salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2019-01-5
人との距離感

明けまして、おめでとうございます。
みなさんは、誰と、どこで、どんな新年を迎えられましたか?
その環境は、この数年、どんな風に変化していますか?
もしくは、どれくらい長いこと、変わらずにいますか?

*   *  *

私の年末年始の過ごし方は、恒例行事が半分、新しい展開が半分というところ。

恒例行事は、12月29日から31日まで、両親と息子と、伊豆界隈の温泉旅行にでかけること。
息子が受験の時は流石に行かなかったが、それ以外ではかれこれ、12年位続いているんじゃないかなぁ。
大抵熱川か伊東あたりで、毎年10月1日になると父親が張り切って宿を予約してくれる。

でも、この年末年始は大学ラグビー部の試合がお正月にあって、その練習に出るということで息子が欠席。
年末の逗子自宅への帰省も無しで、これは新しい展開。

もうひとつの恒例行事は、大晦日の夕方から独身の朋友女子が我が家に遊びに来て、元旦の昼位までを一緒に過ごすこと。
この朋友とは、親との関係が割とクールで、面倒くさいので「大晦日は気楽に過ごしたい」と思っているのが共通点。
私がちょうどバツイチになった頃、14年前位から自然と集う様になったのだ。

息子が小学生だった頃は、紅白に合わせて3人で「マツケンサンバ」を踊ったり、更に暇な女子が何人か集まって大騒ぎしたり、色々なパターンがあった。
ある年には、クリスマスに失恋したばかりの友達がやさぐれてお酒を持って現れ、その失恋話を愚痴るのを息子まで一緒に興味津々で聴いた、なんてことも・・・。

最近では、我が家にテレビが無いのでNHKラジオで紅白を適当に流しながら、おもむろに「好きなものだけお節」やお雑煮、年越しそばの準備をする。
実は私と彼女の情熱は、年越しそばには余り注がれないのだが、息子がいつも「どうしても食べたい、食べなきゃ大晦日じゃない」というので準備をしているものだ。

でも今年は息子が居ないんだって!
「だったら今までに無い展開で年越ししてみようか?」
と、朋友と私のやる気が出たのが12月中旬。

最初は横須賀や横浜の港で0時の汽笛でも聴くか?なんてちょっと洒落た案も頭をかすめたのだが、この寒さの中ずっと外だなんて耐えられそうにない。大体お手洗いが近いから無理だし、立ちっぱなしも嫌だし、とすぐにその案を却下。

ではお手洗いの心配が無い室内で・・・と横浜あたりのライブハウスで、カウントダウンライブをやっていそうなところを色々調べてみたが、めぼしいものはこの時期になったら当然予約完売済。
消去法で、その時にチケット購入が可能だった横浜駅近くのライブハウスに決めた。
大晦日は横須賀線も深夜まで運行してくれているということで、帰りの脚も確認して一安心。

いざ大晦日、19時にライブハウスに集合すると・・・
明らかにサラリーマンではないと思われる髪の長~い、ミュージシャン然としたセンスの衣装を着こなした、余りメジャーではないプロか、セミプロくらいの方とそのお友達がたくさん集まっていて、普通の、地味な出で立ちの我々は若干浮いていた。
知っている曲の演奏は殆ど無かったけれども、幾つかのバンドには魅せられ、もっと聴いていたいと思った。特に日倉士歳朗さんという方のスライドギターと独特のブルース唱法にはやられた・・・また何処かでライブを観たい。

肝心のカウントダウンはライブ中に15秒位前から会場の皆で「15、14、13・・・」と一緒に数えて、0時を回ると「A Happy New Year!」と叫んでまたライブに戻るというアッサリしたものだった。ま、こんなもんか。

ちなみに息子からは、0時ちょうどに「明けましておめでとう!」とLINEが入った。
友達の家に皆で集まって遊んでいたらしい。

こんな風に、家族や親族が大勢集まって、紅白を観て、元旦は一緒にお節を囲んで・・・
というアットホームなお正月とは余り縁の無い私。
もともと親戚も少ないとか、バツイチだとか、親も余りそういうことが好きでないとか、色々なことが重なってこうなっているのだけど、嫁に行っていた時のことを考えると、面倒くさがり屋の私には今のスタイルの方が向いているとつくづく思う。

