2013-07-7
『身体騒動記 過去編 ~ラーメン中毒マン・そして猛暑との戦い③最終話~』
(前回の続き:帰宅し、激しい脱水症状と高熱に襲われた私は、死にものぐるいの歌唱作戦の効果も得られず、ついに病院に行くことを決意する。数日間お風呂に入っていないため、せめてシャワーを浴びてからと洗面所に向かったのだが、鏡に映った自分の姿は、顔中の水がなくなった恐ろしいオバンバ骸骨状態であった…)
自分の姿にショックを受けつつも、とにかく一刻も早く病院に行くためシャワーを浴びた。万が一、倒れても発見されるように、扉は半開きにしたままだった。
水しぶきが脱衣場まで飛び散っていたが、やむを得まい。
当時私は、とある大人の事情で、自分の経済状態には見合わない瀟洒な住宅街に住んでいた。
贅沢を言うようだが、トリッキーで面白モノ好きの私には少し物足りない町でもあった。
マンションのすぐ裏には、桜の名所で有名な小川が流れ、朝夕には小ぎれいに刈られた小型犬や、見たこともないようなツルンとした皮膚の細長犬を連れたマダムたちが川沿いを優雅に散歩している。
多分あの犬たちが口にするエサの中には、有機栽培の乾燥野菜が混ぜられているに違いない。
川沿いを10分も歩くと、夏には花火大会が開かれる海岸まで辿り着く。ちょっとした散歩やウォーキングにはぴったりである。
その川が突き当たる海岸付近に、1件の総合病院があった。
戦前からあるというその病院は、地元の名士であるK一族の経営で、その環境からかつてはサナトリウムとして利用されていたらしい。
建物は改築されているとは言え、エントランスは昔の西洋建築の面影を残していた。
円形に設計された屋根付きの玄関は、車がそのまま横付けし雨に濡れずに病院内に入れるようになっていて、なかなか赴きのある建築である。
日本で一番泣ける名作と言われる有名な映画に出てくる病院は、ここがモデルになっているという噂だった。
私は休日の晴れた午後などに、よくその海岸を散歩した。
シュロの木が立ち並び、海からの潮風がゆるやかに吹き付けるその景観は、海際ギリギリに立ち並ぶ病院やマンションの景観も相まって、ちょっとしたリゾート地のようにも見えた。
「こんな病院なら一度は入院してみてもいいかも…。それに、もし夏の花火大会の時に入院したら、目の前、真ん前で大迫力の花火が見れるし!最高だね、きっと!!」
病室と思わしき海に面したガラス張りの窓を見上げながら、そんな、健康だからこそ言える不謹慎な願望を持ったことも、何度かあった。
しかし、人生とは奇遇なり。
いや、これも、引き寄せの法則とやらか?
真夏の花火大会が間近にせまるこの日、ついにその病院を訪れる日がやってきたのだ。
イエローページで電話番号を調べ、初診の受付が可能であることを確認した後、家を出た。
午後をまわったばかりの太陽の直線的な光と熱が、弱った体に容赦なく振りそそぐ。
数日間に渡り体力や水分が奪われきった自分の体は、まるで中身が全部無くなり、外側だけが存在しているかのようなカラッポの感覚で、体が半透明になっているような気分だった。
だからこそなのか、降り懸かる灼熱の温度を全身で感じることは奇妙に心地よく、なんだか体中が殺菌でもされているような満足感があった。
しかし、ここでグズグズしている暇はないのだ!
体力がない分、いつ熱中症や脱水症状で倒れるかもしれない。
懸命に足を動かし、前へ前へと進む。
焦る気持ちとは裏腹に、移動のスピード感がまったく伴わない。まさに、気持ちは競歩、実際は牛歩である。
蜃気楼のように揺らめく、はるか前方に感じる海辺の病院を見つめながら、ノロノロではあるが、一歩一歩、着実に歩みを進めていたその時だった。
「すみませぇ~~~んっ!!ちょっと~、いいですかぁ~?」
甲高い、間延びした男性の声が背後から聞こえてきた。
なんでこんな時に?と思いつつ、
「…はぃ?」
と、殆ど声にならない吐息のような返事で振り返った。
自転車に乗った青年が、片手に地図らしきものを持って立っている。
夏の日差しを背中いっぱいに受け、悩み事などな~んもないよ~ん!といったポジティブオーラ全開の表情で、こちらを見ていた。
「あのぉ~、この辺にぃ、確かぁ~、図書館があると思うんですけどぉ~。ご存知ですかぁ~?」
知らない人に声を掛けられたり、道を訪ねられることが、べらぼうに多い私の人生ではあるが、さすがにこの時ばかりは絶句した。
(…いま、聞くっ?この、わたしにっ?この、状態でっ???)
(もしもいるのなら、“道教えの神様”よ!エリ・エリ・レマ・サバクタニー!そこまでしますか!)
キリストとはレベルの違い過ぎる恨みを(心で)天に叫んだ。
しかし、ここでグズグズしている暇はないのだ!
