salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2017-05-5
私のアルバイト物語
ウェイトレス編 その3

大学生になった最初の年、ファーストフードMを辞め、更に割の良いアルバイトを探した。
ウィンドサーフィンのクラブに入り、セイルやボード、ウェットなどの購入に恐ろしくお金がかかり、それを全て自分で賄いたかったからだ。

今でも覚えているが、セイルとボードのセットで27万円、ウェットは6万円もしたので目が飛び出た。それまで続けていたアルバイトの貯金と、全く手を付けていなかったお年玉があったので何とか全額払えたが、ウェットは最初に買った春秋用のシーガルの他に冬のセミドライも買う必要があったし、合宿費、試合の遠征費など、まだまだこれからお金がかかることも判っていたので、手っ取り早くガツンと稼ぎたかったのだ。

今思えば、よくあんなにお金がかかるスポーツをやろうと思ったものだ。
でも学生の間は、時間のある学生の間しかできないものをと考え、マリンスポーツがどうしてもやりたかった。

高校生の間は、学校に見つからないためには学校から遠い地元しか選択肢は無いと考え、逗子の商店街をうろつき、張り紙を片っ端からチェックしてアルバイトを探したが、大学生になると晴れてアルバイトもおおっぴらに出来る様になり嬉しかった。当時の2大アルバイト情報誌、「デイリーアン」と「フロムA」をパラパラとめくって探す、その行為だけで随分大人になった気分だった。

早速夜間警備のアルバイトを探してみたが、募集があるのは男子学生ばかりで女子学生は採ってくれない。それ以外のアルバイトは授業やクラブの練習時間と重なっていてなかなか都合が合わない。
どうしようかなぁと考えていたら灯台下暗し、通学バスの中から近所にオープンして間もない、24時間営業のファミリーレストランで深夜枠アルバイト募集のポスターを発見した。

早速行って面接を受け、「Mでアルバイトをしていました」と言うとアッサリ合格。やはりMの威力はすごいと実感。
ここでも男子は厨房、女子はフロアのウェイトレス、というのが大枠の分担で、グレーのパフスリーブに白いエプロンの制服を貸与された。最初にウェイトレスをやった時の制服も似合わなかったのだが、今度は日中海に出る生活に入っていたので春先で既に真っ黒に日焼けしており、パフスリーブから出る腕が筋肉粒々で逞し過ぎると他のバイト仲間に笑われた。1人だけ、私に負けない黒さと腕の太さを誇るスタッフが居たので何をやっているのか聞いてみたら、相手はヨット部だったので、更に黒さを競う約束をした。

ここでのカルチャーショックは、ウェイトレスの仕事が近代化されていたことだった。
最初に勤めた長者ケ崎のレストランでは、銀のトレイに紙の注文票だったが、こちらではベージュのトレイの上にゴムが貼ってあって滑らない様になっており、注文票は全て電子化され、ボタンを押して受注し、それを専用のフォルダーに差し込むと厨房へオーダーが入る仕組みだった。便利な様だが味わい薄い。あの銀のトレイでも滑らない様にちゃんと持てるんだけどな・・・と自分の腕が落ちる様で少し悔しくなった。

更には、メニューのバリエーションの豊富さに驚いた。長者ケ崎のレストランと違って全国チェーンでもあるそのファミレスは、途中まで加工されている料理キットを使うので、メインでもデザートでも和洋中、何でも揃う。しかもシーズン毎にメニューが変わる。その分手作り感も落ちるし、スタッフは覚えるのが大変だが、賄いの時に選べるものが多いのは嬉しかった。

一番好きだったメニューは、きびなごサラダという、オニオンスライスやレタス、トマトなどの野菜の上に揚げたきびなごが10本位乗っているサラダと、ジャンバラヤというメキシカン風チキン、ピラフ、ポテトの盛り合わせのスペシャルセットだった。

