salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2018-11-5
No Music No Life

最近、キャリア相談に乗っていて受けた質問。
「自分のモチベーションを、自分のエネルギーを、どう保っていますか?」

ならば、このテーマについて書くしかない。
私のモチベーションをあげてくれるものは色々あるけれど、一番即効性があるもの、それが音楽。
どんなに気持ちが落ちていても、どんなに疲れていても、音楽さえあればしっかり気分転換できる。
こんな単純な脳みそに産んでくれた両親にも感謝だが、何よりこの世に音楽があることに感謝。

今、仕事では、とてもありがたいポジションについており。
面白くて、難しくて、仕事のことが頭から離れなくて、夜中に急にアイデアを思いついて手帳に書き留めるなんてことが久々に起きている。

任されている課題のハードルはとても高くて、
「何でそのことに思いが至らなかったんだろう」
と自分のアホさ加減を思い知ることも頻繁。
そんな環境は成長出来るんだから、幸せだと前向きにテンパり中。

テンパってるんだから、せめて他のことはペースダウンすりゃいいのに・・・
結局、三度のご飯より好きな音楽。
誘われたらNOとは絶対に言えず、膝を擦りむいても拾いに行って引き受けてしまうこの性のせいで、今月はなんと6本のLIVEをやる羽目に。
その内漸く2本が終わったので、その興奮が冷めやらないうちにこの原稿を書いている。
以前、これが私のお気に入りという記事の中で、音楽が好きだということは少しだけ書いたけど、今回は詳しくね。

実際、どれだけ好きかというと・・・

朝起きて最初にすることは、ラジオを付けること。
家にテレビが無くて、モニター代わりのブラウン管しか持っていないので、ラジオは私の貴重な情報源なんだけど、今時の音楽を知るための大事なツールでもある。

夜寝る時にも音楽は欠かさない。
リビングにあるステレオとは別に、寝室にCDプレイヤー付きの目覚ましを置いていて、いつもスリープタイマーで音楽をかけながら寝る。
当然朝目覚める時もそのCDで。

最近はお風呂にも防水スピーカーを導入。
そのスピーカーはヨットにも載せて、洋上でも音楽を聴く。
先日参加した若大将カップという加山雄三がシンボルのレースでは、「若大将写真集付きベスト」をかけまくり。

今仕事をしている組織の居室も、音楽を流してokで、私にとっては天国。
まぁ、イージーリスニング系だけだろうなぁと思っていたら、上司自らROCKをかけ、曲の解説をしてくれる。
私も、音楽をかけた方が捗る派なので、皆であーだこーだ言いながら選曲をしている。

当然通勤時間も音楽無しでは居られない。
もし家に携帯音楽プレイヤーを忘れようもんなら、必ず取りに帰る。

移動時間に音楽を聴くのは、葉山から都内へ遠距離通学を始めた13歳の頃から。

当時学校一番の遠距離通学者だったことを逆手に取り、
「長い通学時間を有効に使って、英語の勉強をしたい」
と口から出まかせを言い、校則が厳しい学校と、なかなかモノを買ってくれない親の許可を取り、テープが聴けるSONYのウォークマンを手に入れた。

初めてイヤホンで音楽を聴いた時は、外に音が漏れないのが不思議で、何度もはずしたりつけたりしたっけ。
当時はテープの表裏をオートリバース(今や死語)で聴けるだけでも斬新だったけれど、今では800枚近くをうんと小さいプレイヤーで持ち歩けるんだもんね、夢の様だ。

その800枚近くは、当然自分のCDライブラリーから入れたもの。
家にはCDが1600枚位入る棚を設置してあって、このネットからダウンロードの時代でもCDは絶対に手放さない私の宝物。多分1200~1300枚位持っている。
未だに気に入った音楽はCDで所有したいから、まだまだ買う気満々。
タワレコなどに行ってしまうと大人買いし過ぎてしまうので、余り近寄らない様にしているが・・・
ネットで買っているだけだと余計なレコメンド機能のせいで、自分の音楽の興味関心の幅が狭くなってしまう様で悔しいので、世の中のCD屋さんには頑張って欲しいと思っている。

1200~1300枚のライブラリーにはどんなラインナップがあるか?
演歌、ヘビーメタル、今時のアイドル、AVEX系、ヒップホップ系などには余り興味が無いけれど、他は大体何でも聴く。
ジャンルとして枚数が多くて未だ増え続けているのは、JAZZ、BOSSA NOVA等ワールド系、昭和歌謡、J-POP。
時代的に申し子なので80′sの洋楽、後は一時期組んでいたバンドの影響でHAWAIIANも多いかな。

