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我が書斎、横須賀線車中より

2017-11-5
私のアルバイト物語 家庭教師編 その2

披露山のママゴンにはすっかり懲りたが、入っていたウィンドサーフィンの部活では道具の修理代やら、合宿やレースの遠征費やら、何かと資金源が必要な状況に変わりはなかったので、逗子駅前の銀行の掲示板での家庭教師アピールは継続した。

3人目に引き受けたのは、私立の女子校に通う女の子。
正確には、その女子校に通うのが難しく、たまにしか行かない不登校気味の子だった。
丘の上の趣味の良い一軒家に住んでいた。

私に電話をしてきた母親は、
「まぁね、学校の雰囲気が嫌で、行きたくないって気持ちも解らないではないんです。でも、ずっと家で家族とだけしか接していないと幅が狭くなっちゃうんで、自習のサポートをしてもらいつつ、話し相手にもなって欲しいなぁと思って」とオーダー。
学校に行かない娘のことを必要以上に心配するでもなく、いずれ何とかなるでしょ、とノンビリした風で、そのおおらかさに私は好感を持った。
私で良かったら傍に居させて頂きます、とお約束した。

本人は少し痩せ気味でショートカットの髪が可愛い。
そう言われないとまさか学校に行っていないとは判らない程明るく元気。
丸い眼鏡の奥の目はくるくるとよく動き、好奇心の旺盛さを感じさせた。
会話はテンポ良くウィットに富んでいて、感性が鋭くセンスも良い。
そして何より優しく、さりげなく相手の表情や場の空気を読んで次の言動を繰り出す。
地頭が良い、賢いってこういうことを言うんだろうなぁ、この賢さと繊細さ故に疲れちゃうんだろうなぁ、そんな風に想像した。

週2回、3時間の勉強が終わると夕食が出て、一緒に食べるのがお決まりのコース。
母親の作ってくれる食事はとても美味しくて、いつもお替わりした。
特に、我が家では出されたことが無くて生まれて初めて食べたハッシュドビーフの、パセリなんかがちゃんとパラリとかかっていたオシャレさと美味しさは今でも覚えている。

ご飯を食べながら、彼女は何故学校に行きたくないのかを話してくれた。
「私は色々な子と仲良くしたい。時には一人で居たい。なのに、みんなグループを作って、どんな時にもグループごとに行動するんです。そのグループからはずれると『勝手だ』って嫌がられて。他のグループに行っても『急にどうしたの?』って面倒くさがられて。しまいには『あなたはどのグループに入りたいの、ハッキリして』なんて言われちゃって。何でそんなこと決めなきゃいけないんだろって。

グループの中に居ても、リーダー格の子が言うこと、やることに、何となく合わせなきゃいけない雰囲気なんです。その子と違うことを言ったりやったりすると浮く。だから何となく本音では話もしにくくて。本当はみんなだって違うことを考えていることもある癖に言わない。それもおかしいなって。何のために一緒に居るのか解らない。

一人になるのが怖いから?私も最初そうだった。一人になるのが怖いから頑張ってたんですけど、段々面倒くさくなっちゃったんですよねー。一人の方がいいやって考える様になって。」

思わず「わかる、わかる!」と握手した。
私自身も中学、高校と女子校に通っていて、同じ悩みを抱えた時期があったからだ。
でも私の通う学校では、私と同じく一人主義の子が何人も居たし、そういう子のことも受け入れる雰囲気があったから何とかやれたのだけど。
一人で居ること、学校に行かないことを決めるのにも勇気が必要だったはずだ。

私達って協調性に乏しいけどその分個性があるってことよね、
こんな私でも無事に大学生になって、大学は中学高校とは違ってもっと自由で、良い友達も作れているから貴女も大丈夫、なんて自画自賛じみた、役に立つかわからない様な激励をしたら、
「私もそう思いました!先生みたいにアクが強くてもやっていけるもんなんだなって安心しました」
と言われ、ハッキリした物言いが気持ちよくて大笑いした。

私が彼女と仲良くなったのには、同じ悩みを共有できたこと以外にもう一つ理由があった。
音楽鑑賞が趣味という共通点だ。

彼女はレピッシュとユニコーンの大ファンだった。
私が高校時代にバンドでユニコーンの曲、「おかしな二人」「人生は上々だ」のカバーをやったことがあるよと言うと大興奮。
「人生は上々だ」はホモ・セクシャルの歌なのだが、歌詞のシュールさと曲のコミカルさとのバランスがたまらないよね、と盛り上がった。

レピッシュは、私は余り知らなかったので彼女からアルバムや曲の解説を受け、中でも「リックサック」という曲が気に入った。

食事後に2人で歌詞カードを見ながら
「ラ・ラ・ラ~ リックサック! ランドセルより好きなんだ~!!!」
と大声で歌い、母親に「楽しそうねぇ~」と笑われた。
この曲は行進曲とスカとサンバが融合した様な凝った曲で、歌詞も可愛く、今聴いてもまったく古びていない。
有名なのは「パヤパヤ」だが、これも格好いいなー、いつかバンドでカバーしたいなー。

