salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

イシコの歩行旅行、歩考旅行、歩行旅考、歩考旅考

2012-04-22
「負の遺産に行くか?行かないか?」

 太平洋戦争の悲惨な歴史が詰まっているひめゆりの塔は沖縄の負の遺産である。せっかくリラックスしに来た沖縄なのに、あえて負の遺産を見たくないと言った人がいた。もちろん、それは個人の自由だし、その気持ちもよくわかる。僕もひめゆりの塔は二度ほど訪れたが、行く度に、どよ~んと重い気持ちを背負って戻ってくる。

 カンボジアのプノンペンにやはり負の遺産「トゥール・スレーン博物館」がある。ポル・ポト政権が学校だった場所を監獄として使用した場所で、そこに入れられたのは犯罪者ではなく罪もない一般市民。そして投獄された人間は、拷問の上、ほぼ確実に処刑されたと聞く。ポル・ポトをはじめとしたクメールルジュ政権は極端な共産主義国家を作りたかった。しかし、今まで普通に生活してきた国民が完全に思想を変えるには百年単位かかると言われている。考えを急に押しつけても表面上はできたとしても根本の考え方は無理である。そこで今、存在する大人を殺し、生まれたばかりの子供達だけを隔離して純粋培養で考え方を植え付けるという信じられないことを彼らは考え、実行に移した。現在、わかっているだけでも、この収容所で約二万人が処刑されたと言われている。そういった説明をガイドブックで読んでいるだけでも暗い気持ちになってくる。この負の遺産に行こうかどうか迷っていた。

 しかし、結局、僕は「トゥール・スレーン」に向かった。やはり自分の目で見ておこうと。中に飾られた拷問のイラストや拷問が行われた場所を見ながら自分がここに入れられたらという想像に恐怖を覚え、処刑された人達の顔写真を見ながら撮られた時の気持ちを想像しているうちにお腹が痛くなった。変なところは神経質で軟な身体なのである。トイレにかけこみ、籠りながら、自分の身体の中の負も放出する気持ちで用を足した。鞄からティッシュを取り出しながら、ドアの外が当時にタイムスリップしていたらとも考えて一人で震えていた。そのまま帰ろうかとも思ったがトイレを出たら、看板に誘われるまま、ドキュメンタリーを上映している部屋に向かっていた。英語でほとんどわからないが生き残った人や娘を失った老婆の映像を見ながら、この負の出来事と自分が数日、歩いていたプノンペンの街を走馬灯のようにつなげながら考えていた。

 この恐ろしい出来事から三十年。遠い昔なのかほんの最近だったのかはわからない。数日経ち、相変わらずプノンペンの街に滞在し、街を歩いている。一瞬のうちに大人が消されてしまい、育ってきたプノンペンの街自体がどこかで未だに戸惑っているように感じる。その表現があっているのかどうかわからないし、様々な見方があるだろう。それはどちらでもいい。負の遺産を見て、自分なりの考えを落としこむことで、次の日からのプノンペンの街の散歩に対する目線に幅ができ、目に映った光景やカンボジアの人々などへの想像力は増した。

 ただ影響を受けやすい僕は、その後、数日は夢で何度か拷問の絵の中の男性が自分にすり変わってうなされた。トゥール・スレーンから更に運ばれて処刑場となり、映画にもなったキリング・フィールドという場所もあるが、そこには行かなかった。これ以上、負の夢を見たくなかったのである。

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ishiko
ishiko

イシコ。1968年岐阜県生まれ。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、2002年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行って話題になる。また、一ヵ月90食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。岐阜の生家の除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギプロジェクト発足。ヤギマニアになりつつある。

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