バンド歴も長い。
初めて組んだのは中学2年の時、忘れもしない1985年。

自分は楽譜も読めない、ピアノも習ったことが無いのでバンドをやるなんて思いもよらなかったが、当時バンドを組むのが流行っていた時代で、何故かボーカルが居ないので入ってくれと言われたのが始まり。
私は洋楽が好きで、BILLY JOELやBRYAN ADAMSなどがやりたかったのだけど、女子校だったのでメンバーから提案されたのは、レベッカやPRINCESS PRINCESS、渡辺美里、小比類巻かほる等・・・
当時はまだJ-POPを聴いていなかったので渋々聴き始めたっけ。

自分も含めて皆上手い訳ではなく、ボーカルの声のキーに合わせて曲全体の音の高さを変えるなんて技は思いもよらなくて。
自分の野太い声に対して音程の高すぎる曲を無理して、しかも練習中にガンガン歌ってしまうので、文化祭などの本番当日には声を枯らして出なくなって、客席の皆に歌ってもらう、なんてこともしょっちゅう。
スタジオ代にお金がかかるのでアルバイトして、忙しくて大変だったけど、それでもとっても楽しかった。

大学に入ってからは海のスポーツをやりたくて、音楽系サークルとの両立は難しかったので音楽活動はストップ。
その後就職、結婚、子育てとキャリアが進む中で、ごくたま~に、人のバンドでゲスト的に歌うくらいだった。

本格的にバンドを再開したのは2003年。
逗子に引っ越してきた時、学生時代の海仲間に
「HAWAIIANバンドを組むんだけどボーカルをやらないか?」
と言われて入ったのだ。

HAWAIIANなんてノンビリしたものは私のキャラに合わないんじゃないか?と思ったけれど、実はアップテンポな格好良い曲もかなりあると知り、段々楽しくなった。
同じバンド仲間にウクレレの先生が2人も居たのでついでに習い始め、少しだけだけど生まれて初めて弦楽器を弾ける様になって本当に嬉しかった。
高校時代にバンドでギターを少しだけ弾いたことがあるけれど、到底センスが無くて、弾いている間中不幸な気持ちになって、たった2曲で挫折したからなぁ。

その後、仕事やら健康問題やら色々な事情でバンドメンバーの変遷があって、ジャンルもHAWAIIANから昭和歌謡へ。更に欲張って、BLUES ROCKも、J-POPも・・・と気が付いたら組んでいるバンド数が増えて、今では5個も。

有り難いことに、何かとイベントに呼ばれて、年に7-8回はLIVEをやっている。
特に、去年新しく組んだバンドは皆がやる気満々で「ツアーに出るぞ!」と意気込んでいるので、今年はLIVE数が増えて、数えてみたら全部で12本だった・・・。

これだけ出る場所があるというのも有り難いけれど、何より一緒にやってくれる仲間が居るというのが有り難い。
バンドを一緒に組むには、音楽の嗜好、技術レベル、音楽に割くエネルギーの度合、性格などが合わないと上手く行かないので、そうそう誰とでもやれるものではない。
なのに、私が一緒にやらせて頂いているメンバーは皆それぞれに上手くて、お人柄もそれぞれに愛らしく個性的で、何より音楽を愛していて、その点で通じていられるのが嬉しい。

昔、付き合っていた彼に
「音楽を一緒にやっている仲間とは、演奏しているその瞬間は愛し合っているのと同じだ」
と焼きもちを妬かれて困ったこともある。

まぁ、そこまででないにしろ、バンドを一緒にやっていても、いなくても、大好きな音楽仲間は沢山居る。
例えば同世代では・・・

私は一緒にやったことが無いが、中学からずっと同じメンバーでメタル系バンドを組んでいて、メタルにはちょっと合わない様な気もする、青臭い歌詞のオリジナル楽曲を作る程気合が入っているE。
先日はついに高校生のお嬢さんがギタリストとして一緒のステージに立ち、感動の父娘共演を果たした。

