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我が書斎、横須賀線車中より

2017-10-5
私のアルバイト物語 家庭教師編 その1

7月16日から全6回のプログラムで進めてきた【Career Climbing】~おとなのためのキャリアの学校~のモニターコースが、10/1で最終回を終えた。

毎日短期的なミッションで忙しくて、自分の中長期のキャリアプランについてじっくり考える機会の無い人はとても多い。
でも、エイヤッと思い切って時間と場所を区切って自分と向き合ってみること、他の人との、オープンで深い対話を通じて自分自身への理解を深めていくこと、そういうニーズと重要性を改めて感じたモニターコースだった。

そしてこの活動に使っている時間は、キャリア・コンサルタントである自分にとっても非常に学びの多いものとなった。
個人のコンサルテーションを意識して個別フォローしつつ、全体の進行を把握して、思考が拡がる様な、そして対話が深まる様な問いを投げて時間ぎりぎりまで攻め、終盤はその回の到達目標に向けて一気にまとめていくファシリテーション。
予め筋書を書くことは出来ないのでまさにLIVE。
3時間が終わると脳みそが痺れているが、参加者の笑顔を見るとその疲れも吹っ飛ぶ。

人が抱えている課題を解決できるのは、結局その本人でしかない。
そこに寄り添っていくのがキャリア・コンサルタントの使命だが、一人で出来ることには限界がある。
グループ・ダイナミクスの力を借りてその限界の壁を打ち破るのがこういう場の良さだ。
だから本コース開設に向けて、しっかりレビューして準備をしていくつもり。

一方、今回のコースには20代の若い女子も何人か参加してくれていて、こういう若い女子と定期的に会って彼女たちの話を聴くというのもとても楽しかった。
今までやってきた大学や各種組織でのキャリア漫談では基本的に一回しか会わないので、「定期的に」、というのがミソだ。可愛い妹が何人も出来たみたいな感じ?

この感覚、なんだかデジャブ―感もあって懐かしい・・・と、思い出したのが家庭教師。
そこで久しぶりに私のアルバイト物語の続きを書くことにした。
いざ、家庭教師編、その1。

*****

私が家庭教師を始めたのは、ウェイトレスなどの肉体労働の限界を感じ、もう少し稼ぐことの効率を高めたくなった大学1年生の秋頃。5月の記事に書いた、24時間営業のファミリーレストランでの深夜のアルバイトを辞めた時だった。
当時、ウェイトレスなどのアルバイトはどんなに高くても時給800円程度が関の山なのに、家庭教師をやれば倍以上稼げる。
しかも、肉体労働ではないのでそこまで疲れず、部活の練習(や勉強)にも響きにくい。
しかも、多分おやつとお茶が出る。
しかも、時間帯によってはご飯まで出ちゃうかも?
なんともヨコシマな動機で始めることにした。

どんな風に何を教えるかなんて、何も考えていなかった。
経験は勿論無いけれど、始めてみりゃ何とかなるだろ、と思っていた。

まずは、駅前の銀行の掲示板に貼るアピール広告の作成。
自分は中高大一貫校の私立に在籍しているので、各種受験対応はできないこと、従って学校の授業支援がメインとなることを明記。
当時の家庭教師は2時間制が主流だったが、勉強モードへ温度を上げるのにはそれなりに時間がかかるものなので、3時間制を取ることを提案。実際は往復の手間を考えた時の時間効率性を上げたかったのだが。
他にも貼られていた家庭教師の広告をチェックして、自分の相場を見極め、時給は2500円とした。
四角いマスを沢山書いてその中に自分の名前と家の電話番号を書き、安全ピンでマスの境目にチクチクと穴をあけて切り取り用の点線を作り・・・
めでたく掲示板に貼らせてもらって、電話を待つこと暫し。

最初に電話をかけてきてくださったのは、葉山の木古庭に住んでいる高校1年生の女の子のお母さん。
上記の様な情報量の乏しい、得体の知れない、経験も全くない女子によくも電話してきてくれたもんだ。
(今なら、SNSなどを使ってもうちょっと詳細情報を出して募集するのかなぁ?そもそも、個人のやる家庭教師って今どの程度アルバイトとして成立してるんだろう?)

そのお母さんも家庭教師を雇うのは初めてとのこと。
お嬢さんが学校の授業についていけていない時があるので、そのフォローをするという方針であっけなくスタートすることになった。
今でも覚えているのはそのお母さんの顔と女の子の顔が余りに似ていたこと。
その女の子がなんともノンビリしていたこと。

科目については、何を教えていたか全く記憶に無い。
数学と英語は自分も苦手だったのでやる訳が無いと思うのだけど、その2科目以外で需要があっただろうか?
こんないい加減な先生だったなんて、本当に恐ろしや。

授業の内容は、自分自身は全然やっていなかった癖に、何となく予習と復習をやっていれば大丈夫だろうと考えた。
復習をやって躓いたところを何度かやり直し、内容を理解できてもし時間が余ったら予習をやり、時間が無かったら予習は宿題とした。

この女の子は、睫毛が長くてキリンの様だった。
教えた科目は覚えていない癖に何故そんなどうでも良いことを覚えているかと言えば、問題を解かせていると彼女が解いている最中に時々眠ったからだった。
その寝ている横顔を「あーあ、寝ちゃったよ・・・」と思いながら少し眺めて、暫くしてから「おーい、起きろぉぉぉ」と起こしていた。
自分も疲れていると、その眺める時間を少し伸ばして、自分も休憩などして、暫く経ってから起こしたこともあったっけ。
今考えると本当にとんでもない熱意の低い仕事ぶり。
ああ、本当に本当にごめんなさい。