まず、家族というものがちょっと厄介だと思ってしまう。
血の繋がりは自ら選べる訳ではなく、血が繋がっているから価値観が一緒かというと勿論そうではない。
性格的な相性の良しあしも同じく。

親と子どもについては、子どもが小さい時は親がその行動を大体把握しているので、子どもの一番の理解者にもなれるが、子どもが成長するにつれ、そのポジションは薄らいでいく。
もっと傍に居る友達や恋人、伴侶の方が一番の理解者になってくる。
それで良いし、子どもがちゃんと自立するためにもそうあるべきだ。
親は一生、子どもにとって一番の、メンタル的な応援団で居ればいい。
そしてそれは、親から子どもへの一歩通行の片想いでいい。

私自身、そんな風に考える様になったのは、これまた我が道を行く両親の影響だ。
親とは、年に1回、年末恒例の温泉旅行で会って、安否確認をするだけ。
他のタイミングで実家に帰る訳でもなく、お誕生日に電話を掛け合うでもなく。

温泉宿で1年ぶりの再会をした時も、特に深い会話をする訳でもなく。
温泉へ入りに行くタイミングもバラバラ、寝る時間も起きる時間もバラバラ、協調性皆無。
食事の時だけ一緒の時間が取れるので、健康の話や仕事の話などを少々。
でも、傾聴力に乏しい両親とは会話が長続きしない。
ふんふんと適当に聴かれるだけなので内容も深まらない。

よく聞くと、父親と母親の、夫婦間の会話も殆ど噛み合っていない。
しっかり噛み合っているのはご飯をもう一杯お替わりするかしないかとか、エアコンの温度が低いとか高いとか、そういうどうでもいいこと。

両親共にもともと筋金入りのマイペースだったが、歳を重ね、社会との繋がりも余りなく、夫婦だけの生活を送る中でよりその度合が進んでいる。
2人とも殆ど風邪もひかないらしいので、私的には太り過ぎと運動不足が心配。両親は超のつく大食漢で、食べている様子を見ているだけで胸やけがしてくる程食べる。
特に父親は、病院、医者、薬のどれもが嫌いで、「オレは医者には行かない、死ぬ時には死ぬんだ!」というポリシー。
まぁ、気持ちは解るけどね・・・

毎年、「今年こそ2人の介護や終活などの具体的な意向を聴いておかなきゃ」と思い、私自身が40歳でエンディング・ノートを書いた時には同じエンディング・ノートを渡したりもしたんだけど、未だに書いてないんだってさ・・・。
今年、父親は80歳、母親は76歳。いつ何があってもおかしくないので、何とか書いてもらう様にということと、歩けるうちに東京のお墓参りを一緒に行こうという約束をして、別れた。
2泊3日の成果はこれだけ。
母親の運転免許返上の約束などのタスクは果たせなかった、うーむ。
娘の言うことなんて聞かないんだよなー。私も親の言うことなんて余り聞かないから血筋だなー。

そこは似てるけど、趣味に関して、特に母親は、私とは真逆。ピンク色、フリル、レースなどのドレッシーな服をこよなく愛し、「女の幸せは男性の庇護の下に居ること」と信じて疑わないタイプ。
「由里子ちゃん、男性に愛されたかったら、前髪をおろして、富士額を隠した方がいいわよ」
「由里子ちゃんは本当にズボンばっかりはくのねぇ、一度でいいからドレッシーなスーツとか着て欲しいわ、シャネルスーツとかどうかしら?」
などと、のたまう。
どーでもいい。っていうか絶対にイヤ、第一似合わないし!
しかもこの手の会話は、飽きずに毎年繰り出される。

こんな調子なので、温泉旅行の後は安否確認が出来た安堵感や元気で居てくれることへの感謝の念と、「今回も深くは理解しあえなかった」という妙な孤独感がないまぜになって、なんとも不思議な気持ちになる。
私にとって、「所詮、人は孤独なのだ」ということを一番教えてくれるのが両親という存在なのだ。

では私が積極的に働きかけて、もっと頻度高く会うかというと、そうしたいと思わないのだからそこは親子。
両親的には、娘も孫も元気ならそれで良いと、それ以上求めないのだろうし、私も同じこと。

でも、これってうちだけじゃないみたい?
ハナレグミの「家族の風景」の歌詞にもあった。
家族って、「友達のようでいて、他人のように遠い」。

親とはこんな距離感なので、私にとっては深く付き合うのは血の繋がっていない他人の方が多い、
私の人生の大事な場面で、特に精神的に支えてくれたのは大抵朋友やその時お付き合いしている人。
恐らく、私という人間を親以上に正しく理解しているのも彼らである。