何故こんなにハッキリ覚えているかというと、その当時、私が人生の中で一番大食漢だった時代に、この賄いが非常に貴重だったからだ。高校までは学校が遠いからと運動部に入らないで来たのだが、大学で初めて運動部に入ったら、練習でとにかくお腹が空くのに参った。忙しいので実家でゆっくり食べる暇は無く、かと言ってお金が余り無いので外食でもいかに安く沢山食べるかを考えていた。
海でのクラブの正規練習がある日は朝9時に海に出て、17時に上がってくるのだが、お昼は一旦浜へ戻ってきてホカ弁の「唐揚げ&シューマイ」の二段弁当とギンビスの「食べっこ動物ビスケット」ひと箱、更にチョコアイス最中まで食べた。それでも17時に海から撤収した時には既にお腹が空いていて、夜ご飯をクラブの仲間と食べるのにも、ボリュームの多い定食屋やご飯のお替わりし放題のところを探して入ったものだ。

ファミレスは家から徒歩20分、自転車で5分位のところにあった。
海に出た後深夜のアルバイトに入るのは流石に体力的に無理なので、学校で授業がある日に入ることにした。
東京のキャンパスで夕方まで授業を受け、一旦家に帰ってから20時頃にお店に入り、まず賄いをガッツリ食べ、21時頃から仕事をスタートする。フロアは確か7~80席位の大きさだったが、お客様は時間が遅くなるにつれ少なくなるので必然夜はメンバーが絞られ、23時頃には他のスタッフは帰宅し、私1人となる。厨房には2名、計3名でお店全体を回す。

深夜ではお客様が全然来ない時間帯もあって、その間は当然楽だ。ボーっとしている訳ではなく、各テーブルのナプキンや楊枝、お砂糖の補充をしたり、調味料類のボトルを綺麗に拭いたりするのだが、それでもやることが終わってしまった時は厨房のスタッフとノンビリおしゃべりをしていた。これで深夜の高い時給がもらえるなんて、なんて割がいいんだろうと感激した。

厨房のスタッフには面白いのが色々居たが、今でも忘れられないのはヘビメタ野郎だ。
フロアには有線の音楽をかけることになっていて、普段は勿論無難なクラシックや歌の無いインストゥルメンタルなどをかけているのだが、ヘビメタ野郎が居る時にお客様が全員帰ったら、「みんな帰ったよー!」と声を掛ける。すると彼は有線のチャンネルを変えてヘビメタにし、近所迷惑にならない程度に爆音にし、厨房から出てきてキッチン用キャップを取り、ヘッドロック(音楽に合わせてブンブン頭を縦に振ること)をしながらフロア中を歩き回る。その間一言もしゃべらないでひたすらヘッドロックをしているのだが、その様がおかしくて他のスタッフと私は一緒に笑い転げる。しかしこの状態でもしお客様が入ってきたらビックリしてしまうので、笑い転げながらも常にお店の外には目配りをする。車がスーッと駐車場に入って来た時には慌てて「お客様!」と叫ぶ。するとヘビメタ野郎も慌てて帽子をかぶり、さーっと厨房に戻り、有線のチャンネルを元に戻す。間一髪でお客様の入店に間に合い、私はドアの前に立って「いらっしゃいませ~♪」と笑顔でお迎えするのだった。

しかし、深夜枠にも大変なことはあった。地元では色々な大学のヨット部がしょっちゅう合宿をしているので、彼らが大挙して深夜にやってくることがあるのだ。車が立て続けに数台入って来た時はまさにそういうタイミング。1人で数十人を相手にいかに回すかをシミュレーションしながら、腹を決めて迎え撃つ。

「いらっしゃいませ、お客様は何名様でいらっしゃいますか?」
「えーと、25名かなぁ・・・」

てな具合に闘いは始まる。
何せ、その人数になると最初のお冷とお絞りを出すだけでも一往復では済まない。
コツは、いかにこのメンバーの中のマメそうな、もしくは優しそうな人を見つけて笑顔で味方に引き込むかだ。私の腕が剛腕なのは見ればわかるのですぐにバレてしまうが、それでも女子なんだからとちょっと非力ぶる。
「ああ、ごめんなさい、回して頂けますか?有難うございます~!」
とMで鍛えたスマイルで愛想を振りまきながら、お冷を乗せたトレイは自分たちでグルグル回して勝手に取ってもらう。

