salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2018-09-5
お元気、ステキおばーちゃんになりたい

先日、大学生向けのキャリア漫談をした時、一番多く聞かれたのは
「一般職と総合職の違いについて」
だった。

最近は、そういう括りも殆ど無くなってきてるのかな?と思いきや・・・
一般職制度を一旦廃止して総合職に統合したものの、やはり仕事の中には派遣社員や契約社員には任せられない、正社員に任せたい定型業務やサポート業務があって、その業務をしてもらうために一般職的な制度を復活させている企業もあるんだって。

確かに、
「自分は先頭に立って引っ張ったり、リーダーシップを取ったりするのは苦手」
「誰かをサポートすることに喜びを感じる」
という健気な人は少なからず居て、そういう人は一般職業務でもしっかりやり甲斐を感じられる。
所謂部活のマネージャーや、尽くすタイプの奥さんとか旦那さんというのはこの類なのだろう。

皆がガツガツしたリーダーでは船頭が多くなり、組織は成り立たない。
マネージャーやディレクターのポストだって、数には限りがある。
需要と供給が合致する範囲において、一般職も一概に悪い制度とは言えない。

一方で気になったのは、彼らの質問の後ろに
「総合職だと、結婚して、出産しても仕事を続けるのって難しいですよね」
という心配事もあったことだ。

業務への適性に鑑みて一般職を選んでいるならハッピーだが、本来もっと前のめりに仕事に取り組みたいのに、家事・育児との両立のためにそれを諦めなければいけないと感じているとしたら・・・本当に勿体ない。

彼女たちには、
「私が子どもを産んだ20年前に比べたら、世の中の理解や雰囲気も、各種制度利用度合いも、かなり進んできているから、最初から諦めないで。その観点も含めて就職先を選ぶのが一番良いけれど、まだ十分に風土も制度も整っていない組織に入ったなら、自分が先例を作る、自分が進んで仕組みを変える、位の気概を持って。」
と伝えたけれど・・・

国が発信するメッセージやメディアの報道内容とはかけ離れて、実態はまだまだってことだよね。
我々世代は、もっともっと先陣を切って風土も制度も変えていく努力をしないといけない、と痛感。

こうして、若手からはミドル世代としてやるべきことを学ぶことが多い。
その一方で、先輩方の後ろ姿から、自分のシニアになった時の在り方について考えさせられることも多くなってきた。

この1-2年は特に、メンターとして慕っていた人が次々60歳の定年を迎えて・・・
職場に乞われて、そのまま仕事を継続するために、シニア再雇用制度を利用し、引き続き現役に負けない、もしくはそれ以上に活躍している人。
会社名を背負わないでどこまで勝負できるかを試すために、元気に就活中の人。
仕事はさっさと辞めて、旅に出たり、趣味に没頭したりして、思いっきり遊んでいる人。
定年退職時期を待たずに、自分の判断で転職して、新しい職場で活躍している人だって居る。

他方、
「あの人、早く辞めないかな・・・」
と、周りが指折り数えて退職時期を待っている、残念至極な人も少なくない。

その人は、仕事で何の成果を出して来たのか?
働く仲間として、周りにどういう影響を与えてきたのか?
その真価が一番問われるのが、定年退職時期。
上方向の評価で決まる年次評価や昇格なんかより、よっぽど正直だし、酷だ。

自分自身、「その時」が近づいてきた時、「皆に早く辞めてくれー!」と願われちゃう人にだけはなりたくない。
そもそも、だらだらと組織に依存したり、しがみついたりもしたくない。
そんなことを考えていると、素敵なシニアにどうしても目が向いてしまう。

少し前の話になってしまうが、今年の3月、63歳で芥川賞を受賞した若竹千佐子さんの受賞インタビューには、印象的な表現がいくつもあった。

「女性は、人生のそれぞれの段階で、娘、妻、母と期待される役割が変わっていくが、おばあさんになると役割が消えていく。その役割から解き放たれて、孤独だけれども自由になったときに何を考えるのか。そこから生まれる“おばあさんの哲学”を書きたかった」