でもその朋友達との付き合い方にも、好みがある。
大勢の集まりが苦手なので、出来るだけ少人数で会いたい。多くても4人位までかなぁ。
大勢で集まると、話が最大公約数的に薄くなったり、話があちこちに分散したり、深まらないのが嫌なのだ。
浅い会話で済ませるなら、空中戦のSNSやメールで十分。
せっかく顔を合わせるなら、ジョハリの窓をフルオープンにして、集中して、深い話をしたい。

そこからの学びや気づきが、どれほど私を勇気づけ、成長させてくれていることか。
私の周りに居て、時間を割いて付き合ってくれる人たちに、改めて有り難く思う。
最近会えていないあの人にも、今年こそは会いたいな。

年末年始、こんな風に人間関係について考えさせられるもう一つの理由は、年賀状書きという年中行事があるから。
年賀状というアナログなものを一体いつまで書くのか?どの辺の範囲まで出すのか?
昨今、皆頭を悩ませていることだろう。
でも、この年賀状も、それぞれの人との距離感を測るのに面白いツールのひとつ。

私は、SNSで繋がっていない、大事な人とは年に一度だけでも、この1枚の葉書で繋がっていたいと思う。
過去に一度でも恩義がある人には猶更。
宛名書きにはとても時間がかかるし、普段全然字を書かない分、自分の字の汚さには情けなくなるが、どうしても自動印刷はしたくない自分が居る。
相手の住所と名前を書く時間が、その人に対して思いを馳せる貴重な時間でもあるからだ。

去年、個別にキャリア・コンサルティングをした人が、
「今後、人間関係についてもメンテナンスをしたい」
と言っていたが、良い観点だと思う。
キャリアを考える上で、良い人生を送るためにどの様な人間関係を築くか、どの様に耕していくかは、非常に重要なことだ。

私の様に大勢の飲み会が苦手な人間としては、忙しい毎日の中で、誰にどう時間を使うのかは大命題だ。
どうでも良い大勢の付き合いの会はなるべく断り、本当に会いたい人にだけ、会いたい。
そして、そういう魅力的な人は結構沢山居る。順番に会っていると、あっという間に1年が終わる。

アメリカの社会学者、マーク・グラノヴェッター氏が「The Strength of Weak Ties=緩いつながりの強み」を提唱したのは1973年、もう45年も前の話。
彼がホワイトカラーの就職における情報収集状況を分析した結果、重要な情報をもたらしたのは「近くの親しい友人」ではなく、普段接することの少ない「遠い知人」であったというのがその内容。
最近では、キャリアにおける、SNSのネットワーク等の緩い繋がりの重要性を説くのに使われたりしている。
まさに、自分に気づきや学びを促すのは、生い立ちや普段の生活環境が違う、縁としては遠い、緩い繋がり。

一方、「WORK SHIFT」「LIFE SHIFT」のリンダ・グラットン氏は、これからの複雑で変化が激しい時代、自分の心身を再生させる人間関係はますます大事になると説いている。
そういう人間関係は勿論、「近くの親しい友人」。

つまり、「近くの親しい友人」も「遠い知人」も、両方大事。
私は更に欲張り、距離の遠さや会う頻度の低さを超えて、出来るだけ多くの人と、「普段は活動範囲も違って滅多に会わない(会えない)けど、いざ会うと一気に距離が縮まって深い話ができる心の友」になりたいと目論んでいる。

そのために、キャリア・コンサルティングで学んでいることがとても役に立つ。
今年も、お互いのキャリアについて面白真面目に語らいながら、多くの方と個別に、深い語り合いをしたい。

去年は年初、組織における働き方改革やダイバーシティについて語ったが、今年はキャリア、人生全般において欠かせない、人との付き合い方、距離感についてつらつらと綴ってみた。

この「さりとて」の連載も、早いもので4年目。
空中戦だけれども、この記事を読んで下っているアナタとも、ここで「出会って」、オンラインで「お付き合い」頂いているということ。
アナログの時代には考えもしなかった、本当に貴重な、緩い繋がり。

いつも長文、駄文にお付き合い頂き有難うございます。
今年も月に一度、どうぞ宜しくお願いします。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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