salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

我が書斎、横須賀線車中より

2016-09-5
されど、ジェンダー

もしも。
この概念が無かったら。
私たちのキャリアは、生き方は、どんなに自由だろう。

年齢、生い立ち、学歴、親や先生からの言いつけ、立場、所属組織、宗教、常識…
色々な枠組みには、出来るだけ囚われない方が、キャリアを自由に描くことができる。
イキイキ、生きることができる。
私自身、そういう枠組みからはまぁまぁ自由な方じゃないかと自負しているし、よりそうでありたいと考えている。

でも、一番の苦手科目がコレ。
ジェンダー。

もしも、このジェンダーという概念が、いや縛りが無かったら。
女だって、夏の海岸で上半身裸になろうが、腋毛を生やそうが、家事ができなかろうが、仕事に邁進してようが、とやかく言われる筋合いは無い。
男だって、フリルのついた服が好きだろうが、毎晩ぬいぐるみを抱っこして寝ていようが、専業主夫をしていようが、当たり前のこととして受け入れられているだろう。

勿論、ジェンダーとセックスをごっちゃに考えてはいけないのは解っている。

セックスは、あくまで生物学的な性差。
生殖機能の違い、男性ホルモン・女性ホルモン量の差による体毛や筋肉量の違い、外見の違い…
これは、人為的に操作でもしない限り、どうしても出てくる差である。

片やジェンダー。あくまで社会的・文化的に生まれた性差。
「男なんだから」「女なんだから」という枕詞で、ファッション、職業の選択、家庭や職場での役割や責任の分担、言葉の使い方、考え方、心の在り方…様々なものが幅広く規定され、表現され、体現されるが、理論上は、本当はそんなものに縛られる必要は無い。

でも、ジェンダーのベースにあるのはセックス=生物学的な差だから、やっぱり、切り離したくても離せない。

キャリア・コンサルタントたるもの、このジェンダーの狭ぁ~い枠組みからも自由で、多様性を受け入れなければいけないと思うし、そう心がけているが……

クライアントについては、まだ出来る。
相対している時には、脳みそが働いているから。
でも、自分と、自分の身の周りのことになると、からっきし駄目。
多分脳みそじゃなくて、心がしゃしゃり出てくるから。

今回は、自分がどれだけ、このジェンダーに拘り、囚われているかの、懺悔の記である。

例えば。
「女らしさ」で求められがちな献身性が無いのは、前回の記事「家事、育児をなめるな!」でも書いた通り。

ただいま息子が高3で受験生だが、頑張っている彼に、まめまめしく世話を焼くことができない。
普通、母親なら(≒女なら)、もう少しあれやこれやと心配になったりするものだろうが、「だって彼自身のことであって、私のことじゃないでしょー?自分で頑張れや」、と思ってしまう。
従って、彼が朝から晩まで予備校の自習室に通って勉強していようが、模試だろうが、私は私とばかりに、ヨットにバンドにと、自分の予定をバンバン組んでいる。
そんな自分に対して、「別にこれでいいんじゃない?」と88%くらいは確信しているのだが、12%くらいは、「こんなお母さんでちょっと可哀想かな…」と思う私が居る。

そんな彼の行く末について、時々本人と意見交換をする。
最近の流れを考えれば、彼らが大人になる頃には「男でも」家事責任をもっと担う必要が出てくるはず。
その時に備えて、今からビシバシ鍛えておく必要があるが、どうも、手加減をしてしまう。
彼にやらせるとあまりに効率が悪いから、という理由で、継続してやらせているのはお風呂掃除や洗濯ものを片づける程度の家事。
でもこれが娘だったら、間違いなく、もっとやらせているはず。
食器の後片付けだって、日々の買い物だって、トイレ掃除だって。
「男だからまぁいいか…」と、何処かで手加減をしている私が居る。

そして…彼のベッドには、小さい頃から大事にしているぬいぐるみ達がいまだにてんこ盛り。
最近増えたのまであるし。
おいおい、「男子たるもの」、それで大丈夫かよ…
と思う私が居る。

先日、ママ友が集まってワイワイガヤガヤしていた時、「将来彼女とか嫁が、息子にぞんざいな口をきいたら、腹が立ってイビリ倒してしまうかも…」という話題が出た。
「えー、私はそんなことしないよー。大体彼らが大人になる時代には、交際するとか結婚するとかだけでレアになるはず。そんな存在が出来ただけで御の字!」、などと脳みそからは発言していたが。

本当に、私以上に男勝りな嫁が表れて、「おい、○○―、そこ拭いとけよ~」などと言ったら、私はカッチーン(怒)と来ないで居られるのか?
彼女の、そのジェンダーへの拘りの無さにアッパレ!と拍手を出来るのか?
ま、ぞんざいな口ってのは、誰がきいても腹の立つものだけれど…

大体、自分はどうだ?
普段から、「女らしく」とは程遠い立ち居振る舞い、言動。
職場でついたあだ名は自衛隊、ブルドーザー、ユリントン、ゆり姐…
昔、仕事上のパートナーに、「由里子さん、それじゃ男らしくない」と言われては、そりゃいかーん!と奮い立っていたっけ…。
今だって、これでいいのだ、と思っているし、今更「女らしく」なんてできないと開き直っているが。

この骨格の立派さ、胸板の厚さ(板であって胸ではない)、足の大きさ、ウェストの無さ、くしゃみのデカさなどは、密かなコンプレックスである。
もしかして、このセックス的なコンプレックスがベースとなって、ジェンダー的な「女らしさ」の放棄になっているんじゃないか?
同窓会の準備で卒業アルバムを見ていた時、ふとそう思った。

私の同級生たちの、華奢さ、可愛さ、可憐さ…
もしこういう風に生まれついていたら、絶対にもっと「女らしく」なっていただろうな…
そういえば、彼女たちの様じゃなかったから、女を売りにして生きていくことは叶わないと思って、早々に方向性を決めた様な気もするなぁ。

ハッ!
実は私は、心の底では「女らしく」なりたかったってこと?!