いくら神様を恨んだこところでどうなるわけでもない。
覚悟を決め、ふぅ~と息をひとつ吐き、自分の生まれ持った運命を受け入れることにした。
そして、声帯が響く可能な限りの力を使って声を出した。
「川…沿いの…、すぐ右手の…角が…、図書館…。その…、すぐ…そこ…、そこ…です…。」
中森明菜の小声のささやきを、もう少しカスレさすとこうなる的な聞き取りづらさに、ポジティブ青年は思いっきり、
「はいっっ???」
と眉毛を八の字に寄せた。表情が、一気にネガティブ青年に変わった瞬間である。
まあ、そりゃそうだろう。
けれど、悪いが、これ以上の音量は出せない。
仕方なくフラフラと、もと来た道を4~5メートル戻り、力なげに図書館の方向を指さした。この4~5メートルのバックは、今の私には健康なときの20メートルくらいに匹敵する距離と言える。
「…あそこ…です。あの、角の…」
ポジネガ青年は、指差す方向と地図を何度か交互に見ながら、ようやく納得した顔つきになり、
「はあぁ~~!はいはい、そこね!あー、そこか!行ってみます!ありがとうござましたぁーーー!!」
と、あっけなく自転車に乗り、颯爽と元気に去っていった。
明らかに憔悴しきった、私のドクロ顔をものともせず、特に変わった反応もなかった。
いくらなんでも、顔が見えていない筈はない。
もしかすると、あれば“道教えの神”が送り込んだ“ユダ”なのか?いや、“堕天使”だったのか?
いつものように下らない妄想が暴走し始めた。
しかし、ここでグズグズしている暇はないのだ!
次に腹痛とトイレへの欲求の波がやってくるのは、そう遠くはない。それまでに、なんとか病院へとたどりつかねばならなかった。
もう、道を聞かれたくない!
気配を消し、とにかく歩くことだけに集中しよう!
息はあがり、体力が奪われる中、
「あと少し…。もうちょっと…。もう見えてる…。あとは坂のみ…。」
と自分に言い聞かせながら、なんとか病院までの道のりを持ちこたえた。
受付を済ませ、診察が始まるまで15分ほど待った。
その間にも、お腹は定期的にキリキリと痛むため、看護士に断りを入れてトイレに向かう。一体、一日に何度トイレの水を流しているだろう。
急いで用をすませ、呼び出される前に、診察室の前に戻った。
「アラキさ~ん、どうぞ~」
やっと名前が呼ばれ、診療室入る。
穏和そうな中年、いや既に熟年と思わしき男性医師が、こちらに向かってにこやかに座っていた。いかにも賢そうな顔つきである。
なんだか信用できそうな医師で、少し安心した。
「はて~、どうされはりましたぁ~?」
その医師は、開口一番、確かにそう言った。
発音のままローマ字で書くと、
[Hate,Dou-sare-hari-mashi-taaa?]
となる。
おお!これは太陽系第三惑星地球とやらの、日出ずる国、主に関西といわれる方面で使われている、俗に言う、“コッテコテ関西弁”というものではないか!
ちなみに、訳すと、
『はい、どうされましたか?(どこの具合が悪いのですか?)』
となる。
ねっとりとした物言い。よく通る針金がふるえるような響き。否応なく耳に残る、暑苦しいとも言える声の存在感。そして、その後続けて話し出した言葉のリズムや物言い、相づちのうち方。
そのすべてが、あの上方芸能界に君臨する最後のドン、“笑福亭仁鶴”氏の声、そっくりなのである!
「ふんふん、下痢ねぇ。嘔吐は?ほう、ないんかいな~。いつから?3日前?!はよぉ~、来んかいなぁ~。へぇ、友達も?ほうほう、ラーメンねぇ~。餃子かぁ。火が通ってまっからなぁ。どうでっしゃろなぁ、なんとも言われまへんわ。今の段階ではっ。」
まるで寄席話にしか聞こえない。体力が無くなっていたから反応する余裕がなかったものの、普通の風邪で診察を受けていたら、きっと笑いをかみ殺すのに必死だったであろう。
しかし、この仁鶴医師、コテコテの雰囲気とは裏腹に、医師としての対応は、冷静かつ素早かった。
ドクロ顔のことには一切触れず、一通りこちらの話を聞いた後、まずは血液検査をし、その結果を待つように指示した。そしてその間、処置室で点滴をするようにとのことだった。
「脱水症状で、かなり憔悴しきってるようやし、しばらく入院したほうがええかもしれんなぁ。その方が回復も早いでっせ~。まあ、とにかく血液検査の結果見んとなぁ~」
別室で血を取られ、点滴室へ移動し横たわる。古い病院のせいか、各部屋の敷地は狭く、横たわるベッドの幅がハンパなく細い!
(幅、狭っ!)
こんな時でも、一人、心でつっこみを入れてしまう自分に辟易としつつ、落ちないように慎重に横たわる。一旦横になると、動くことが難しいくらい狭い。
点滴のために出した腕すらベットに乗らず、臨時の台のようなものが横に添えられた。
点滴が始まると、水分も栄養もカラッカラに不足している体に、気持ちのいい水溶液が流れ込んできた。
まるで、口から水を飲んでいるような乾きをうるおす感覚が、体中に伝わっていくのが分かる。
久しぶりに安堵感が広がり、目を閉じ、少しウトウトと睡魔に襲われ始めた矢先、
「あらぁきさ~~~ん!」
と、耳の奥まで太字ゴシック体がささりそうな仁鶴医師の声が聞こえた。
「あきまへんわ。炎症の数値が異常。高熱やし、入院やね。1週間くらいかなぁ。とにかく絶食と点滴―!」
そうして、我が憧れの病院に入院が決まった。
仁鶴師匠のお膝元、約1週間、点滴三昧の日々をおくったのである。
ちなみに、入院3日目に行われた花火大会は、台風の直撃で中止となったことを、ここに記しておこう。
負け惜しみではないが、やはり、花火は開放的な夜空の下、健康で元気な姿で観賞したほうがいいに決まっているのだ。とほほ。
(次回、やっと本題の“今回入院話”へ。ええ、長いんです…^_^;)
花火は100年後も生き残っているかなぁ。(自宅裏の花火大会。本文とは別のもの)
1件のコメント
とてもおもしろかったです。そんな時は、私なら道を尋ねられても無視するかも・・・。
なんでも受け入れる人ってそんなオーラが出ているのでしょうか。
いろんなことに巻き込まれておもしろい。
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