salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2018-07-5
好きこそモノの上手なれ

この連載も、めでたく30回を迎えた。
まずは1年、出来るかな?・・・と思って始めたけれど、いえーい、結構続いてるぞ。

「よく、そんなに書けますね」と言われるが、基本的に、日本語の読み書きは好きである。
特に、文章という形にしていくことは楽しい。
元々恰好良い文章なんて書けないので飾らず、等身大で書く。
幸か不幸か、「こんな内容で、バカにされるかな?」と心配する様な羞恥心は持っていない。
よって、下手の横好きで気楽に続けられる。

でも、嫌いなこと、苦手なことはこうは行かない。
口八丁で、得意なことはおおいにやってアピールするので、そこしか見ていない人には「なんでも出来ていいな」と言われることもあるが、それは大きな勘違い。
普通の人が出来るのに、私には出来ないことは山の様にある。

例えば・・・運動全般。

先日、朋友の家の大掃除を手伝っていた時。
お庭の水道で雑巾をバシャバシャと洗った後、2階の部屋に階段を上がって雑巾を持っていくのが面倒で、窓に投げ入れようと思い立ち、庭から部屋に居た朋友に雑巾を投げてみたところ・・・
何度やっても窓には届かず、最後には投げている私の後ろ斜めにある木の枝に引っ掛かって取れなくなった。
窓際で待ち構えていた朋友は唖然としていた。

跳び箱や鉄棒などは、その単語の音を聴くだけでブルーになる。
誰がああいう余計なモノを発明したのか、恨めしく思ったことも何度もある。
小学校の時がピークで勉強は出来たのだが、体育が足を引っ張ってどうしてもオールAが取れなかった。

5年生の時、不憫に思ったのか担任の先生がこう言った。
「頑張って、足掛け逆上がりを出来る様になってごらん。そうしたらAを付けてあげるから」
その先生は転校生だった私に優しく、温かく、大好きだったので頑張ってみることにした。
毎放課後、校庭の端の鉄棒で練習。
なかなか出来る様にならなかった。
見かねたクラスメイトの男子何人かが付き添ってくれ、補助の手を出してくれたり、アドバイスをしてくれたりした。
一週間位頑張ったある日の夕方、思いがけず急に出来る様になった。
見ていたクラスメイトが先生を呼びに行き、先生の目の前でやってみた。
もう一度出来た。
嬉しくて、涙が出た。涙の端に見えた夕陽は、今でも忘れない。
でも、「二度とやるもんか」と固く心に誓った。

こんな私なので、雲梯(うんてい。こういう漢字だなんて初めて知った、結構ロマンチックなのね)なんて、もってのほか。
大抵公園にあるが、あれは私にとっては遊びではない。苦行だ。
私は、女子プロレスラーかと間違われそうな立派な前足を持っているのに、何故か握力に乏しく、2、3回手を替えたらもう力尽きる。
もしかしたら体重自体が重すぎて、自分の握力で責任を取り切れていないということかもしれないが、今のところは握力のせいだと思うことにする。

いや、もっと苦行があった。
それはドッチボール。
いや、苦行じゃない、あれは一種の「いたぶり」だ。
上手く取れないは、投げられないはで、チーム分けの時から肩身の狭い思いをする。
「えー、あいつがうちのチームぅ?邪魔だなぁ・・・」
という目線が痛い。
「ボールに触るな」命令を受け、ひたすら逃げ惑うが、あの屈辱感と言ったらない。
その屈辱感を味わっている方がいいか?当てられて外に出る時の冷たい視線を浴びる方がいいか?
いつも悩んでいたが、当然俊敏でもないので結局あっけなく当てられて終わるのがいつものパターンだった。

他にも・・・
寒い冬、下手くそ過ぎて肌にピシッと当ててしまい、痛くて仕方が無い縄跳び。
自分がひっかけて止めてしまい、皆の無言のガッカリ感を全身で味わう長縄。
顔面でボールを受け、鼻血を出したバスケットボール。
ルールをよく理解できておらず、取らなくても良い玉を拾いに行って何故か靴が脱げ、ラケットが飛んで行ったテニス。
5位か6位にしかなったことの無い、徒競争。
こう書いてきただけで切なくなる思い出ばかりだが、もし私に優しいところがあるとすれば、この時散々味わった弱者経験故かもしれない。
・・・数え挙げればキリが無いので、運動ネタはここまで。

体育関係と並んで、今思い出しても気持ちが落ち込むのが数学だ。
算数までは余裕だったのに、何故数学になった途端にダメになったのか?
授業で寝ていたことが多く、ついていけなくなり、追いつくために復習するなどのモチベーションも沸かず、どんどん解らなくなって取り返しがつかなくなった。

当然中間・期末試験は、目がチカチカする数式と白い部分が果てしなく広く感じる答案用紙に途方に暮れる。
一問解いて解らなくて、次の問いに移ってやっぱり解らなくて、その次も解らなくて・・・焦りが募って脂汗が出る。
ぐちゃぐちゃになった答案用紙を消しゴムで消している内に、消しゴムが飛んで行ったり。
それを拾って頭を上げて机に頭をぶつけたり。