中学時代に拾ったギターを兄弟でいじっている内に音楽に目覚めてハードロックバンドを組み、自己流でメキメキ腕を上げて、ついにプロデビュー、「BURRN!(バーン)」という雑誌に出た経歴を持つS。
今は普通にサラリーマンギタリストで、楽譜は一切読めないけれど何故か何でも弾けて、歌えて、昭和歌謡でもJ-POPでも何でもござれ。美声を響かせながら華麗なギターを弾きまくる。

先輩では・・・

仮の姿は水道屋さん、本当はベーシストというTさん。
助っ人でアチコチに呼ばれるセミプロの腕前。
一緒にバンドを組むまではとにかくひたすら優しいお兄さんという感じだったが、一緒に組んでみたら実はとっても熱くて・・・バンドのコンセプトを練りに練り、LIVE前にはどんな演出にするのか、メンバーに長~~~いメールを送ってくる。
一人ひとりの演奏に気を配り、褒めて、モチベーションを上げさせる、サーバント・マネジメントの達人。

ベーシストは人格者が多いというのが私の持論だが、以前一緒にバンドを組んでいたSさんもそんな人。
転勤で大阪に引っ越すことになって、バンドを抜けてからも、逗子でLIVEをやる時は、時々前触れなくいきなり夜行バスで無茶しながらお土産持参で現れ、我々の演奏を保護者参観の様に微笑み、頷きながら鑑賞。
逗子のいつもの練習場所に自分の存在感を残しておきたいと、毎年大阪地元岸和田のだんじり祭り(1月から12月まで毎月だんじり祭りの写真)カレンダーをプレゼントしてくれる。

その後任で今一緒にやっているベーシストMさんも、どんな曲でも「ボーカルが好きな曲をやったらええ」と厭わず受け入れてくれ、「歳取ってきたから手がつるわ」と言いながら頑張って弾いてくれる。几帳面な性格で、練習場所にはいつも一番に現れ、大好きな私立恵比寿中学のLIVEの予約が取れないからと一生懸命スマホをいじりながら我々メンバーを待つ。

私と同じボーカルでは、尊敬する大先輩のYさん。
既に還暦を超えているけれども、未だにハードロックを熱唱。金子マリやカルメン・マキを彷彿とさせる、魂から絞り出す歌声。なのにMCでは和歌山弁で機関銃の様な漫談を繰り出す。残念ながら声のムードが違い過ぎるので路線は一緒にはならないけれど、本当はあんな風に歌える様になりたかった、と聴く度に思う。

そういえば、うんとかなり歳下だけど、昨日聴いて痺れたのがメタルバンドでボーカルを勤めるY君。
MCで何をしゃべるか、歌っている間にどのタイミングで客席前のバーに足を掛けるかなど、LIVE前に綿密に考えて全部暗記してくるんだそうな。
汗ダクダクでジャケットを脱ぐパフォーマンスをしながら
「お前ら全員、メタルの海に沈めたる~~~!」
「オレらの辞書にないモノは、ご清聴とご着席ぃぃぃぃぃ!肖像権も無い!どんどん写真撮りやがれ~~!」
と叫び、素晴らしいコピーセンスの後ろにお人柄の良さを感じさせる。

って書き始めたら止まらない、スペースが足りない。
まだまだ沢山居るんだよなぁ。
音楽は、それだけでも好きで好きでたまらないんだけど、音楽仲間の存在が相乗効果を産んで、ますます好きになっている。

私自身の音楽キャリアは中学~高校時代に5年間、その後中断して、2003年に再開して今年で16年目。
通算21年だけど、そんなのまだまだ若輩に思える程、30年、40年やってる先輩がゴロゴロ。

私のバンド仲間が多数在籍していたD大学の音楽系サークルは、同窓会的恒例LIVEを、大学地元の大阪だけでなく、東京、倉敷でも毎年開催。近い距離に住んでいるメンバーは勿論、近くないメンバーも新幹線で駆けつける。
私も東京でのLIVEに毎年お邪魔させて頂いているが、私なんて全然若手。
当然、歳を重ねるうちに残念ながら亡くなったりする方もいらっしゃるんだけれど、その方を偲ぶ曲をみんなで歌ったりもして。
一緒にバンドを組んで、練習して、演奏して、聴いたり聴いてもらったりする中で、かけがえのない仲間になっている。
そんな沢山の大先輩にお会いする度に、音楽って一生モノで、いつまでも楽しめるんだなーとワクワクする。

私も、いつまで歌ってられるのかな。
とりあえず後9年、合計30年になったらお祝いしようかなー。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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