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イシコの歩行旅行、歩考旅行、歩行旅考、歩考旅考

2012-09-18
「胃腸が弱い僕のトイレ対策」

トイレを我慢しているときが一番、神様にお願いしているときだと思う。神様というより僕の場合は、なぜか亡くなった父にお願いしている。
「もっと仕事をがんばりますから、トイレを見つけてください」
「もう悪いことしませんから、何卒、トイレまで我慢させてください」
頭の中でつぶやきながら、少々、内股気味に街を走りまわる。胃腸が決して強くない僕は、トイレの物語が多い。その物語は間違いなく悲劇である。人よりも腸が長いので慢性的な便秘気味であるのだが、便秘で貯めていた分、出始めると我慢できないということが僕の場合の最大の問題である。そして少しでも便秘を解消しようと人より水分をたくさん取る傾向にあるので自然に小便の回数も人より多くなる。さらにさらに人より膀胱が小さいのか、ただ単に歳をとっただけなのか人より小便を我慢できない。

しかし、そんな身体でもどうにかこうにか旅を続けてきた。もちろん対処法は常に考えておく。トイレがある場所では行きたくなくても行っておく。朝には決して出なくてもトイレに座る。ホテルを出る前に部屋のトイレで用を足し、レストランやカフェを出る前にも用を足し、街に公衆便所がある場合、デパートなどの場所と共に頭に入れておく。いつでも走っていけるように。そして長距離バスや長距離電車の移動で、バスにトイレがついていない場合は、極力、水分は取らないようにする。休憩はあることにはあるが、かなり長い間、停まらないことが多いし、僕がトイレに行きたくなるタイミングは読めないからである。

そしてウエストポーチには財布と同じくらいのプライオリティでポケットティッシュを用意しておく。日本で見向きもしなかった街で配られるポケットティッシュの有難さは海外の旅に出るとよくわかる。こうしていつでもどこでもトイレに行ける体制は作ってきた。そして、ある程度、世界の汚いトイレにも慣れてきた。慣れてきたつもりだが、相変わらず、中国のトイレだけは強敵である。もちろんきれいな場所も多いが、言葉に表現できないほど汚い場所も多い。もともと扉などなかった中国のトイレなので、未だに扉を閉めないで用を足す人も見かけ、トイレを開けたら人が入っていることも多い。扉の高さが妙に低く、立つと肩から上は全て見えてしまうこともあるし、そもそも昔のまま扉のないトイレもまだまだ残っている。それでも身体の生理的欲求の方が強いので使用せざるを得ない。

便器にしゃがむ前には必ずズボンの裾をあげ、ポケットの中に携帯電話や財布が入っていないかを確かめる。床に落ちた場合のことを考えると、いくら焦っていてもそれだけは必ずしなくてはいけない行為である。そしてウエストポーチからティッシュを取り出し、ウエストポーチを前にしてようやくしゃがむ。こういった用を足す前の儀式が多い中国では普段、用を足したくなるときよりさらに早めの行動を心がける。それでも我慢した後の開放感は、一流ホテルのトイレで用を足した時と変わらない。しかも中国の街には公衆トイレが多いので、僕のような身体には優しい街なのである。

それにしても、用を足すとまた亡き父のことをすっかり忘れているのだから、そのうち大きな罰が当たらなければいいのだがとひそかに怯えている。

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ishiko
ishiko

イシコ。1968年岐阜県生まれ。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、2002年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行って話題になる。また、一ヵ月90食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。岐阜の生家の除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギプロジェクト発足。ヤギマニアになりつつある。

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