2016-07-5
頑張る?頑張りすぎない?
あなたは、「3低」ってご存じですか?
これは、昔「3高」と言われた、女子から見たパートナーを選ぶ条件の、今風のもの。
一回り下の女子に教えてもらったのだけど、納得するやら、考えさせられるやら。
早速あちこちで話題に出しているのだが、ただ教えても面白くないので、「何だと思う?」とクイズに出す。
みんなの答えが、これまた愉快。
低血圧、低体重、低体臭、低刺激、低反発、低燃費、低音量、低消費、低本能、低毒素、低粘着、低性欲・・・
個人的には、低粘着に一票。
だってアナタ、粘着質な男ってどうですか。ぷぷぷぷぷ。
肝心の答えは、「低姿勢」、「低リスク」、そして「低依存」。
どこかのメディアが言い出したことらしいが、いい得て妙。
「低姿勢」……うん、私も、偉そうな奴は嫌。生意気な女が嫌いだ、的な器量の狭さにはウンザリ。でも自分に自信が無さすぎる故の低姿勢だったら、それは別の意味で困るなぁ。
「低リスク」……確かに!想像すると色々とあり過ぎて、恋愛するのも面倒くさくなりかねない・・・。
「低依存」……どういう意図か調べてみると、自分でご飯をつくることが出来るとか、洗濯できるとか、そういう日常生活のことらしい。では、精神的な部分についてはどうなの?べったりのストーカー的な依存は恐ろしいけど、前向きな共依存にならない浅い関係だったら、そもそもパートナーと言える?
私が若い頃は、威圧的な姿勢や高リスクに、型にハマらない“男らしさ”を感じ(≒勘違いし)、高い依存度で恋愛の密度を図っていた(≒見誤った)気がするけどなぁ……
って、えーと、私だけ?
ま、男を見る目にはいまだに全く自信が無いんですけどね!
でもさ……
私達くらい歳を食って、色々と現実を知った世代がこの「3低」を言うならまだ解る。
実際には、この「3低」を若い世代が支持しているらしい、ということに対して、彼女たちの賢さに感心しつつも、少し切ない。
だって、何だか、熱量が低くない?
大きな失敗をしないために守っている?
この傾向、パートナー選びに限ったことじゃない。
ちょうど先日、某女子大で恒例のキャリア漫談をやってきたんだけど、事後課題で出したアンケートに、印象的な感想が書いてあった。
「私はいつからか失敗した時のことを考え、全力で頑張ることは恥ずかしいと思うようになり、また適当にやってもそれなりに生活できることを覚えました。ですが、先生のお話を聞いて、失敗したとしても全力で頑張ったからこそ得られるものがあると思いました。」
そう、そうなんだよー。
一生懸命やってこそ、モノゴトの真価がわかって、そこに面白さを感じてくる。
そして一生懸命やっているうちに、実力がついてくるんだよね。
前に書いた「3つの輪っか」のところで、
>まず、自分が期待されている「やるべきこと」は何か?
>見極めて、その期待値にしっかり応える中で、段々「やれること」が増えていく。
>そうすると、実力と信頼貯金が溜まる。
と書いたけれど、実は、変化はそれだけじゃない。
「やるべきこと」を一生懸命やっているうちに、そこから「やりたいこと」が出てきたりするんだよ。
これは、私自身も何度も経験してきたこと。
社会人になってから10年位は、本当にやりたいことは何か、見つける時間も無いまま、必死に目の前の「やるべきこと」に打ち込んだ時間だった。
それを支えたモチベーションの源泉は、
「自立したい。だから食べるために働く。」
ただそれだけ。
目の前の「やるべきこと」とは、本来とってもとっても苦手だった化学系の知識、英語、そして触ったことも無かったパソコンをふんだんに使う仕事だったのだけれど……
がむしゃらに取り組んでいる内に、化学系の話を面白いと感じている自分を時々発見。
そして、「この、もともと難しい話を、文系の人、とりわけ私の様な体力採用の人にも解る様に面白く説明して、もっと興味を持ってもらいたい!」と考える様になって……
のちに、社内教育プロジェクトを立ち上げることに繋がった。
英語も、上手くなった訳じゃないけど、とりあえず何とか意思疎通を図る度胸と瞬発力は得られた。
