salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

イシコの歩行旅行、歩考旅行、歩行旅考、歩考旅考

2011-07-24
「遺跡に何度も足を運ぶわけ(スコータイ/タイ)」

 高校時代、世界史が嫌いだった。あるテストで学年最下位だった時、
「世界史なんて過去のことで意味ないよ。僕は未来を見ていくね」
などと嘯いた。本当は最下位の恥ずかしさをまぎらわすためにそう言っただけ。当時の僕に言ってあげたい。世界史は旅に想像力を加えてくれるし、今を知る一つの道具になるよと。

このところ城や昔、都があった場所に行くことが好きである。そこに人が住んでいた理由は何なのか、どういう生活を送っていたのかなど様々な想像を膨らませることが楽しい。

その楽しみを最初に教えてくれたのは沖縄だった。沖縄に何度も通ううちに行くところがなくなってしまい、仕方がなく知念城、勝連城、中城など城跡に立ち寄ったのである。別に城があるわけでもなく城壁があるだけだった。しかし、ただ、その場所に佇んでいるだけで、何ともいえぬ心地よさを覚えたのである。やはり城を建設する際、そういった場所を選んだのだろう。

それ以来、沖縄に足を運ぶ度に城跡に行くようになった。缶コーヒーを飲みながら景色を眺める時間を楽しむようになったのである。そして城が立っていた時代の王の気持ちを妄想する。

スコータイ遺跡も同じような心地よさを与えてくれる街だった。高校時代の勉強不足が尾をひき、未だに人より歴史に疎く解説らしいことは書けないのだが、簡単に説明すると十三世紀中頃、現在のタイの礎を創ったスコータイ王朝の都がこの場所だったそうだ。ここからタイ文字が生まれ、スリランカから伝わった大乗仏教が全国に広まった。世界遺産にもなっているので海外からの観光客も多く、首から一眼レフのカメラをぶら下げた日本人ツアー客の姿も多い。そして僕もツアー客ではないがカメラを首からぶら下げている日本人の一人である。

たいていのツアー観光客は、スコータイの新市街のホテルに宿泊し、遺跡のある旧市街までバスでやってきて、ガイドをつけ数時間程度でサッと見学を終えると去っていく。

僕のように個人旅行の場合は二種類の楽しみ方がある。スコータイ遺跡にどっぷりはまりたい人は最初から旧市街のゲストハウスに宿泊して、のんびり毎日、遺跡で過ごしながら、その土地の空気を身体に染み込ませていく。

もう一つは新市街に宿泊して遺跡に通う。タクシーで行くのもいいが、地元の人が利用するバスで行くのも楽しい。トラックの荷台に幌をつけ、向かい合わせにベンチを置いただけのソンテウと呼ばれるバスである。ビニールに入れたお惣菜を持った親子や製図用の大きな定規を持って慌ただしく乗り込んでくる学生、世間話をしながら笑い合うおばちゃんなどがスコータイに暮らすタイ人の生活が詰まったソンテウを味わうだけでも楽しい。

僕はこのソンテウで二日間、スコータイ遺跡に通い、自転車を借りて散歩ならぬ散走を楽しんだ。ワット・サー・シー、ワット・シー・チュムなどガイドブックやテレビ番組で見かけるような遺跡は、もちろん感動するが、当時からあったのではないだろうかと思わせる立派な木々の中を自転車で走り抜けるだけでも楽しい。七百五十年も前に、この場所に都があったという史実を意識しながら何度も走りぬけたくなるのである。高校時代の僕がここに来ていたら、どう思ったのだろう。もう少し勉強するようになっていたのだろうか。

ご意見・ご感想など、下記よりお気軽にお寄せ下さい。

コメントはまだありません

まだコメントはありません。よろしければひとことどうぞ!

コメントする ※すべて必須項目です。投稿されたコメントは運営者の承認後に公開されます。


コメント


ishiko
ishiko

イシコ。1968年岐阜県生まれ。女性ファッション誌、WEBマガジン編集長を経て、2002年(有)ホワイトマンプロジェクト設立。50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動、環境教育などを行って話題になる。また、一ヵ月90食寿司を食べ続けるブログや世界の美容室で髪の毛を切るエッセイなど独特な体験を元にした執筆活動多数。岐阜の生家の除草用にヤギを飼い始めたことから、ヤギプロジェクト発足。ヤギマニアになりつつある。

バックナンバー

そのほかのコンテンツ