2012-07-29
「もう少し聞いてあげればよかった…」
上京したばかりの頃、映画事務所で広報の仕事をしていたことがある。映画事務所の広報というと名前の響きはいいが僕の仕事は街にポスターをはり、チケットを売る場所を探すというもので広報というよりチケットの売り子に近かった。例えば新宿のゴールデン街と呼ばれる飲み屋街へポスターを張りに行き、前売りのチケットを置いてもらう。何年も行っていないので今はどうか知らないが、約二十年前のゴールデン街は気軽にポスターを貼らせてくれる店が多かった。しかし、中には店に入った途端、
「ダメダメ。うちはポスターだめだから!」
目も見ないで門前払いを食らうこともある。今も打たれ弱いが、当時は更に打たれ弱かった僕は、この門前払いを受ける度に凹んでいた。前売りチケットを売るとなると更にハードルは高く、ますます門前払いを食らう可能性は高くなる。そうするとまた凹む。買ってもらう為に、いかにこの映画が素晴らしいかを説明できるようにして次の場所に挑む。しかし、僕の話を聞く前にチケットという言葉が出た途端、断られる。また凹む。それが寒い日だったりすると自分がマッチ売りの少女になったような気持ちになった。
ある日、飛び込みで入ったカウンターだけの店にはポスターが貼られていなかった。これはダメだろうと思ってすぐに出るつもりだった。しかし、カウンターの中の細身の中年男性は「何?」と聞いてきた。貼りに来て仕方がなくというのも変だが、一応、映画のことを伝えた。
「君、名前は何て言うの?石原君(僕の本名)?石原君は、この映画が好きなんだね。どこが面白いのか聞かせてよ」
そう言って僕の話を真剣に聞いてくれた。そして、彼自身はこの店に雇われているだけだから店の決まりに従ってポスターは貼れないけれど、自分の分としてチケットを二枚、買わせてもらうと言って買ってくれた。当時、二十代前半だった僕は感動し、こういう中年になりたいと思った。
インド人の少年が僕の前から悲しそうに去って行った後、しばらくして、そのときのことが頭に過った。その少年はある紙を持ってカフェに入ってきた。客は僕しかいなかった。かなり緊張した面持ちで彼は僕のところに立った。そして言い出しにくそうに白いプリント用紙を出してきた。僕はチラッとだけ見て、またお金をせびる子供だと咄嗟に判断し、彼が一生懸命言おうとしている英語も聞こうとしないで、「I can’t」と言って追い払ってしまった。彼の真剣なまなざしと一生懸命言おうとしていた英語は、街で、せびってくる子供とは明らかに違った。あの緊張した面持ちは余程の決意でカフェに入ってきたのだろう。一瞬しかプリントは見なかったが、スクールという文字が見えたような気がする。受験で受かった学校に行くためのお金が必要だったのではないだろうか。もちろん学校に行くためのお金だったら貧乏な僕が支援できるはずもない。
しかし、じっくり話を聞いて、今、持っている手持ちのお金しか出せないけど、がんばってねとエールを送るくらいのことであればできたはずである。映画のチケット売りをしていた僕に重ね合わせられる彼は迷惑かもしれないし、彼がそう思うかどうかは別問題だが、僕の場合、話を真剣に聞いてもらい、個人としてできることをしてくれただけで光が見えて、嬉しかったのだ。このところ少し傲慢になっているのかもしれない…後味の悪いコーヒータイムになってしまった。
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