「“老い”によって、私はどんどん自由になっていくはず」

若竹さんは、若い頃から小説家になりたいという夢を持っていたが、筆一本で食べていけるとは思えず、教師を目指す。しかし教員免許試験に受からず、5年チャレンジした結果諦める。その後学習塾で講師をしている時に旦那様と見合い結婚、専業主婦となった。主婦をしながらも、自分の発見や理解をノートにメモしていたけれど、本格的な創作活動に入ったのは旦那様が亡くなった2009年から。小説講座に通い始め、8年間学び続けて、卒業後の受賞となった。

受賞作品『おらおらでひとりいぐも』では、主人公の桃子さんのセリフを借りて、おばあさんの“哲学”がこんな風に書かれている。

夫を愛し、子どもを愛し、彼らに尽くしてきた人生、そこに間違いなく幸せがあった。
でも、いつの間にか人の期待の中で生き、自分自身を犠牲にしてきたことにも気が付いてしまった。
夫の死を迎え、子どもと疎遠になりつつある今、自分が自分の人生を生きる自由を手にしている。
そして、夫の死を悲しみつつも、同時に、手にした自由を喜ぶ自分も居る。
私はこれからの人だ。私は私の人生を引き受ける。

綺麗事ではない自分の気持ちを正直に、深く見つめている。

この若竹さんの受賞は、今、専業主婦で、「私には何もない」と考えがちな人にも夢を与える出来事だ。
歳を取って自由になってからの時間はたっぷりある。
今出来ないことでも、若竹さんの様にずっと温めておいて、色々な役割を終えてからジックリ取り組むということは素敵だ。例え、芥川賞を取らなくてもね。

文藝春秋8月号に掲載された、『極上の孤独』を著した下重暁子さんの記事、「孤独こそ至高の資産なり」にも、頼もしいご意見が沢山。
歳を重ねると、どうしても孤独になりがちだが・・・

「孤独を愉しむためには、自分との対話ができないと駄目」

「自分を知らないで一生を終えるのは寂しいと思う。この世の中にたった一人しかいない自分だから。自分にとって何が愉しくて、何が悲しいのか。私は自分をよりよく知り尽くして最後を迎えたい。人とだけ付き合って終わりたくない。」

「孤独とは本来、格好いいもの。誰とも群れず、誰にも媚びず、自分の姿勢を貫く。すると自然と内面から品が滲み出てくる。そんな成熟した人間だけが到達できる境地。しかし日本では孤独嫌いが多く、孤独に対するイメージは一般的に良くない。何故か。それは日本人に『個』が無いから」

「孤独の『孤』は個性の『個』。孤独を知らない人は個性的になれない。人と群れる、人の真似をする、仲間はずれになることを恐れる、物事に執着する。自分を持って一人で歩むことを拒み続けていると、いつまでたっても『個』は育たない。個育ては孤育てでもある」

「歳をとることは、様々な経験を積み重ねて、個性的になっていくということ。最後は一番、その人らしく、個性的になって死ぬべき」

「家族であっても、夫婦や子どもであっても、他人。初めから他人だと思っていると生きやすい。余計な期待もしない。人に期待をしてはいけない。期待というのは自分にするもの。自分のものなんて自分一人しかいない。人間はやはり孤独な存在。」

これらを、寂しい発言と思う人も居るだろうか?

私には、ひたすら頼もしかった。
私自身、こんなに沢山発信をして、多くの人に自ら関わって、孤独とは全く縁が無いと思われがちだけれど・・・
そんなことはなくて、結構な孤独癖がある。
沢山人に会って、インプットやアウトプットをした後には必ず自分だけの時間を確保して、そのインとアウトを調整して、消化する。同時に、知らず知らずに遣っていた気持ちを解放して、弛緩させる。
音楽や海を愉しめる趣味を続けているのも、その解放や弛緩に効果的だからだ。

でも同時に、とても寂しがり屋でもあって。
構って欲しい時と、ほっておいて欲しい時とあって、つまりは、ワガママなんだなぁ。
でもきっと、みんなだってそうだよね?