注文を取るのも一苦労。
当然皆てんでバラバラに言ってくるのを、間違えて受注しない様にファシリテートしなければいけない。
「お会計はテーブルごとでよろしいですか?まとめてよろしいですか?ではこちらからご注文を伺いますね、順番におっしゃって下さい」
そしてテーブルごとに復唱、間違いが無いことを確かめる。この時、ちんたら25名分を復唱していてはそれだけで恐ろしく時間が経ってしまうので、早口で、でも滑舌よく明確に発音する。

お料理が出てきてからも25名分運ぶのには難儀する。
剛腕にモノを言わせて長者ケ崎で鍛えたお皿3枚持ちで往復の数を極力減らし、小走りギリギリ手前の速歩で運ぶ。

全部お料理を出し終わったからと言って油断は禁物。すぐにコーヒーのお替わり攻撃が始まるからだ。学生は貧乏で出来る限りお替わりをしたいのは共感できるので、彼らに料理を出したらすぐ、コーヒーメーカーで沢山落としておく。一度呼ばれたら何度も往復したくないので、お替わりをついでいる間に「他にコーヒーお替わりの方はいらっしゃいませんか~?」と叫び、まとめて片づける。凄く気の利いた人が居る場合には、コーヒーポットごとテーブルに置いて「どうぞセルフサービスで」、とお願いしてしまう。

最後の決戦は会計だ。まとめてくれる団体はほぼ皆無なので、25名分を分割して会計していく。ここで間違えると後が厄介なので、払い忘れが無い様に厳しくチェックしながら、全員が帰る前に手早く帳尻が合う様にする。

全てが終了する頃にはヘトヘトだが、彼らが帰った後も片付けが待っている。他にお客様が居ない時は厨房のメンバーが出てきて手伝ってくれるので、ここでも連帯感が高まる。
片付けも全てし終えて、またフロアが誰もいない空間に戻ると、何とも言えない達成感に満ち溢れる。

お客様が居ない時、2時位は一番眠い時間帯だが、ここで寝てはならじとスタッフが怖い話を聞かせてくれたことがある。
「角から2番目のテーブルは、2時になると砂糖壺が勝手にカタカタ動くんだよ・・・。よくよく目を凝らして見ると、砂糖壺を拭いている女の子の影が見えるんだ。ここでアルバイトをしていたけれど、病死した女の子の霊なんだって・・・」
冗談だと判っているのに一度聞いてしまうと恐ろしくて、2時にそのテーブルは絶対に見ない様にしていた。

アルバイトを始めた時は夏に向かう時期だったので、5時前には、少しずつ夜が明けてきた。
山の向こうからしらじらとした空が広がり、フロアに少しずつ陽が差し始める時間帯は何ともすがすがしくて、とても好きだった。

しかし、5時に仕事を終えた後、家に倒れる様に帰り、シャワーを浴びてから一度ベッドに潜り込むと、結局その日は1日全然使い物にならないのだった。これでは学校の授業も受けられないし、ましてや海に練習にも行けない。
結局この深夜枠のアルバイトは長続きせず、3か月で止めることにして、もっと割の良い家庭教師を始めることになる。
そしてこのファミレスのアルバイトが、私の人生最後のウェイトレスのアルバイトとなった。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

1件のコメント

凄く解りやすい文章でした、まるで何かの小説を読んでるような。
ヘビメタ君の感じがよく解り笑えますね。
由里子さんのような頭脳明晰な方は何でも出来るんだなって羨ましいです。
僕も5年前から始めたウクレレと10年前から通ってるジムトレをこれからも続けて行けるよう頑張ろうと思います。
今後も仕事に歌にヨットと頑張って下さい、応援しています。

by ヒロポン - 2017/05/05 6:28 PM

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ3,600名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。

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