salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2018-06-5
組織との程良い距離感

他人事なのにこんなに腹が立って、胃がフツフツ沸騰するニュースは久しぶりだった。
例の、日大アメフトの一連のニュースだ。

家にテレビが無いのでネットニュースで事件を知り、よせばいいのにYoutubeでそれぞれの記者会見を観てしまった。特に日大の監督とコーチの会見は、広報担当者の態度の醜悪さも相まって、ハイキックを喰らわしたくなった。見終わった後は、加害者となってしまった学生本人や、その親の気持ちを色々と考えてしまい、暫く眠れなかった・・・。
でも当然のことながら、私には何の利害関係も無い事件で、私は批判できる立場には無い。

この一連の出来事で「日大ブランドが地に落ちた」などと言われているけれど、献身的に教育に打ち込んでいる先生だって、真面目に学んでいる学生だって、素敵なOB・OGだって沢山居る。
間違っても「だから日大は」と一括りにして、変なレッテル貼りをして批判することの無い様にしたいもんですね。

加害者側の学生は、あれだけ立派な会見が出来る人間性と思考力を持っていながら、その時は追い詰められて、自分の頭でコトの善悪を判断できなくなっていた、というのだから恐ろしい。
残念なことに、それなりに上のポジションに就いている大人の言うことがいつも正しいとは限らないんだけどなー。

組織に属して、組織を愛して、組織の活動を一生懸命やっていればいるだけ、彼の様になり得る危険性がある。組織内のパワハラや同調圧力に負けて、普通ならやらないことを何故かやってしまう状況に陥らない様、私達は一体どうするべきなんだろう?
一般市民としての、正常な判断が出来る状態を保つにはどうしたらいいんだろう?

まずは、集団心理の働き、集団思考の罠というものを知っておきたい。
アーヴィング・ジャニスというアメリカの心理学者は、集団思考はこんな状態に陥りやすいと説明している。

(1)集団の力や「満場一致」に幻想を抱き、リスクを楽観視してしまう
(2)集団にモラルはあって当たり前という思いから、意思決定についてモラルの側面を軽視・無視してしまう
(3)疑念の表明や反論には意味が無いという感覚を醸成してしまう
(4)自分達の前提に疑問を投げかける様な情報や警告を軽視、つじつま合わせを集団的に行ってしまう
(5)集団の行動に疑問を投げかけるメンバーに圧力をかけ、忠誠心の高いメンバーと区別してしまう
(6)集団の合意決定事項の効果やモラルについての自己満足を打破する様な情報に対して抑えこんだり、検閲したりするメンバーが出現してしまう
(7)「敵」に対して、「交渉をするには邪悪である」、「とりあうには無能である」等とステレオタイプ化してしまう

これらの現象は「集団浅慮」とも呼ばれている。
組織に所属している人の思考や行動について、極端に同一化を目指すチームは、「集団浅慮」に陥りやすい。
悪い意味で、集団の思考に個人の思考が依存してしまっている状態だ。
特に、「上の人には従うもんだ!」と盲目的に思っている日本人は多くて、その社会環境の中で思考依存しやすく、且つ対立を避けやすい文化なので、注意をしなければいけない。

「集団浅慮」の具体的な例としては、デマに惑わされている状態や、カルト宗教の集団の言動などが挙げられるが、もっと身近にあるのはイジメだろう。

私自身、親が転勤族で、小学校を2回変わった関係で、ご多分に漏れず結構なイジメに遭った。
大阪に居た頃は、親が関東育ちの影響で「大阪弁がパチモン(大阪弁でうそっぽいということ)」といじめられ、
横浜に行ったら「関西弁だ、運動神経が無い」といじめられ、
葉山に行ったら「横浜から来た癖にオシャレじゃない、しかも転校生の癖に大人しくない」といじめられ・・・

確かに、転校生なら目立たない様に大人しくしておくのがセオリーなのだろうけれど、何故か私は、イジメの洗礼を受ける度に負けじとパワーアップしていった。

大阪では、パチモンながらに弁が立つことを武器に学級長になった。
横浜では、以前にも書いた様に、4つ上の兄に鍛えられてキックやパンチの切れ味が鋭かったことを武器に喧嘩に勝ち続け、最後は「親分」と呼ばれ、男子の手下を3人位従える様になった。

葉山では、勉強が出来た(ここが人生のピーク)ことで信頼され、運動会の応援団長にも生徒会長にもなった。しかし、生意気だったのと、その当時地元では少数派の受験生だったのとで今度は先生に目をつけられていじめられ、普通なら総代をやるはずだったのがハズされた。

先に書いた、
>残念なことだが、それなりに上位のポジションに就いている大人の言うことがいつも正しいとは限らない
を身をもって知ったのはこの時だった。

流石に先生と喧嘩するには限界があったので、学校には早々に見切りをつけて適当に過ごし、中学受験のために通った塾と、本の世界に自分の居場所を見出した。

何度もイジメを経験する中で、自分に自信を無くして暗ぁ~い性格になってもおかしくないが、自己否定に陥らず、しぶとくしたたかになれたのは、幸い。
こんな強い性格に産んでくれた親に感謝するしかない。

こうしていじめられた経験から、信じなくなった言葉がある。
「“みんな”言ってるよ!」
この言葉を聞くと、条件反射でホント腹立つわー。(←書いているそばから腹を立てている)
「“みんな”って誰と誰よ、全部言ってみ?」と言いたくなる。
                            