こんな調子だったので、高3の時、内部進学用の実力試験では数学は捨て、国語にかけることにした。
高校1年~3年で習ったもの全てが範囲だったが、教科書は1ページも見ないでテストに臨み、余りに解らないので200分あるテスト時間は余りまくり。
お蔭で数列の問題は計算ではなく順番に書いて回答を得て、ここだけは〇がついた。
その分頑張った国語で良い成果を上げ、何とか大学に入り、体育と数学から解放された時の喜びと言ったらなかった。

その他にも、苦手なこと、出来ないことを挙げればキリが無い。
理科系全部。暗記。語学。忖度。つましい妻業や嫁業・・・

大人になった今でこそ、子どもの時に苦手なことにも取り組む価値は理解できる。
逃げないで取り組む力、忍耐力、継続力を培うために。何より、教養のために。

でも、出来ないことばかりにフォーカスして頑張らせると、自分自身の自己肯定感がなかなか育たなくなってしまう。どんなに頑張っても、その成果はたかが知れているからだ。
本人がやりたいことや、得意なことにもしっかり取り組ませて、「頑張るのは楽しい」「自分はできる」と思える様な体験も必要だ。

私自身、体育や数学だけずっとやっていたらうんと内向的な性格になり、引き籠っていたかもしれない。
幸い自分の得意な国語、コミュニケーション、音楽などの分野においてそれなりの達成感を得ることができ、自己肯定感を良い状態に保つことが出来たと思う。

大人になっても同じこと。
私が「あなた、元気だねー」とよく言われる理由のひとつには、おそらく自分が得意なことをよく解っていて、仕事でも、それ以外の活動でも、その強みを活かして達成感と楽しさを味わえているということがある。
わざわざ鉄棒や縄跳びに取り組んで、悩む必要は無い。

勿論、社会人になりたての頃は、自分で自分のことをよく理解している段階ではないので、新しい可能性を拡げるために、興味関心のある分野だけに限定せず、色々チャレンジする必要がある。食わず嫌いは勿体ない。
でもそれは、苦手を克服するというよりは、自分がより強みを発揮出来るのは何処なのか?を探すためのプロセスだ。

余りに適正が無い場合と解った時、そのマイナスをゼロ以上にすることだけにエネルギーを費やすと本人も周りも心身共に消耗するし、第一生産性が低くなる。成果も出せない。

例えば、Strengths Finder(ストレングスファインダー)という強み分析で有名な、米ギャラップ社の速読実験によると・・・
1分間で読める文字数につき、実力が平均値の人が集まったグループでは1回目が90文字、3年間トレーニングした後は150文字だった。片や、速読が得意な人が集まったグループでは、1回目が350文字、3年間トレーニングした後は2900文字。双方の3年後の伸び率の差は、なんと42.5倍だ。

これまで日本の大きな組織では、ポジションに必要な行動特性要件を定め、その足りない、苦手な部分を補う、弱みを改善するのが人財育成の主流であった。
しかし、組織における仕事は、常に生産性を上げ、成果を出して行く必要がある。
だったら、弱みの改善だけでなく、もっと強みにフォーカスし、強みを伸ばす様、変えて行った方が良い。
同米ギャラップ社の調査によれば、組織や民族を問わず、強みを伸ばした方が顧客エンゲージメント、従業員エンゲージメント、利益、売上高等は上がり、事故率や離職率は下がり、個人においてもQOL(Quality of life=人生の質)は3倍になるそうな。

5月の記事では、ダイバーシティの目的は「多様な人財が集まり、その才能・能力・個性を存分に発揮し、1人ではできない、また金太郎飴集団ではできない、新しい市場価値を生み出し続けるための経営戦略」だと説明した。

そのダイバーシティを実現するためにやるべきことの一つは、チームメンバーそれぞれの才能・能力・個性を知ること、理解すること。そしてそれらを活かすべく、磨いて伸ばして、褒めて伸ばして、強みをしっかり尖らせた人財を上手くジグゾーパズルの様にはめて、適財適所にすること。

もちろん、キャリア・コンサルティングの現場では、
「いや、そもそも自分は何が得意なのか、何が自分の強みなのか、判らないんですよ」
という声もよく聞く。
確かに、自分の才能・能力・個性をちゃんと理解して、誰にでもわかる様な言葉に置き換えて、人に説明できる人は多くない。

そこで、提案。
自分の才能・能力・個性を知るために、
(1)自分の過去の取り組みを振り返り、上手く成果を出せた時に、自分がどう振舞っていたか、何の強みを活かしたのか、分析してみよう。
(2)誰かと一緒に仕事なり活動なりをした後は、課題をレビューするだけでなく、その仲間(上司だけでなく、同僚も、できれば部下も)に「私、どうだった?良かったところも教えてくれない?」とフィードバックを頼もう。
(3)Strengths Finder(ストレングスファインダー)などの分析も利用してみよう。

この様に都度、自分での評価、人からの評価をまとめていくことで、自分の才能・能力・個性を自分でよく理解することが出来る。
理解できたら、自分の仕事や活動の中で、その才能・能力・個性をしっかり活かし、磨いていこう。
それは必ず、あなた自身のより良いキャリアのベースとなり、組織の生産性を高め、良い成果を出していくことに繋がっていくから。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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