまだこんなもんじゃないんだぜ!とか、思ってみている。こなれてないでしょう。無理もない、こんなの、わたしが知っていた私らしさからは、かなり距離のある言葉だもの。新しいわたしだ。新たな自分を知るって、おもしろいですよね。そういえばわたし、「自分を知る」っていうの、すごく好きかもしれない。勤務先のなにかの研修で、自分の働く目的について書き出して数人でシェアするってのがあり、その場面でわたしは、「仕事の目的のひとつは自分を知ること」と書いて、みんなに言って、自分で「ほう!」と思ったことがあったな。趣味と言ってもよいかも。

その「自分を知る」取り組みに関しては、ここ2年くらいでだいぶはかどった感がある。ほら、中年クライシスで自分のことを結構考えましたからね。ささいなきっかけで自分の中にあるちょっとした欲望や忘れていた感情がよみがえることもしばしばあったし、あとは、私はいろんな刺激に中毒して感覚が麻痺していたのだなという発見などもあった。自分の感覚は麻痺していると認知したこと。これ、けっこう、ずしりと、長く、響いている。これは生きてくうえでの基本にかかわることであり、のちに振り返れば大きな転換点になっていくと思う。

良いとされてるものもそうじゃないものも、ひとしくただの刺激として見てみる。心身は思いのほか素直で、そうした刺激をすべて吸収し、浸透させていく。ビールやワインなどのお酒が好きなこと、さまざまなおいしい食べ物、素敵な場所、音楽、まちが織りなすさまざまな音といった外側からくるものや、人間関係の悩み、仕事の目標や課題、加齢をうれう女心、よろこび、かなしみ、さまざまな興奮や感情などの内側の要素。たえまなく与えられるそうした刺激に、いつのまにか感覚は麻痺するにいたり、それに無自覚なわたしはより強いものを求めていたんじゃないだろか。微細な刺激だって快のもとなのに、それを受容できなくなっていたんじゃないだろか。。。

そう思うようになってから、わたしは、自分の感覚に繊細さを取り戻そうと努めているつもり。意識できる範囲で、そのときのお好みで、内外の刺激を減らしてみている。そういや、その成果か、元日に行った実家近所の日帰り温泉で、いくつかあるお風呂のうち、どれが温泉なのか沸かしただけのお湯なのか、ちゃんと当てることができた(人並みの感度か?!)。食べ物のまずさやものの質の悪さも判別がつきやすくなったようで、不快な経験もふえた。快・不快の素である刺激をよりオープンに受け入れようっていうのだから、当面、両方増えるのは仕方ないことだと思っている。

刺激。

そうだ、刺激と言えば、今年は趣味関連で、数年に一度の発表会が予定されており、かなりの刺激がわたしをおそうこととなる。すでに昨秋以降、わたしのボディ、マインド、ソウル、そしてお金が、3月のそこへフォーカスを向けてきており、いよいよこれから仕上げの時期に入っていく。んー、考えるだけで緊張。だー、緊張する。やー、この調子じゃ、あと2-3週間もして発表会が近づいてきたら、取り戻した繊細さを駆使して、バキバキに緊張感を高め、そのストレスに翻弄されるにちがいない。そして、終わったあとは弛緩し、解放感にたっぷり身をひたして、冷めやらぬ興奮にワケの分からない涙を流すことになるだろう。大好きな人々と抱きあってうれし涙に暮れることも見込まれる。恥ずかしい、恥ずかしいですとも。ここまで見えていて、なのになお、本気で緊張してしまい、本気で泣いてしまうだなんて。けど、どうしてもやってしまうだろう。本気で、フレッシュな本気で。

なるほど、そのふり幅を楽しむための平穏なお正月だったのかもしれない。わたしにとっては、平穏が続くことがしあわせってわけじゃなさそうだ。おだやかさから不快なほどの緊張へ、その極と極のふり幅は大きくてよし、ブレてよし。そうして快不快のもとたる刺激全般を受け入れる器の幅が、奥行きが広がり、それに比例して豊かさが、つまりはしあわせがふくらんでいく。そんな仕組みなのかもしれない。ぼんやりしたお正月も3月に見込まれる恥ずかしい涙も、結局、しあわせのもとなんだ、そうなんだ。

ああ、今日もまた、やすらかに生きてしまった。

今日のBGMは「いい湯だな」でお送りしました。『ババンバ・バンバンバン(ア~ビバノンノン) だれが歌うか八木節が』(作詞:永六輔、作曲:いずみたく)。明日もあの天然温泉の露天の湯船には、なめらかな湯がそそがれ、ゆけむりが水面をすべることでしょう。

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関口けりー
関口けりー

せきぐち・けりー/群馬県出身。会社員。金融機関、外資系メーカー、教育機関で働いてみて、会社員生活もそろそろ折り返し、さて、これからはどうしようかなとのんきに考え中。好きなものは踊り、温泉、早起き、手作りごはん。嫌いなものは期限、人ごみ、テンション高い人。将来の夢は海外と日本の半々暮らし。ちゃんとした人に見せること、とてもナチュラルで感じの良い笑顔が得意。ものごころついたときから、我、一縷のかたい絶望と共にあり。ほんのりパンク味。

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