2011-07-31
「旅先で読む本」
スコータイ遺跡の木陰で柳家小三治の落語をまとめた本を読み終えた。本の内容は忘れても、この遺跡の前で落語を読んだというシチュエーションは忘れないだろう。読み終えた本を閉じ、木にもたれながら、旅先で読む本について考えてみる。
今回、旅に出発する際、歴史小説から詩集まで幅広いジャンルの本を10冊程、持ってきた。基本的に僕は、どんなジャンルの本も読む…と偉そうに言っているが、僕は十年程前までは、いわゆる本を読まない人であった。それまでは本が嫌いだった。今、僕が文章でお金をいただいていることからは想像できないけれど。
子供の頃、漫画は好きだったが本は嫌いだった。読書感想文はいつもあとがきから抜粋して適当なことを書いた。それは中学や高校に行っても同じ。外で身体を動かすことは好きだったが、図書館で本を読むことは嫌いだった。大学は本から逃れたいがために理学部数学科を選ぶ。もちろんそれは間違いで、数学科では数学の本を読まなくてはいけないし、ましてや決して好きでもない数学の本は更に苦痛だった。本嫌いは上京してからも同じだった。
三十歳になり、ひょんなことから雑誌の編集長をすることになった。本も文章も嫌いな僕が、何故、編集長になったのかを書き始めると膨大な文字数を必要とするので省くが、本を読まない僕が編集長をできた大きな理由は写真の多い女性ファッション誌だったことが大きかった。ビジュアルが多いとは言っても当然、写真などにつける文章は必要である。予算がない編集部だったので仕方がなく僕も文章を書くようになる。今より更に下手な文章を綴っていたのだから、今から考えると怖いもの知らずも、はなはだしい。
しかし、僕自身には転機になったようで、自分が文章を書くことがきっかけになったのか、それともようやく文章を読める頭になったからかはわからないが、その時以来、好んで本を読むようになった。次第に昔、嫌いだったはずの文章を書くことも本を読むことも好きになっていくのだから不思議である。
しかし、何せ読書デビューが遅い。他の人より人生における読書量が少ないというよりないに等しい。同世代の人が、たいてい高校や大学時代に読んでいた本を僕は全く読んでいない。しかし、そんなことを嘆いても仕方がないし、今から読めばいいだけの話である。
よって今は人からこれが面白いよと言われれば読むし、CDのジャケ買いならぬ本の表紙買いで選んで読むこともある。もちろん旅先にも本を持っていくようになった。
国内の旅であれば最初に一冊だけ持って行き、残りは現地の本屋で買うことにしている。読んだら宿に置いてくるか同行者にあげてしまう。海外の旅であれば旅の日数×三分の一+二冊。一週間の旅であれば四冊、二週間の旅であれば六冊といった具合で持っていくことにしている。本が足りなかった時もあれば、一冊も読まないで帰ってきたこともある。しかし、今のところ短い海外の旅では、これを基準にしている。今回のように半年近い旅になるとそんなわけにはいかないのだけれど…と文字数が来てしまったので来週に続く。
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