2011-01-9
「特徴のある映画館がつぶれていく」
初めて訪れた街に映画館があれば立ち寄ることが多い。入場料の違いだけで日本の映画館とたいして変わらないことの方が多いのだが、インドのように途中で休憩を挟む映画館もあれば、ベルギーのように二カ国語の字幕が流れる映画館もある。アフリカのブルキナファソのように壁で仕切られているが屋根はなく、野外のスクリーンで夜しか上映しない映画館もあるなど、その国ならではの映画文化を味わえることもある。
イポーの街の地図に映写機のマークで表示された映画館は中華レストランになっていた。外観はそのまま使っているせいか壁際に並んだチケット売り場は、ほぼそのままの状態だった。元映画館での食事も悪くないが、残念ながら腹は減っていなかった。
地図には、その映画館以外にも二か所の映画館が記載されていた。二軒目は家具屋になっていた。やはり外観はそのままだった。アメリカ映画に出てきそうな田舎町のモーテルのような元映画館の建物には哀愁が漂っていた。
三軒目の映画館の場所は洋服屋と携帯電話屋でシェアしていた。何度もその前を通り、洋服屋には立ち寄ったことさえあったのだが、元映画館とは気付きもしない程、様変わりしていた。つまり地図に記載されていた映画館はどれもなくなってしまったのである。
一旦、ホテルに戻り、フロントで映画館の場所を尋ねると、街から少し離れた場所のショッピングモールの中にあると言われた。恐らくシネコン(シネマコンプレックス)なのだろう。世界の映画館は確実にシネコンに変わりつつある。一館で一本の作品を上映するより、同じスペースを区分けして四、五本映画を上映した方が効率いいことは、いくらビジネスに疎い僕でも理解できる。
映画館が郊外のショッピングモールのように一ヶ所に集中すると人もそこに集中する。日本の地方都市の駅前が閑散としていく図式と同じである。イポーの駅前も歴史的建造物としては残っており、昔の活気は想像つく。きっと映画館も散らばっていて、人も散らばっていたのだろう。ショッピングモールは確かに便利で、これも一つの時代の流れなのでとやかく言うつもりはない。しかし、どこか特色のある映画館のある街の風景がなくなっていくことを想像すると寂しいものを感じる。
この街を流れるキンタ川の近くに建つ活気のない雑居ビルの中に地図に記載されていない映画館を見つけた。間口の狭い入口にインド映画のポスターが貼られ、質素な電飾で飾られ、ぴかぴか光っている様は、スナックか風俗店のようにも見える。そんな入口からは想像できない程、映画館の場内は大きかった。千名近く入るのではなかろうか。しかし、客は四,五名程度だった。ここが閉館になるのも時間の問題なのかもしれない。
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