2012-05-27
「観光名所に何度も通う訳」
ワットポーに通うのは三回目。歴史が苦手な僕にはバンコク最古の寺院ということよりタイ式マッサージの総本山として最初にこの寺の名前を知った。以前も書いたが、僕は学生時代の不勉強がたたり、世界史が全くと言っていいほど身についていない。世界史だけではなく日本史も同じだけれど。
「歴史なんて関係ない!未来だけを見て生きるのさ!」
と言いきれればいいのだが、残念ながら旅に行けば行くほど歴史を知っておいた方がより楽しいと思い始めている。
一回目にワットポーに行った後、この寺院が気に入り歴史を調べてみた。最初に予習しておけばいいのにとも思うが僕の怠け具合は、かなりの重症で予習が好きではないようで頭になかなか入らないのである。それより一度、行ってから調べた方が自分の目で見た光景が重なりあってそれなりに頭に入る。あくまで「それなり」なんだけど。
便利な世の中なのでインターネットで「ワットポー」と検索エンジンにかけてやれば、いろいろな事柄を知ることができる。
「へぇ、ラーマ一世が建てたんだぁ。というかラーマ一世って誰だ?」
とつぶやきながら、「ラーマ一世」を検索エンジンに入力する。するとラーマ1世が現タイ王国の基礎であるバンコクを作ったことを知る。そして、今、タイ国民が大好きなプミポン国王はラーマ9世だということも同時に知る。こうしてインターネットで遊びながら、行った記憶と情報をつなぎ合わせる。するとまたワットポーに行きたくなる。
次に行くと涅槃像の大きさだけでなく、足の裏に描かれている記号が気になって帰ってくる。「ワットポー、涅槃像、足の裏」と入力する。するとバラモン教の真理と書かれている。そもそもバラモン教がわからない。すぐに「バラモン教」を入力する。
「バラモン教は古代ヒンズー教かぁ。あれ?タイって仏教国だよなぁ…」
こうして「タイ、バラモン教、仏教」を入力する。歴史を知るよりも検索の仕方、つまり情報の探し方が上達していく。
タイ仏教にバラモン教が入ってきたのは、お隣カンボジアのクメール王朝からのようだ。タイで一般的に信仰されている小乗仏教には修行を積めば誰でも涅槃に行けるという教えがあるが、王を絶対視するタイでは平等に機会が与えられるこの教えは邪魔になる。そこでバラモン教のカースト制を取り入れたのである。カースト制度では生まれた時に身分が決まっているわけであるから、国を統治するには便利である。下のものが上に逆らう、つまり日本でいう下剋上も許されない。こうしてタイの王制を維持してきたことを知る。
そういったことを知ると、また行きたくなる。そして三回通う。今まで行ってないところをどんどんつぶして観光するのもいいが、僕のように歴史が身につきにくい人は滞在中に気に入った観光名所を何度も訪れるという楽しみ方もある。旅の楽しみ方に決まりはない。
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