グループ会社のドイツ人従業員を日本に招き、3日間案内することになった時、体当たり・いい加減文法英語で必死に説明を試みたらなんとか通じて、だんだん仲良くなって、最後は「ハチドリさん」というあだ名をもらった。まぁ、手振り身振りが激しいとか、目指すお店にたどり着けなくて余計に歩かせるとか、落ち着きの無さをからかわれてのあだ名だったんだけど、そんな風に親しみを持ってくれたことがとっても嬉しくて。
私が何かをしでかす度に二人で大笑いしたことも楽しくて、私にとっては忘れられない3日間になった。
パソコンも、いきなり電源をひっこぬいて怒られていたところからスタートして、辛抱強く教えてくれた先輩のお蔭で、ある部分においては人並み以上に上達。情報をPCで整理整頓した一覧表を作って、それを常に共有することでプロジェクトマネジメントをする、というのがいかに有効か、ということを学んだ。
以来、やるべきことが多くて、尚且つ大勢の人が関わる複雑な仕事はそうやって管理をするのが私のスタイルになった。
何より、この10年間一生懸命やっている姿を、実は外から、もしくは陰から見てくれている人たちが居たお蔭で、それまでの仕事とは全く違う分野である、組合の役員という立場を与えてもらった。
これって私にとっては大きなキャリアの転機だったけど、結果的に自分が真にやりたいこと、キャリアの軸を見つけるキッカケになった。
これこそ、仕事の報酬は仕事だと感じた瞬間。
キャリアって、そうやって、自分の中に眠っている未知の可能性を広げていくことで、少しずつ積み重ねていくものだと思うんだよね。
だから、
「失敗しちゃうのが怖いな」
「苦手だから嫌だな」
「あの人より上手くできないのが格好悪いな」
とかクヨクヨ考えている暇があったら、とりあえず一生懸命自分なりにやってみなよ!と言いたい。
そして、恋愛も……
最終的に「3低」の様なシビアでクールな選択をするのは大事だと思うけど、最初からそれじゃ面白くないから、色々な人との異文化交流を楽しんで、経験を積んで欲しい。
とにかく、若い内は、考えてばかりいないで、がむしゃらに行動して、そこから色々実感として学んでほしい。
頑張れ!!!
今回のキャリア漫談でそう激励したら、事後課題で出したアンケートに、
「先生は松岡修造カレンダーの代わりになる」
と書かれていた……。
うーん、ちょっと熱量が高すぎましたか。
でもここで、ふと、揺り戻される。
頑張り過ぎも、危険なんだよなぁ。
「やるべきこと」をどんなに前向きに捉えても、一生懸命頑張っても、辛い時がある。
「やるべきこと」だけやっていては、心が折れる時がある。
特に、「やるべきこと」の中身の多くは仕事が占めるだろうから、ワーク・ライフ・バランスが崩れてくると、それはとても危険な状態。
私、確かにね、松岡さんに勝るとも劣らない元気は持っている自負があって、人からもよく「何でそんなに元気なんですか?」って聞かれるんだけどね……
その理由って、
① 持って生まれたキャラクター
② 自分を可愛がって、甘やかしてあげる時間を確実に、継続的に確保しているから
なのだ。
まぁ、①は人それぞれだから置いておくとして、②は、実は大事なストレスマネジメントスキル。
私は、自分の「好き」な気持ちに忠実。
人生の中でずっとずっと好きでい続けているものに、海と音楽があるのだけど、これらをどのくらい頑張るか、そして、頑張り過ぎないのか、のさじ加減がとても大事。
例えば、海。
学生時代、ウィンドサーフィンの学生連盟に加盟して、レースをするサークルに入って競技をしていたのだけど、この競技というのが、本っっっ当~に苦手だった。練習ではそこそこ良い順位を出せるのに、本番になると弱くて結果は出せず。悔しい思いをして、泣いたこともあった。インカレに行ける実力だよ、と言われたこともあったけれど、結局セレクションに落ちてインカレにも行けなかった。
まぁ、今思えば、結局実力は無かったってこと。
一番足りなかったのは、気力。
勝ちに拘り、ストイックに練習し、努力して技を磨き、人と争うマッチポイントで気迫を見せ、競り勝つ。
そのどれも足りなかった。
そこまで、“勝ち”ってものに拘れなかった。
勝っていく人達と違って、頑張りが足りなかったんだから、実力がつく訳がない。
そこで、週に5日も6日も海に通っている中で、考えた。
「私はなんでこんなに海に来てるのか?いや、来たいのか?」
自分で辿りついたその答えは……
勝ちたいからじゃなくて、単に、海が好きだったから。