この様なしたたかさや強さは、女性の方がより持っていると思うが、素敵なシニアは男性にだって勿論居る。

ある勉強会でご講演をお聞きした物理学者の早野龍五さん。

子どもの頃は幼稚園に行かずにヴァイオリンの英才教育を受け、高校時代からは物理の研究者を目指し、ドイツ、スイス・・・とグローバルに活躍する原子物理学者になる。
東日本大震災で、東京電力福島第一原発事故が起きた時、専門家としてTwitterを通じて放射能に関する情報を発信、その後も福島県の子どもたちの内部被爆の調査と経過観察を続けてきた。

原発廃止論者からは多くの批判も浴びるが、
「自分が研究者として活動出来たのは税金を使わせてもらっていたから。
これまで自分を支えてくれて来た納税者に、何か恩返しが出来ないか?」
という想いが、活動を続ける原動力になった。

そして、2017年3月には、定年を迎え、長く在籍した東京大学を退官。
そこからは、
自身がヴァイオリンを学んだ公益社団法人スズキ・メソードの会長という音楽分野、放射線影響研究所の評議員、国際物理オリンピック2022協会理事という物理学分野、糸井重里さん率いるほぼ日のサイエンス・フェローという、サイエンス・コミュニケーター分野の3足の草鞋を履き、引き続き大活躍中。

ポリシーは「アマチュアの心で、プロの仕事を、楽しそうにやる」、つまり、初心は忘れず、やるからには全力を尽くし、実際には楽しくなくても、前向きにやる、ということなんだそうな。

図抜けた才能を出し惜しみせず、自らも楽しみながら世の中のために尽くしていく姿がカッコいい。
こうなれる人は多くないとは思うけど・・・誰にでも得意分野はある。
そこを世の中のために出し惜しみしない、という姿勢は是非見習いたい。

では私自身、どんなシニアになりたいか?

本当はそんなに長生きしたくなくて・・・
いつ死んでも悔いが無い位、毎日人生を謳歌している自信はあるので、60歳位でパッと死ぬのが一番いい。

でも、生き続けるのであれば、まずは自分自身が愉しく、毎日を過ごしていたい。
「あのおばーちゃん、元気ね!一体いつまで動き回っているのかしら?」
って言われちゃうくらいに。
あちこちのじーちゃん、ばーちゃんと沢山遊んで、お互いに定期的に安否確認をし合って、出来る限り次世代の迷惑にならない様にしたい。

有り余るはずの時間を使って、現役時代には我慢していた旅行、映画鑑賞、LIVE、読書に時間を使いたい。
あ、麻雀もね・・・

その上で、自分の何らかの得意技を活かして、出来るだけ長く働き続けたい。
その得意技が何なのかについては、今も色々と模索中。
経済的自立のためには、多少は稼げていると有り難い。

今時、結婚しない人も多いから、自分が嫁や孫を持つ様になるかは判らないし、別に期待もしていないけれど・・・
もし息子が結婚して、子どもが生まれて、そのお嫁さんが仕事で一生懸命頑張っている人だったら、時々孫の面倒を看て、サポートしてもいい。でも、あくまで時々ね。

いずれにせよ、一番大事な資本は自分の心身の健康。
メンタルを元気に保つ資源には、朋友、音楽、海、本・・・と事欠かないし、食事の栄養バランスも気を付けているけれど、運動の方はサボりがち。

そう思って昨年冬から始めたトランポリン。
先日、飛びながら腕をぶんぶん振り回していたら背中の左側の筋をおかしくしてしまった。
近所のカイロプラクティックに行ったら、長いデスクワークで背骨が歪みがちで、その影響でもあるんだって。これからも、定期的に通って体を整えていくつもり。

でも、そこで言われたことの一番の気づきは・・・毎日食べ過ぎているらしいこと。
先生に「お腹をよく壊します」と伝えたら、試しに食事量を控えてみてください、と言うのでやってみたら・・・頻繁だった下痢が改善。
口が欲しい量と、胃腸が欲しい量は違うってことなのね・・・トホホのホ。
これからは、暴食しない様に気を付けまーす。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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