そんな訳で、昔は集団がとにかく嫌いだった。
女子は大抵グループを作るものなので、6年間の女子中学・高校時代も修行だった。

これが段々エスカレートしてきて、人と一緒は嫌になり、「人と違う」と言われると嬉しくなる様になった。
流行っているものや普通のものにも興味が沸かず、人が持っていないもの、個性溢れるものに惹かれる。
行列している様なお店には勿論行かない。
モノクロはつまらない、カラフルなのがいい。
クロックスは嫌、ギョサンがいい。
有名ブランドモノは嫌、チャイハネの民族衣装がいい。
・・・どうでもいい拘りです、はい。

しかし、社会人になって働くうち、同調圧力が変に強い「仲良しごっこ」ではない、働くプロが集まった、気持ちの良い組織もあることを知った。
そういう組織では、そもそも所属メンバーが組織に極端に依存することは望まれない。
組織全体や上位者の方針・指示どおりに仕事をするだけでなく、より良くするための質問や提案が出てくることは歓迎される。各人のモチベーションを上げて主体性を発揮させて、成果をあげさせて、成長をさせるためにも、その様なボトムアップを推奨する。意見の違いは健全な葛藤になって、遠慮なく散々言い合った末に新しい価値を産み出せる。

そこにあるのは、組織と個人の程良い距離感。
集団に依存するのではなく、個人として自立・自律して、集団と対等の立場を取りながら、組織を愛し、チームとして成果を上げることは出来るのだ。

私が2005年からその考え方に共感し、関係者と一緒に提案し続けてきているワーク・ライフ・バランスという考え方は、その自立・自律姿勢を作るためにもある。

言葉の響きの中で随分誤解を受けてしまっているが、ワーク・ライフ・バランスとは、単に早く帰ろうとか、育児や介護の両立支援対策とかだけの話ではない。
この概念で目指すべきなのは、皆がそれぞれ、自分自身の価値観とライフステージに沿って、人生の中にある、あらゆる要素・・・仕事、自己啓発、家庭、地域活動、趣味等の各分野を充実させること
そして、栄養バランスよく食べる食事の様に、それぞれの分野の間で相乗効果を産み、より良い人生を送っている各個人の状態。

この状態を作ることにより、一個人の中に多様性が生まれる。
よく、「会社の常識は世間の非常識」などと言われるが、自分の世界が所属組織、その集団しか無いとしたら・・・その非常識に気づくことは出来ず、思考や行動の自立・自律も難しくなる。
しかし、所属組織以外にも色々な世界を持つことが出来たら、多面的に物事を考えることが出来て、一市民、一般生活者として、公序良俗と言われる様なセンスを持ち続けることが出来る。
そして、もし不幸にも所属組織において不当な圧力を受けたとしても、他に居場所があることで、自分を必要以上に否定したり、居場所を失う恐怖にかられてしがみついたりしなくても済む。

更には、ワーク・ライフ・バランスを実現して、組織人以外の親、子、地域人等の人生役割を果たすことによって向上させた、もしくは新しく身に着けた、知識、能力、人的ネットワーク等を仕事に活かすことが出来る。その様な多様な個性を持った人財が集まって、その才能・能力・個性を存分に発揮すれば、1人ではできない、また金太郎飴集団ではできない、新しい価値を生み出し続ける組織になることが出来る。
これが、前回書いたダイバーシティで目指していることだ。

今、色々な組織でダイバーシティ、ワーク・ライフ・バランス、働き方改革等が進められているけれど、それぞれは不可分で、相互に密接に絡む。その関係性を、自分なりに一枚の絵にしてみた。

どうでしょう?皆さん、是非ご遠慮無くご意見をお寄せくださいまし!

働き方改革については、ダイバーシティとワーク・ライフ・バランスの好循環を下支えするための環境整備のひとつだけれど、働き方改革だけやれば良いってもんではない。
何が必要なのかについては、また別の機会のお楽しみに。

この様に、ダイバーシティやワーク・ライフ・バランスは新しい価値を産み続けるための経営戦略なのだけれど、同時にリスクマネジメント施策でもある。
組織のメンバーが多様で、自立・自律したプロであれば、「集団浅慮」の罠にはまらないで済む。
セクハラ、パワハラを産み出し易い土壌、色々な不祥事を起こす組織風土は自浄作用が働かない、残念な「集団浅慮」の罠にハマってしまった組織だ。
(セクハラをする人は、相手の立場に立って考える感受性に乏しい人だからパワハラもしやすい、というのは良く言われる説だが、最近これを「セパ両リーグ」と呼ぶらしい。野球界の方には大変失礼で申し訳ないのだが、上手いことを言うと感心しちゃう・・・)

最近は転職なんて当たり前で、労働市場も大分流動化しているから、いずれは組織に依存し過ぎるなんて状態は有り得なくなってくるんだろうけどねー。

私自身、まだ一社しか経験をしてないし、しかも長らく地域限定採用者で転勤もして来なかったしで、キャリアの幅は相当狭くて、価値観も偏っている。
これに良い刺激を与えてくれるのは、私とは同じカテゴリーに属さない人たち。
所属組織の中でも別のキャリアを歩んで来た人、キャリア採用で途中から組織に入って来た人、上下両方の異世代の人、息子関係のママ友・パパ友、住んでいる地域の仲間、趣味の仲間、付き合いの長い同級生、キャリア支援の仲間、そして何より、頭の中に小人が5人位住んでいるんじゃないかと思う程、相変わらず不思議な息子。これらの方々との関わりにより、私自身、組織と程よい距離感で居られていると思う。

みなさま、私を自立・自律させてくれて有難う。私の多様性を育んでくれて有難う。
これからも一杯一杯刺激してください!!!

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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