太陽の出具合によって海面の色が青、水色、緑……と変わり、1日として同じ景色は無い。
カモメの鳴き声が聞こえたり、魚やクラゲちゃんの群れに会ったり、トビウオが跳ねたり、トンビが近くをかすめて飛んでいったり。
ドラマチックな夕日は何回観ても観飽きなくて。
そのことに気が付いた時、私は、海で競うんじゃなくて、海と、のんびり、楽しく付き合っていきたい、とつくづく思った。
だから、競技はまぁ自分なりにそこそこ頑張るとして、海の仲間のために、学生連盟の運営の仕事を頑張ることに決めた。つまり、自分に合うように、頑張る方向を変えたのだ。そこで一生懸命に打ち込む中で、大人になった今もずっと付き合いが続く仲間を得た。
その後社会人になり、私の海との付き合いは、「やるべきこと」&「やりたいこと」&「やれること」から、「やりたいこと」&「やれること」へ完全にシフト。
そして、運動量の多いウィンドサーフィンから、もう少しユッタリできるヨットへ転向。
海が嫌いにならない様に、楽しくやることを決めた。
その後結婚して、ヨットは中断。
続いて子育てに打ち込む中で、10年近く海から離れていたが、どうしても恋しくなって、逗子に戻ってきた。
その後、また嬉しいご縁があってヨットを再開。
そこからもう、10年以上経つ。
続けていられる理由は、素敵な仲間が居て、そして、あくまで自分が楽しい範囲でやっているから。
寒いのが大嫌い、窮屈なのも大嫌いなので、ウェットを着なければいけない冬は出ない。
レースは、楽しいお遊び草レースだけ。
(今年は「若大将カップ」なるレースに出ようと企んでるんだよ、ふふふふふ)
タックだ、ジャイブだ、と技を磨くストイックな練習をするより、風任せ、波任せで、「今日は江の島方面にいこ~♪」「今日は佐島にいこ~♪」とフラフラ。
楽しい、気楽な仲間と美味しいランチを食べてホゲホゲ。
「ああ、緩み過ぎて今、脳みそが耳から流れ落ちたな~」……と思う瞬間を、楽しんでいる。
海では、頑張り過ぎない。
だって、他で一生懸命頑張っているんだもん。
海で自分を甘やかして、何が悪い?
頑張って成長をして、社会に役に立つためにも生まれてきたけど、自分の人生を楽しむためにも、生まれてきたんだよ。
海でたっぷり自分を甘やかした週末明けの月曜日。
体はちょっと疲れているけれど、頭は確実にクリアになっていて、仕事がどんどん捗る。
これってやっぱりデトックス効果なんだよなぁ。
まさに、ワークとライフの相乗効果。
1997年に『統合的人生設計―Integrative Life Planning』を発表したハンセン(Hansen,L.S.)は、
人生は、「仕事(Labor)」、「学習(Learning)」、「余暇(Leisure)」、「愛(Love)」の4つの要素がうまく統合されてこそ「意味ある全体」になる
と説いた。
つまり、「仕事」と並行して「学習」「余暇」「愛」がその人生の中に存在していなければ、本当によい「仕事」もできず、偏った生活のなかで人生はいつしか味気ないもの、貧しいものに変容してしまう、という考え方。
人生において、自立するための糧であり、多くの時間を費やす「仕事」が重要であることは間違いないけど、人は「仕事」だけをしていれば充実した人生を送れる訳じゃない。
「仕事」や「学習」では頑張るとしても、「余暇」で、自分を甘やかして、そこでは頑張り過ぎないことも大事。
じゃあ、「愛」では、頑張る?
頑張り過ぎない?
どうだろうなぁ………………………………………………
未だ、私の中でも答えを模索中。
あなたは、どう思いますか?
2件のコメント
海はひたすら、ゆる~くリラックスはその通りと思います。
私は40年近く波乗りを続けていますが、大会なるものに出場したこともありません。
だっていいんです。海のスポーツは続けているってことだけで、得るものがたくさんありますもんね(^^)v
海おやじさん、40年サーフィンって、かっこいいっすねー。
継続は力なり!
ヨットはスポーツという程体を動かさないことも多いですが、だからこそ70歳を越えても続けていらっしゃる方も。
私ものんびーり、楽しみ続けたいと思います。
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