salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2018-04-5
面倒くさいけど、大事なこと

年度末最終日3/31の午後、私は市役所の会議室に居た。
「逗子市民の市民力を語る集い」というワークショップに参加したのだ。

今、逗子市は税収減により緊縮財政を余儀なくされ、様々な事業を廃止、もしくは休止せざるを得ない状況になっている。その事業の中にはこれまで8年間続いた、行政と市民を繋ぐ役割の「市民協働コーディネーター」職があり、3/31をもってその職を解かれる東さんという方がこのワークショップを主催、「今こそ市民ができることは何かを考えよう」と呼びかけたのだ。

「市民協働」という言葉を聞いた時、皆さんはどんなイメージが沸くだろうか?
面倒くさい?胡散臭い?暇な人がやること?
正直、私の中ではそんなイメージが沸いてしまうことも多い。
一生懸命やってくれている方には本当に本当に申し訳ないのだけど・・・
ウマが合って、得意不得意の凹凸がピッタリ合う様な人となら協働しても良いけれど、そんな仲間を見つけることは難しく、だったら自分で好きな様にやった方が良い、そう思ってしまうタイプだ。

一方で、税金を納めて、後は選挙さえ参加すればそれで市民としての義務は終わり、というのも違うと思う。
私が大好きなキャリア理論の学者、ハンセン氏は「自分の個人的な人生上の満足だけに焦点を当てるのではなく、意味ある人生の為、『自分にも社会にも共に役立つ意義ある仕事』を行う視点に立つことが重要」と提唱している。この「社会」の中には所謂給料の出る企業組織だけじゃなくて、地域も重要な場として入るので、東さんの「今こそ市民ができることは何かを考えよう」という言葉は響いた。
とりわけ、東さんのこんな本気の弱音、心情吐露に、「こりゃ、行かなきゃ」と心を動かされたのだ。

「正直にいえば・・・私は『このワークショップによって何かが変わる』とか、『ここでの創発から新しい試みが始まる』といった手応えを(少なくとも今のところは)感じておりません。また、ワークショップに参加された方から優れた提案が出されたとしても、誰に/どのようにバトンを渡せばよいのか。実行を担保するにはどうすればよいか。具体的なイメージが湧かないでいます。
さら勇気をだして、率直な気持ちを口にすれば・・
私自身が『逗子の市民力』を行政の立場から考えたときに、あまり期待感をもてないでいる心境でいます。
先日とあるワークショップで参加の市民方々から怒られ、他会合では行政批判を浴びるように聞かされ、その他いくつかあって『逗子の市民力』に対し私が懐疑的になっています。
逗子のまちは、市民が仕掛ける様々なイベントや動きが起きています。逗子市民のエネルギーは凄い!と常々感じます。その『市民力』が行政とタッグを組み、新しいものを生み出す動きになるのか。今回の危機を乗り切る展開になりえるのか。そう考えたときに、私はあまり自信をもてないでいます。ある意味、そうした『市民力』を行政につなげる仕事が市民協働コーディネーターの責務であり、私の力不足を嘆いているわけでもあります。」(東さんブログより抜粋)

確かに、急な緊縮財政で色々な困りごとが発生しているが、税収が減ったのは行政だけの責任なのか?
そこで一方的に怒って何か解決するのか?
そこで怒ったり批判をしたりしている人たちは、逗子市民のマジョリティなのか?違うのでは?
今後人口が減って更なる税収減も必須の状況下、行政にはホントに困っている人のセーフティネットとして福祉事業などに特化してもらい、市民が出来ることはもっと市民が自分たちでやっていく、そういう自立の流れが必要なのでは?
そう思っている市民も居るのだ、ということを伝えたくて、お節介にものこのこと参加することにした。

ワークショップの中では、『オランダ・モデル―制度疲労なき成熟社会』という本を著した長坂寿久先生から、基調講演的に「市民社会力」についてのレクチャーがあった。
私が印象に残った点は以下3つ。
(1) 逗子市の特殊な成り立ち
逗子は1943年、国の施策で池子弾薬庫のために横須賀市へ強制併合された。戦後1948年、市民運動や住民選挙の末、横須賀から独立。他の地方自治体とは異なる成り立ちの歴史を持つ
(2) オランダ・モデルの有効性
オランダは、かつて「オランダ病」と呼ばれた深刻な不況・失業を克服するため、政府・労働組合・雇用者の代表が協議し、それぞれにとって不利な政策をも含めて全体として得になる社会契約的政策パッケージを合意することで、苦境を乗り越えた。これは利己心にとらわれてかえって全員損をする囚人のジレンマを、全員にとって利益になるプラス・サムゲームに転換する契約である。この事例に学び、市民団体、企業、行政が協働・連携すればより良い社会問題解決に繋がる
(3) ソーシャルキャピタルの重要性
ソーシャルキャピタル=住民の価値観としての信頼、相互扶助、規範、ネットワークが市民社会力の源泉となる。時代が成長(GNP)志向から幸せ志向に移る中、その重要性が益々増している