彼女の両親はおおらかで、こういうバンドのLIVEに行くことを彼女に許していた。
「学校に行けないのにLIVEに行くなんて何事だ!」
という親も居るだろうが、彼女がこれらのバンドのファンの世界で友達を作ることが、彼女を家に閉じこもらせないのに有効と考えていたのだろう。

程なくして、彼女は吹っ切れたのか学校にまた通い始めることとなり、家庭教師も終了となったが、彼女の行く末を私は全く心配しなかった。
むしろ、楽しみだったくらい。
今、何処でどうしているんだろう。
きっとユニークな大人になっていると思うんだけど。

その逆に、親の関与の仕方が子どもの世界を狭くすることもある、と思ったのが4人目の家庭教師。
地元企業オーナーの息子を教えることになったのだけど、もうすぐ中学3年生で高校受験目前というので断ろうとしたところ、それ以前の問題だという。
最初に学力レベルを知るためにいくつか問題を解いてもらい、どうもおかしいと思って例えば「ABCを順番に言ってみて」と言うと「A、B、C、D、E・・・・・・?」で躓いてしまう。
中学1年レベルの問題もおぼつかないことが判明した。

これはまずいと感じ、基礎学習を集中的にやるためにご両親に頻度アップと時間延長を提案すると、そんなに頑張らせる必要は無いという。
「でもこのままじゃ高校受験もままならないですよ」
と言ったら父親が怒り出した。
「だったら高校なんて行かなくていいわー!」
と啖呵を切るから私も頭に来て
「今時高校出なかったら将来の選択肢が狭まっちゃいますよ!」
と返し、
「こんな生意気な家庭教師はもう来なくていい!」
とたった1日でクビになった。

プンプン怒りながら帰ろうとすると、肝心の本人が寂しそうな顔をして私を見送るので
「ごめんね、上手に言えなくて喧嘩になっちゃって」
と謝った。
玄関を後にしたら走ってくる足跡が聞こえて、その主は本人の兄だった。
「オヤジが怒ってしまってスミマセンでした」
と逆に謝られ、
「いや、こちらこそ上手にお父さんを説得できなくてごめん。弟さんのこと、心配だと思う。少しでもいいからドリルを続けさせるとか、面倒を見てあげてね」
とお願いするとコクンと頷いた。

今考えると、中学3年生目前でABCがままならなかったというのは、何か他に事情があったのかもしれない。
どうせ自分の稼業を継がせるから学校なんて出ていなくてもよい、という考えだったのかもしれないし、実際それでどうにかなったのかもしれない。
私も色々提案する前に、先方の事情や意向をもっと丁寧に聴き取るべきだったのだろうが、それが出来る程の知恵も経験値も無かった。

でも、学校に行くということは、勉強をする以外にも友達や先生など家族以外の人との関わりが多くあって、そこで人間的に、社会的に成長する大事な機会なのだ。
その前に家庭教師をしていた女子校生の様に本人が行きたくないと言うならいざ知らず、親が先に可能性を否定してどうする、と頭に来てしまった。
何とも後味の悪い幻の4人目だった。

その後オファーを受けたのは葉山のお金持ちの家の小学生姉妹。
家庭教師というよりはベビーシッターだった。

家にはお手洗いが3個、庭には大きなガーデンプール、そのプールに面して設置されているお風呂にはジャグジー。髪が美しく長い母親は常に隙無くバッチリメイク、自分は忙しいので3時間どころか出来るだけ家に居て姉妹と一緒に遊んでやってくれと言う。

小学生が3時間も勉強する必要はないし、大体そんなことは出来ない。
勉強をちょっとした後、用意されていた美味しいおやつを食べて、天気が良ければ一緒にプール掃除、その後プールで遊んでからジャグジーに入り、その後トランプやお人形遊びをして・・・と遊び時間が殆どだったが、それらの全ての時間に給料が支払われた。
母親は更に気前の良い人で、時々彼女の部屋に呼ばれてはこの服もう着ないから、とかJTBカードのポイントでもらった自転車があるんだけど全然使わないから、とか色々なもらいものをした。
彼女の部屋にはルイヴィトンの大きなスーツケースが幾つも積み上げてあり、あるところにはあるって奴だった。

ある時姉妹の父親が
「先生、いつも世話になってますな」
と焼き肉屋に連れて行ってくれた。
遠慮せず沢山食べたら
「その豪快さが素晴らしい、ずっと娘たちを宜しくお願いします」
と言われたのだが、残念なことに私は就職活動を目前に控えており、余り長くは出来ない身だった。
この家のお蔭で月の稼ぎが相当になっていたので、就職をしないでずっと家庭教師でやっていくという換算もしてみたが、この家の様に楽な仕事ばかりではないと思い返し、妄想は捨てた。

こうして私の何とも怪しい家庭教師生活は幕を閉じた。
中学から大学までの10年間、自宅と学校が遠かったので何人もの友人宅を泊まり歩き、そこで自分の家とは違う親子関係や家庭事情は垣間見ていたが、家庭教師という立場で介入するとまた違う景色が見え、それは多分私の子ども観や親業観にも大きな影響を与えたのだった。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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