salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2018-10-5
ああ、自己肯定感

自己肯定感。
とりとめが無くなるけれど、いつかは書きたい、書かねば・・・と思っていたテーマだ。

私が個人のコンサルティング経験10年間の中で見出したひとつの結論があって、それは、
「どんな環境に居ても、どんな能力を持っていても、健全な自己肯定感があって、ポジティブ・シンキングが出来ないと、人は生き辛い」
ということ。

「あなたの、その顔とその脳みそがあれば、私なら世界制覇しますよ」
と言いたい位の頭の良さと美貌を持つ女子でも、自己肯定感が低く、ポジティブ・シンキングが出来ないために、不幸の底に沈んだままなかなか浮かんでこない、という例は山ほどある。

こういう人は、
●人と比較すること
●自分の負の側面“だけ”にスポットライトを当てること
が得意なのも特徴だ。

あの人はあんなに〇〇が出来る、あの人は◇◇していて楽しそう、あの人は▼▼をあんなに持っている・・・
上を見たらキリが無いのに。
世界トップレベルのモデルの様なナイスボディと美貌を手に入れて、IQも150を超えて、ビル・ゲイツくらいビジネスに成功して世界を動かせれば満足するのかな?

でも、人から見てどんなに羨ましい環境に居ると思える人でも、その内実はハッピーじゃない、なんて例はいくらでもある。
例えば、つい最近もブラジル出身のスーパーモデル、ジゼル・ブンチェンが「パニック障害に苦しんで、自殺したいとまで思い詰めたことがある」とカミングアウトした様に。彼女は「世界で最も美しい女性」と言われて、旦那さんはトップアスリート。でも、幸せかどうかを決めるのはそういうことではない。

逆に、自分より恵まれない境遇の人のことは考えないのかな?
北朝鮮の一般庶民、ロヒンギャ・・・多くの国を追われた難民、日本国内にだって、貧困に悩む人は沢山。
毎日平和な環境で、安全に、三食ちゃんと食べられるだけでも幸せなはずなのに。

私は〇〇が出来ない・・・▼▼が苦手だ・・・
自分の負の側面にスポットライトを当てるのは、悪いことではない。
自分の課題を見つけて、それを改善していくモチベーションに繋がるからだ。
大体、そこに気が付くだけ、賢い。
そして、自分の課題の改善に向けて努力して、成長することが出来たら、それはとても素晴らしいこと。
逆に、これが出来ないと一生進歩しない人間になってしまうから、成長していくためには必須の思考でもある。

問題は、自分の負の側面「だけに」スポットライトを当てることだ。
負の側面を見る以上に、自分の出来ることに、どんな小さなことにもスポットライトを当てて、「私ってえらい!」「私ってやるなぁ!」って褒めてあげて欲しいんだけど、これが苦手な人が実に多い。
勿論、自己満足だけじゃなくて、人からの承認や称賛も、客観的な自己肯定感を育てるのには大事なこと。
でも、自分のことを一番大事に出来るのは結局自分なのだから、植木鉢に水やりをする様に、定期的に褒めてあげて欲しい。
でないと、自分を褒めてあげられない人は、人のことも褒めてあげられないことが多いので、こういう負の連鎖は広がってしまう。

つい先日、地元友達のMさんに頼まれて開催したキャリアのワークショップでも、ためしに自己肯定感について聞いてみたところ、皆さん一様に「私、低いんです」とおっしゃる。
そんなに何も出来ないのかな、達成感を味わったことが無いのかな?と訝しく思いながらワークショップを進めていくと、「ちょっと、さっき言ったこと、詐欺でしょ!」と文句を言いたくなるくらい、ステキな個性と多様な得意技を持ち、ちゃんと客観的な評価も得られている。結局、無自覚なだけだった。そして、彼女たちもとても賢い余りに謙虚で、人と比較し過ぎて、自分の負の側面「だけ」にスポットライトを当てて、クヨクヨしていた。
だから、「そこ、人と比べる必要あります?」と問いつつ、ワークシートに言語化された、彼女たちの素晴らしいところを一つひとつ皆で再確認することで、ご自身の魅力を自覚していただくことに務めてみた。

何故、自己肯定感が低くなるのか?
何故、ポジティブに考えられなくなるのか?