中でも(1)については、生き証人の様な90歳のおじいさんが参加されていて、その当時の生々しい話を聞くことが出来た。逗子市民は逗子というエリアをこよなく愛している人が多いが、その理由は自然環境と住んでいる人の魅力故、ということが多い。でも、こういう今まで知られていなかった歴史も、市民としてのプライドを形作ってくれる様な気がした。
(2)についてはちょうど10年前、組合の仕事でワーク・ライフ・バランスの議論をしにオランダを訪れた時に学んだことを思い出した。
そして(3)の「ソーシャルキャピタル」は、『LIFE SHIFT』でリンダ・グラットンさんが提唱している内容とも共通しているし、キャリア・コンサルタントして自分の存在価値を社会のためにも役立てることを常に提案している身としては、今最も気になるキーワードの1つでもあった。

ワークショップの中で、私が加わったグループ討議のテーマは「これからの協働の在り方」。たまたま一緒になったメンバーはこの長坂先生と、市役所の方だった。議論の結果感じたことは、

①協働はあくまで途中のステップ、「場」であり、最終的に目指すべきは市民の自立であること
②行政は①のためにも対人スキル、コミュニケーション力、問題解決能力などにつき、教育啓発的サポートをしていく必要があること
③行政の仕事はともすればノイジー・マイノリティに振り回されて生産性が落ちかねない、その結果としてサイレント・マジョリティを巻き込みにくくなってしまいがちなこと
④でも行政の立場では市民に対して公平に接する必要があり、ノイジー・マイノリティに対して「うるさい!」とは決して言えないので、ここは市民が同じ立場から諭していく必要があること

・・・などなど。
私自身、②に関してはキャリア・コンサルタントの端くれとして手伝えることがありますよ、と宣言してきた。

ワークショップ全体の様子は、東さんがブログにまとめてくれているのでこちらもご参考まで。ワークショップで出された結論がどこまで実行されるかはわからないけれど、少なくとも、東さんが前向きにフィナーレを迎えられて、良かった良かった。

こうやって、自ら面倒くさいことに首を突っ込んでいくのは悪い癖で・・・これが初めてではない。
息子が小学校2年生の時、学童もどきの保護者会の会長になった。
当然、最初からなりたかった訳じゃない。でも、仕方が無かったのだ。

息子が小学校に入学した時、当該小学校区にはいわゆる学童保育というものが無く、児童館スタイルの仕組みにエントリーする際、生活支援型という登録区分があったのみだった。当時は「親が働いているか働いていないかによって子どもの居場所が区別され、一緒に過ごせないのはおかしい」という風潮があり、皆で一緒に児童館で遊ぶべし、ということでこの様なスタイルになっていた。しかし、親が働いている子にとっては遊ぶだけでなく、宿題をしたり静かに本を読んだりおやつを食べたりなど、生活をする場所も確保すべきであって、この児童館スタイルでは落ち着かず、「もう行きたくない」となってしまう子どもも少なくなかった。
そこで、息子の通う児童館からは生活支援型を無くし、新たに別途学童保育を立ち上げる計画があり、保護者会はその対応に向けバタバタしている時期だった。

ところが。その肝心の保護者会、色々課題はあるのに仕切り切れておらず、延々4時間やってもなかなか進まない。各課題に対する結論が出ない。生活支援型を無くし、学童保育を立ち上げるという重要事項を説明しに来たはずの市役所の方の説明はどうにも要領を得ず、何が何だかさっぱり解らない。
私はと言えば、シングルになったばかりで学童保育もどきは勿論重要なインフラ。これが流動的で先行き不透明なことに非常に不安を覚えて、最初は黙っていたのだが段々見かねてあーだこーだと質問したり意見を行ったりする様になった。すると、あれよあれよという間に、翌年には会長をやることになってしまったのだ。