そんないい加減なやり方でも、ある一定時間机の前に座って勉強をするという習慣が身につけば成績は少なくとも下がらず、劇的な向上はしないものの、たま~に少しは上がったりするもので、何とかクビにはならないで済んでいた。
でも多分、私がクビにならないで済んでいた一番の理由は、彼女の相談相手、今で言えばメンターとしての役割発揮だった様に思う。

3時間のうち、2時間位経過する頃に出てくるお茶とおやつの時間は、彼女と勉強以外のことを話す楽しい時間。学校であったこと、部活のこと、将来のことなど、彼女が話すよしなしごとを色々と聴いた上で、ちょっと年上のお姉さんとしてアドバイスをする。
そこで彼女からの信頼感を得ていったのが、良かったのだろう。
今思えば、これって今のキャリア・コンサルタント活動の原型だったのかもしれない。

その信頼感の証は、第二の家庭教師先として、彼女が同級生のお友達を紹介してきたことに現れた。
そのお友達も女の子だったが、この子はレッサーパンダ似の目がパッチリとした子。
そして、勉強はともかく・・・自分の将来の夢について語り、それについてアドバイスが欲しいという欲求を明確に持った子だった。
本人の熱意で親の面接は難なくクリアー、二人目の家庭教師が始まった。

彼女の将来の夢は、動物病院のスタッフ、もしくはトリマー。
動物が大好きなのに家では飼ってもらえず、動物と触れ合いたいという夢を仕事で実現したいと思っている、でも親はもっと勉強して大学に行けと言う、自分は専門学校でいいのに・・・と毎回のおやつ時間に彼女が熱く語る。
私自身は、家で動物を飼っていた訳ではないのでその分野には全く詳しくなく、ふんふんと聴くことしかできなかった。
だから、せめてものアドバイスとして
「親に自分の言うことを聴いてもらうためには、まずそれなりに親の期待値に応えることも大事なのでは?そのために勉強位はそこそこちゃんとやっておこうね」などと言っていた。
その肝心の勉強のシーンはこれまた全く記憶に無いんだけど・・・。

今でも思い出すのは、彼女たちが二人で会う機会に呼び出されて、3人で将来について色々とたわいも無く話をしたこと。
そして、トリマー希望の子がその後夢を叶えて専門学校に入り勉強を始めたところ、肌が弱くて手が荒れてしまって洗剤を使い続けることが出来ず、夢を断念することになったと手紙を書いてよこしたこと。
家庭教師というよりも、彼女たちのお姉さん的な相談相手になったことばかりが記憶にある。
彼女たちの家庭教師はそれぞれ1~2年はやったけれど、本格的な受験期を迎える前には、「私の様な個人ではなくて、受験情報なども入手して戦略的に対策出来る塾へ入ることをお勧めします」と提案して自分から継続を辞退した。

彼女たちと並行して3人目の対象者を探していた時、お受験モード全開のママゴンとは全く反りが合わないということを実感する出来事もあった。
それは逗子のビバリーヒルズと呼ばれる披露山高級住宅街のある家からオファーがあり、面接を受けた時のこと。
私はウィンドサーフィンの部活終了後、シャワーで濡れた髪もそのままに、ウィンドサーフィンの道具を積む運搬車としてさんざん使っていた12年落ちの汚いスズキカルタス1000というハッチバッグの車でその家まで行った。
出迎えたお母さんはリアルなスネ夫のママという雰囲気で私のことを上から下まで3往復程ジロジロと眺め、
「本当に〇〇大学にご在籍?学生証を見せて下さる?」
と言い放った。
学生証を見せたらまたそれをしげしげと眺めてぶっきらぼうに返し、しぶしぶ私を家に上げた後お茶一杯も出さず、中学に入りたての娘について一方的に語り始めた。
曰く、本当は実力があるがたまたま受験の時に力を発揮できずに今の学校に入ることになった、私も本人も納得がいかない、だから高校受験では絶対に失敗しない様に今からガリガリやっておきたい、娘は理系が良いと思う・・・云々。
隣に座っている娘はスネ夫ママの相似形で、眼鏡の奥にある目は冷めきっており、それが生来のものなのか、横のママを気にしてなのか、異様に日焼けして髪の濡れた変な女子大生の私のせいなのかは判らなかった。
彼女は頷くこともなく、一言も発せず、ただそこに居るだけだった。
スネ夫ママの一方的で長い話を辛抱強く聴き続け、漸く私が口を挟めるタイミングが来たので
「お母さんのおっしゃりたいことはよく解りました。実際の進め方は、お嬢様の意向も伺いながら、お嬢様とも相談しながら決めたいと思います」
とだけ言った。
スネ夫ママの眼鏡がキラリと光り、早く帰れモードが全開になったのでそそくさと失礼した。
ムカムカしながら車を運転して家に帰宅すると、既にその家からお断りの電話が来ていて、親に伝言が託されていた。
私はホッとして、ウマが合わない時にはお互いに解るもんだなーと妙に感心した。

この3人での経験が、勉強の成績を上げる役割というよりも、メンター的な役割を果たすことを主目的として、その後の家庭教師の対象を絞っていくことに繋がっていった。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ3,600名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。

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