その原因については、色々な見解がある。
●親とコミュニケーション不足だった
●親に褒められていなかった
●他者と比較されて育った
●理不尽な叱られ方をしてきた
●友達からイジメを受けた、友達に嘘をつかれた
●過去の失敗体験から

確かに、幼少期に一番接点のある、親を含めた近しい人の声かけの影響は大きいかもしれない。
「あんたはバカだから」「あんたはダメだから」と毎日言われて育ったら、そう思いこんでしまうかもしれない。ふと、ドロシー・ローノルトさんの『子どもが育つ魔法の言葉』を思い出す。

「『かわいそうな子だ』と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは『自分は悪い子なんだ』と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ」

でも、もし親とのコミュニケーションが何らかの事情で薄かったとしても、近しい大人から温かい愛情を注がれたら、自己肯定感を育むことは可能だと思う。
最近、インドに暮らしている多田千賀子さんが「インドは一億総子ぼんのう社会」という興味深い記事を書かれていた。インドでは、どんな子どもでも毎日周りの大人から「ラブユー!」と言われ続けて育つそうな。彼女のfacebookのスレッドでも、その子ぼんのう社会が育むインド人の圧倒的な自己肯定感の高さについて盛り上がった。
勿論、インドの人権意識がそこにちゃんと繋がっているかどうかは別問題なのだけど・・・
「最も有能な司会者は、日本人をしゃべらせインド人を黙らせる」
と言われるくらい、一般的なインド人のあの押しの強さは、圧倒的な自己肯定感が裏付けになっているのかも、と妙に納得。

一方で、原因のひとつとして挙げられる、理不尽な叱られ方や友達からのいじめについては、冷静に、公平に、客観的に分析する力があれば、自分だけが悪いと思い込まなくても済む。
過去の失敗も、失敗で終わらせれば失敗だけれど、そこから学べば成功の元。
決して自分を卑下し過ぎる必要は無い。

なんとなく、自己肯定感があるとポジティブ・シンキングが出来ると思っていたけれど、ポジティブ・シンキングができるから自己肯定感が育つとも言える訳で、相互に循環するものなのかも。

かくいう私、厚顔無恥が服を着て歩いていると言っても過言ではない位、自己肯定感がドッカリとある。
しかも、世界でTOP100に入るかもしれない、ポジティブ・シンキング。

ナンパ師は圧倒的なポジティブ・シンキングで、いくらナンパした相手から「うざい!キモい!」と振られても、「オレにあんなことを言うなんて、きっとストレスが溜まってたんだな。一瞬だけでも彼女のストレス解消に役に立って嬉しいな♪」なんて思えちゃう程、強いハートの持ち主だからナンパ師になれるらしいが、私も、それに負けないくらい、ノー天気でただのアホだと言えるかもしれない。

でも私は、幼少期を振り返ると、
●親とコミュニケーション不足だった
●理不尽な叱られ方をしてきた
●友達からイジメを受けた、友達に嘘をつかれた
●過去の失敗体験から
はいくらでも経験している。

特に母親は強迫神経症で、小さい頃一緒に遊んでもらった経験は殆ど無い。
私の友達と言えば本とお絵描きで、幼稚園にあがるまでは殆ど引きこもりだったことは前にも書いた通り。
そして、特別に有能でも、何でも出来る訳でもなく、出来ないことの方が多いことも、前に書いた通り。

それでも、何故この自己肯定感とポジティブ・シンキングを手に入れたのか?
キャリア・コンサルタントをする中で、そういう質問を受けることも多くなって、でも自分では上手く答えが見つからなくて、その答えを探したくて、たまたま知り合いに誘われた自己啓発セミナーに行ってみたことがあった。

そのセミナーは、米国では結構メジャーで、名の知れた企業が会社ごと取り入れていたりするので、安心して参加を決めたのだが・・・
エントリーした時、誓約書みたいなものを書かされ、その中に
「精神疾患に関する薬を飲んでいる yes/no」
「精神科に通っている yes/no」
などとあって、ちょっとビビった。