と、とにかく。
今はもう手遅れ、普通の男子より「男前」であることで定評があるのに。
パートナーに求めるのは更なる「男らしさ」だったりするので、自分でも自分が面倒くさい。

好みのタイプは?と聞かれて、すぐに回答できず、うんうん唸って漸く脳裏に浮かんできたのは…
白洲次郎。
坂本竜馬。
中村雅俊が演じていた「われら青春!」、「俺たちの旅」、「ゆうひが丘の総理大臣」など青春ドラマの主人公。
SHOGUNの「男達のメロディー 」の歌詞に出てくる様な人。

私は一体何を求めている?
熱量、意思の強さ、決断力、スピード感、ダイナミックさ、スケールの大きさ、志の高さ…
おーい、そんな男子、何処に居るんだー!
そこら辺にゴロゴロしてる訳ないでしょ。
居たとしても、そういう彼らが選ぶのはもっと「女らしい」人に決まってる。

いやいやいや…
これまでの経験を踏まえれば。
実は男の方が「女々し」かったり、女の方が「男前」だったりしたでしょ。
それでも、それぞれに魅力的だったりしたでしょ。
つまり、「女らしさ」や「男らしさ」なんて、巧妙に作り出された思い込みだったはず。

なのに、なぜ囚われる?
そういう思い込みから自由になれば、私のキャリアと人生、もっともっと開けるのになぁぁぁぁぁ。

と、ここまで読んで、
「なんだ、今回はキャリアの話じゃなくて、単なる恋愛観・異性観の話じゃない」と思ったアナタ。

いえいえ、キャリアとは、仕事だけの話じゃなくて、家庭、自己啓発、趣味、地域活動、フィナンシャル・プランなど含め、人生まるごとの話なのですよ。
パートナー選びも、大事なキャリアの要素。
だって、どんな人と共に歩んでいくかって、人生をかなり左右するでしょ。

そして、人によっては仕事におけるジェンダーと、家庭や恋愛におけるジェンダーが違ったり、それが相互に影響しあったりするみたいで。

例えば、私の朋友の場合。
「私は、仕事の方は、“認めてもらう”、“勝ち取る”、“負けたくない”、“弱い所をみせたくない” …こういう気持ちが必要で、そこが『男的』になった。それがそのまま、自分の性格的なところにも影響して、恋愛や家庭でも、可愛くない感じになった」
と分析してる。
なるほどねぇ。

私の周りには、逆のパターンも結構居たなぁ。
仕事はバリバリ「男らしく」やっていたけれど、結婚した、子どもを産んだ…といった節目を境に急に「女らしく」なり、それが仕事にも影響して柔和な感じになったりして。
結果、仕事を辞めちゃった子も居た。

男子の場合、一見「男らしく」仕事をバリバリしている人でも、家庭や恋愛のシーンになると、急に甘えん坊になったりする人も多いよね。
まさに、onとoff、この使い分けこそが「男らしさ」?

私はと言えば、仕事をしたから「男らしく」なったのではなくて、生まれつきの性格。
可愛げの無いのは昔からで、初めてドップリの恋愛をした頃は、「甘える」というのがどういうことか解らなくて、苦労したなぁ…
でも。最近はすっかり開き直って、仕事ですら後輩たちに甘えて、私の間抜けな部分を沢山リカバリーしてもらってる。これは「女らしく」なったというより、歳を重ねて肩の力が抜けてきたって感じ。

そして、「男らしい」と言われる所以は、決断力、議論好き、動じなさ、大胆さ…などであって、朋友の言う“勝ち取る”、“負けたくない”、などの要素は余り無い。
多分、「女らしい」とか「男らしい」の定義も、人によって全然違うんだろうなぁ。
だから、あらゆる性質を表す形容詞も、本当は「女らしい」とか「男らしい」とか、綺麗に分けられないんだろうなぁ。
(この辺、ワークショップしてみたら、とても面白そう!今度やってみようかな…)

だからこそ、もっと自由に。
私自身、パートナーについても、幅広い選択肢を考えないとね。
いずれは、桃井かおりや夏木マリの様になれるかな?

そんな訳で、まだまだ未熟な私のキャリア磨き。
たかが、ジェンダー。
されど、ジェンダー。

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齋藤 由里子
齋藤 由里子

さいとう・ゆりこ/キャリア・コンサルタント(CC)。横浜生まれ、大阪のち葉山育ち。企業人、母業、主婦業も担う欲張り人生謳歌中。2000年からワーキングマザーとして働く中、日本人の働き方やキャリア形成に問題意識を持ち、2005年、組合役員としてWLB社内プロジェクトを立ち上げ。2010年、厚生労働省認可 2級CC技能士取得、役員を降りた後も社内外でCCとして活動継続。個人・組織のキャリア・コンサルティング、ワークショップ、高校・大学生向け漫談講義などを展開、参加人数は延べ4200名超。趣味は海遊びと歌を歌うこと。 2017年からはCareer Climbing~大人のためのキャリアの学校~も主催。

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