2010-12-5
「泊まりたい。でも泊まれない…」
噛まれてすぐより翌日以降の方が痒みは増すらしい。
昨日、ヤケ気味に泊まった安宿で南京虫に噛まれてしまった。
いわゆるトコジラミという生き物である。
バックパッカーの達人たちに聞くと同じベッドに寝ても噛まれる人と噛まれない人がいるのだと言う。
その理由はよくわからない。
旅の気力が弱っているときに噛まれる説と旅の気力があり過ぎて寄ってくる説と相反する二つの説があるそうだ。
ガイドブックで目星をつけていたコタバルにあるはずの少し高めの中級ホテルは経営者が変わり高級ホテルに変わっていた。
とても今回の旅の予算で一週間、泊まれるようなホテルではなかった。
この二週間で深夜特急三回など移動も多く、少々、身体が疲れ気味なので、この街ではホテルのランクをあげようと思っていたのである。
それだけに落ち込み度は大きかった。
高級ホテルだろうが泊まってしまおうかとも思った。
しかし、もう一人の自分が気持ちを抑え、改めてホテルを探し始めた。
何軒かまわっているうちに判断基準が曖昧になり、暑さも加わり朦朧としてくる。
いったい僕はどんなホテルを探しているんだろう。
徐々に陽が陰り始めたことで焦り始め、汗まみれの身体を流したい欲求が加わり、どこでもよくなってきてしまった。
そして、
「どうせ寝るだけじゃん」
とつぶやき、目についた一泊六百円の窓もクーラーもない安宿へ、ふらふら入っていき、部屋も確認しないで、金を払って、キーを受け取る。
シャワーだけ浴びると夕食も取らないで倒れこむように眠ってしまった。
そして、南京虫にやられた。
夜中に何かにうなされるようにハッと目が覚めた。
男女兼用の共同トイレに行くと向かいの広い踊り場で真っ赤なドレスを着た欧米人の女性が煙草を吹かしながら一点を見つめていた。
とてもこの安宿の中で着るようなドレスではなかった。
彼女は僕に目をやると頭のネジが一つ取れてしまったように急に笑い始めた。
そして独り言をつぶやき始めた。
確実に別の世界に行っている。
彼女のつぶやきが悪魔のように聞こえた。
用を足しながら、明日こそは中級ホテルを見つけようと決意した。
安宿は僕の体力では無理であることがよくわかった。
見た目は健康優良中年だが、意外にも病弱で軟弱なのである。
でも旅は三度の飯より好きなのだ。
だからと言って、そこまで金を持っているわけでもない。
旅を続けたいのであれば、自分の嗜好と体力、そこに予算を兼ね合わせて決めていくしかない。
次の日の朝、散歩がてら、中級ホテルを探し始めた。
高めの中級ホテルはなさそうなので、一泊三千円程度の中級ホテルであること、その中で一番新しそうなホテルであることを決めた。
自分の中の基準さえはっきりすれば、意外に決まってくるものである。
そんな簡単なことが昨日はできなかったのだ。
五泊以上で一泊三千円の部屋を二千四百円にしてくれるという新しめの中級ホテルを見つけた。
すぐに荷物をまとめて午前中のうちに引っ越してきた。
大きなダブルベッドの布団を剥ぎ、真白なスーツの上にダイブするとテレビの音を聞きながらそのまま眠っていた。
次に目覚めると昼食に出掛け、
その後、コンビニでマレーシア産の煙草とミネラルウォーターのペットボトルを買うとホテルに戻った。
そして夜までずっと部屋にいた。
日本では吸わない煙草を吹かしながら、四階の窓からコタバルの街を夕暮れ時までボーっと眺めていた。
外で客を待つタクシーの運転手達が時々、僕のことを不思議そうに見上げていた。
半日近く、窓を開けてボーっと座っている僕は昨日の夜中、踊り場にいた欧米人の女性のように奇異に映ったのかもしれない。
それにしても痒い。
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