なったからには覚悟を決め、保護者会をビシバシ仕切って1時間で色々な物事を決めることが出来る様に進行した。ガサツな私が苦手な細かいこと(例えばおやつの予算を50円にするか100円にするか、内容は何にするか、夏まつりのイベントは何をするかなど)は他の献身的なママ達に任せるなどの盤石な体制を作り、私は行政対応に集中できる環境を作った。

行政的には児童館管轄の部署と新たな学童保育の管轄部署が異なり、ご多分に漏れず連携が悪かった。且つ、子どもの状況を一番解っているのは児童館の現場を預かる大人のスタッフの方々なのだが、役所組織のヒエラルキーの中で彼らの意見がなかなか通らない、聞き入れられないことが続いていた。
そこで、児童館管轄の部署の担当者、現場のスタッフ、学童保育の管轄部署の担当者、そして我々保護者会の4者が集まる会議を月に1回、平日の夜に設け、生活支援型のクロージングと学童保育の立ち上げに向けて発生する色々なタスクを徹底的に片づける様にした。

新しい学童保育は、現場のスタッフの方々の献身的な動きとご助言により、息子が4年生に上がる時に無事に立ち上がった。そこに至るまでのプロセスには勿論紆余曲折あり、役所内のやる気のある担当の方と余りやる気の無い担当の方との格差を感じ、それは企業組織も同じであり、「だから役所は」と一括りにして語るもんじゃないということを学んだ。(その想いは、今の森友問題にまつわる騒動を見ていても蘇る。)
これが、私が地域住民として、市民活動をした最初の経験だ。

生活支援型の保護者会の会長をやると、自動的に市の次世代育成計画推進委員会の委員となってしまい、否が応にも市民活動は横展開した。
この委員会は少子化に歯止めをかけるための次世代育成支援対策推進法に基づき、企業、地方自治体がそれぞれ行動計画を策定・実行するために設けられたものだったが、当時、奇しくも労働組合の役員として企業の委員会にも出ていた私にとっては、企業の動きと地方自治体の動きを同時並行的にみられる貴重な機会となった。
他の委員は教育委員会の委員長とか、地元の有力幼稚園の園長とか、保育園の園長とか、専門家としての大学の先生とか、普段滅多に合わない種類の方々で、その方たちの生態観察としても面白かった。
しかし、平日の昼間に行われる会議にワーキングマザーの私が参加するのは至難の業、時々欠席せざるを得ない申し訳ない状況となった。それでも、参加者の中でワーキングマザーが抱える真の課題を理解する人は多くなかったので、参加できる回では極力積極的に発言し、ついでに企業の最先端の動きも紹介してみたりした。

この委員をやったことがきっかけとなり、今度は逗子市の30年のまちづくり基本計画を策定するためのまちづくり総合計画審議会の予備委員会、そして本委員会の委員を仰せつかった。
「何で私が?まちづくりなんて全然門外漢だけど?」
と一旦断ろうとしたところ、他の参加メンバーはエブリディ・サンデーの60歳以上の方が多いことに気が付いてしまった。その方々の意見だけで30年の計画を作ってしまうと次世代の我々の感覚とはズレたものになってしまうのでは?という危機感が沸いてしまい、なんとかやってみることにした。

こちらは平日の昼間ではなく、平日夜や土曜などの開催だったのでかなり参加できたのだが、閉口したのは読まねばならない資料の多さ。事前に配布される厚さ3cm位の資料を読み込み、自分なりの意見を整理してから委員会に臨む。面倒くさいことこの上無かったが、例えば中学校の給食導入是非について、おじいさん達が「そんなものは親がつくるべきだ」の一言で却下してしまいそうになったり、議論慣れしていない若手専業主婦がおじいさん達に負けそうになったり、市役所の職員が言われっぱなしになってしまったりするシーンで奮闘することで、自分が委員である意味を感じたりしたものだ。
そういえば、怒鳴り散らすおじいさんに喝破されて、隣のおばあさんが泣き出す、なんて笑える様な笑えない様なシーンに遭遇したこともあったなぁ・・・。あ、こう書くと、おじいさんが大分悪者の様に見えるが、勿論素晴らしいおじいさんにも沢山出会ったことを付け加えておく。

3/31のワークショップの結果、私が何を、どういう形で市政に関わっていく様になるかはわからない。
面倒くさすぎることや苦手過ぎることはどうせ続かないので、出来れば3つの輪が重なる領域でやりたいとは思うけれど。
常々、自分自身もセカンド・キャリアは逗子のために何かしたいと考えて来たので、来た船には気持ちよく乗ってみようかな~、なんて今だけ俄かにモチベーションが上がっている私なのであった。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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