2010-12-19
「川の夕陽と海の夕陽」
毎日、クランタン川を眺めていた。川はいつも茶色で、いつも物が流れていた。木の枝、鼻緒が取れたサンダル、カールスバーグのビール瓶、どれも気持ちよさそうに流れていた。その合間に時折、漁の為の小型船が走っていく。
夕方になると川にかかる大きな橋は、コタバルで働き終え、隣町のワカバルへ帰路に就く車で交通量が一気に多くなる。
船着き場では渡し船が到着し、通勤電車に乗り込むように続々と人が乗り込んでいく。鞄を斜め掛けにした学生は読んでいた本を小脇に、イスラム教徒の中年女性は携帯電話で話をしながら、初老の男性は、コタバルの街で乗っていたであろう自転車を一緒に積み込む。そんな彼らの生活の一部を夕陽が照らしている。
僕にとっての夕陽の思い出の街が浮かび上がってきた。ラオスのプラパバーンという世界遺産の街で船を借りて川を渡った。世界遺産の街は観光化されているが、川を渡った村は今にも崩れそうなバラック小屋が立ち並び、全く違う風景である。裸足で走りまわる子供達が僕の姿を見てピタリと止まった。川向うの別世界にやってくる外国人が目の前に来たというような目である。村をぶらぶら散歩した後、迎えの船を待っていると手招きする老人が目に留まった。川沿いで生活する一家の長らしき老人が、夕陽を見ながら酒を飲んでいた。そして、「お前も一緒に飲め」といった感じで笑いながらコップを差し出された。指紋だらけのコップに強い蒸留酒「ラオラオ」を注がれ、一緒にすすりながら夕陽を眺めた。老人は毎日、この夕陽を見ながら、この酒を飲んでいるんだなぁと思うと少しうらやましかった。海の夕陽は自然を感じるが、川の夕陽は生活を感じさせてくれる。
死後の世界のようにパゴダ(お墓)が並ぶミャンマーのパガンという街。10年程前、その街に行き、フェリーで川を渡った。生活が窮乏していると聞く村の学校で軍の監視下の元、つたない大道芸を披露し、子供達と遊んだ。再びパガンに戻るフェリーの中から夕陽を見た。東南アジアの川で見る初めての夕陽だった。目尻にじんわり涙が浮かんだ。美しさはもちろんだが、それ以上に村に対する消化しきれない想いを夕陽が受け止めてくれているような気がしたのかもしれない。海の夕陽は雄大さを感じるが川の夕陽は温かさを感じる。
川の夕陽というキーワードが、二つの光景を久しぶりに思い出させてくれた。こうした思い出を連ねていくと僕は海の夕陽より川の夕陽の方が好きなのかもしれない。時に旅の記憶は脳の片隅に入り込んでしまう。それが何かをきっかけに記憶の箱のふたがあいて蘇ってくる。そして思い出の光景が、また新しい発見を教えてくれる。歳を経て寝かされたコタバルの夕陽が、思い出の夕陽となって味わえる日が楽しみである。
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