2012-09-9
「音の記憶」
僕は記憶力が悪い。最近、特にひどくなってきて、人の名前はすぐに忘れてしまうし、何かを取りにいく途中で、「何しにきたっけ?」ということも起き始めている。完全に危うい脳になりつつある。しかし、音楽という聴覚から入ってきた記憶に関しては逆に若い頃より増えていて様々な記憶を呼び起こしてくれる。曲が流れると聞いていた時の状況が頭の中で鮮明に蘇ってくるのだ。胎児の時に聞いたお母さんの声や音楽を憶えているという話があるくらいなので、それくらいのことは当たり前なのかもしれないがやはり不思議である。特に旅先で聞いた音楽というのは頭の中に残っているようで、たとえ曲名は覚えていなくても(もともと、僕は曲名が覚えられないのだが…)、その曲が流れると旅先の景色が流れ始める。よってどの街にいても可能な限り一枚の音楽アルバムを選んで、じっくり聞く時間を持つようにしている。
僕は音楽に詳しくない。詳しくないので逆に何が好きということもなく、たいてい何でも聞く。便利な世の中になったもので手の平サイズのデジタル音楽プレーヤーの中に数百枚ものアルバムが入ってしまう。レンタル屋に行くと、たとえそのときはじっくり聞かなくても、気になったアルバムはどんどん借りては放り込んでいる。
「あっ?こんなのも借りたっけ?」
と借りたことさえ忘れてしまっているアルバムを旅先で見つけることも多い。よって僕のプレーヤーの中は支離滅裂で洋楽邦楽問わず、クラシックからヘビメタまで、音楽だけでなく落語まで入っている。
マレーシアのコタバルというイスラム色の強い街の川沿いで夕陽を見ながら聞いたケイコ・リー。デリーの空港で三時間以上待つことになり、ドリームガールズ、ヘアスプレーとミュージカル映画のサントラを続けて聞いたこともよく覚えている。西アフリカのブルキナファソで乗った長距離バスの中でクーラーの効きが悪く、汗だくになりながら聞いたオフスプリング、チリのスキー場でスキーを全くしないで赤ワインを飲みながら聞いたR.E.M、ベルギーで泊まった宿の窓のある浴室で太陽を浴びながら聞いた本田美奈子…様々な音楽と旅の想い出のコンビネーションが出来上がっていく。
思い出はある時期を過ぎると徐々に脳の片隅にしまいこまれていく。日々、生活し、新しい思い出が積み重なっていくのだから仕方がない。しかし、別の場所で、その音楽を聞いたときに再び想い出が蘇ってくる。先日、バンコクのカフェでハワイのミュージシャン「ジャック・ジョンソン」の曲が流れてきた。ふと、このアルバムを聞いていた三年前のカナダのトロントの風景が蘇ってきた。こうしてバンコクとハワイとトロントという僕の頭の中だけの新たな絵が出来上がる。こうなると記憶力の悪い僕でも二度も三度も旅が楽しめるという具合になる。
成都の街を眺め、パプアニューギニアのオーガニックコーヒーを飲みながら森山直太朗のアルバムをじっくり聞いた。海外を旅していると日本語がいつもよりすーっと染みる時がある。そういえば昨日も、ハナレグミという日本人アーティストのアルバムを聞いていた。そろそろ帰国が見え、日本が恋しくなり始めているのかもしれない。つまり音楽の選曲は自分の心のバロメーターになることもあるのだ。
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