プログラムは朝8時から夜22時まで、3日間、ミッチリ。
参加者は200名近く、ひとつの広い会議室の中、ぎゅうぎゅうに隣り合わせで座って、ファシリテーターの導きに従って自分の経験や考えをシェアし合うのだが、どうも、参加者が皆暗くて変なことに気が付いた。
「死にたくて、何度もリストカットしていました」
「先週、刑務所から出て来たばかりです」
「親が憎くて仕方がありません」
なんて泣きながらカミングアウトする人も居て・・・
その中で、どうにも浮いている元気一杯の私。

昼休みに様子を探ってみると、私同様に浮いている人が数人。
その人たちと「これは一体何の集まりなんだろうね?」と話し合った。
既に、「ここに染まったら危ない」と思い始めてもいたのだけれど、結構なお金も支払ってしまったので、社会科見学的に最後まで頑張ることにした。

2日目。ファシリテーターから
「小さい頃から今までを振り返り、自分が人生を生きるために大事な武器を手に入れた瞬間はいつ、どんな時だったか?その武器は何か?を教えてください」
と問われた。
私は自己肯定感とポジティブ・シンキングを挙げ、
「それはかなり幼少期の頃だったと思うけれど、どんな時だったかは覚えていません」
と答えた。
ファシリテーターは、私の目を真っすぐ見ながら、こう言った。
「それは、貴方が思い出したくない位辛い出来事が合って、だからその無敵の武器を手に入れたんですよ」
するといきなり、私の目からは大量の涙が溢れだした。

自分でその現象に驚き、狼狽えたが、涙は私の意に反して30分位止まらず、尚私を困らせた。
自分では少し引いて、冷静さを保っているはずだったのに!
これは一体どうしたことだ!

悔しくて、悔しくて、このままで終わるものかと思って食い下がり、休み時間に個人的にファシリテーターに質問してみた。
「そのことについて、学んでみたいんですが、一体どんな本を読んでみたらいいですか?」
「哲学。『何故人は生きるのか』について、学ぶと良いでしょう」
え?私、そのことには、全然疑問を感じないんですけど・・・
そこで何となくいつもの冷静さを取り戻してしまい、後は普段の私に戻った。

結局このコースの主題は、
<生きるために不都合な自分の考え方の仕組み=思い込みを知り、それを全て手離し、新しい考え方にする>というものだった様だが、一種洗脳の様でもあり、誓約書の注意書きの意味も理解した。

最終日の3日目、最初暗かった殆どの人は泣きながら
「自分は解放された、明日から前向きに生きていける」
と喜んでいた。

私自身はもともと自己肯定感とポジティブ・シンキングを持っているので、
「そこまで恩恵を受けなかったなー、でもこんな怖い世界もあるんだなー」
としみじみしていたら・・・
最後の解散会に、参加者を祝福するために集まっていたこのコースの卒業生という怪しい人達が
「あなたは人並み以上に輝くものを持っている。この後のアドバンス・コースは不要だと思うけれど、更に上のリーダーコースを受けたらどうかな?私もリーダーコースまで全部受けたけれど、本当に素晴らしい体験だよ」
と誘ってきた。
どう考えてもその3コースコンプリートの人より今の私の方が元気一杯なので、
「いや、これ以上元気になって世界制覇とか企む様になったらいけないので、ここで終わりにしときます」
と断った。

その後、あのファシリテーターの言葉を突き詰めることはなく、あのコース経験は、私の単なるネタとなっている。あのファシリテーターの言葉は、もしかしたら真実かもしれない。でもそのことを突き詰める意味を、私は感じない。だから、やらない。

こんな奇妙な体験からも、10年間のキャリア・コンサルティング経験からも、この自己肯定感とポジティブ・シンキングのお蔭で自分が生きやすいということを改めて実感できる様になったので、そうなった原因はともかく、この幸運にひたすら感謝している。

では、今残念ながらそうではない人たちに、私は何が出来るのか?
私が参加したちょっと、いやかなり怖いコースに通わなくても、精神科やセラピーに通って認知療法を受けなくても、自分の力で考え方を少し変えていくことは出来るはず・・・
そう信じて、私の試行錯誤は続く。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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