salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2017-09-25
あなたならどうする?
~ファニーの場合~

「はやく、はやくしないと追いつかれてしまう…」

焦る心とは裏腹に、なかなか足が前に進まない。
雨に濡れた山道で、ドロドロの土に足を取られながら、ただ前を向いて歩く。
背中に背負った荷物(私の担当はいくつかの食器と食料)が体の重みを増加させ、いつも以上に力を込めて足を踏み出さないと前に進まない。

「もう、何時間歩いていているだろう…」

だんだん険しく狭くなっていく山道に不安が募ったが、家族や見知った数十人もの村の人々と行動を共にしていることで、少くとも孤独の恐怖からは逃れられている。

ナチスのユダヤ人狩りの噂は、あっという間に私たちの村にも届いた。
都会では、もう何百人ものユダヤ人が検挙され、強制的に連れ去られているらしい。私たちの村が検挙されるのも時間の問題だった。
そんな中、若者や小さい子供を持つ若い親たちが中心となって、山を越え、隣国であるスイスへと逃亡することを計画した。危険なかけではあったが、希望はそこにしかないように思えた。
山を越えるにはすでに年を取りすぎた年配者や、病気やケガで歩けない幾人かは、足でまといになるからと、自ら村に残った。
しかし、そうではなく、中には十分に歩ける体力があるにも関わらず、村から離れようとしなかった若者や家族もあった。

私には信じられなった。
「危険がせまっていることは承知の筈なのに、なぜ逃げないのか?」
彼らが、「そうひどいことにはならないかもしれない…」という、非現実的な希望にしがみついているように、私には思えた。
見知らぬ天国よりも、見知った地獄を選ぶ。人間の選択とは、本当に不思議だと思った。

逃げる勇気、捕まる恐怖、恐ろしい噂、圧倒的な権力からの暴力…。
あらゆる後悔と希望の渦を体中にまとわりつかせながら、ただひたすら山道を歩いた。

いくつかの小さな村を抜け、森の抜け道を通り、なんとか山を一つ越えた。
途中、何度か警察に見つかりそうになったが、親切な農夫が「こちらの道にはくるな!憲兵がいる!」と教えてくれた。どんなときにも、助けてくれる人はいるのだ。

しかし、国境まではまだ遠く、数日はかかるようだった。

皆が疲れていた。ゆっくりと眠りたかった。でも、そうするわけにはいかないことは分かっていた。
疲労と不安、恐怖と空腹で、私をはじめ、もうこのまま捕まっても仕方がないとあきらめてしまいそうになるほど、皆が精魂尽き果てかけたその時だった。

山道のはずれに、柵に覆われた小さな村を見つけた。
柵は塀のように高く、小さなその村の周りを囲っていた。
柵越しに、慎ましそうな小さな家や、小規模だが修道院のような石造りの建物も見える。それらが、肩を寄せ合うように、ぎっしりとひしめき合うように並んでいる。

すると、柵の扉が開き、中から修道服のようなものを着た村人が一人、出てきた。
ひげを蓄え、やや猫背のその男は、ユダヤ人のように見えた。

「ここは何なのですか?あなたはユダヤ人ですか?」

困惑しながら聞くと、その男は、確かに自分はユダヤ人だといった。

「ここは、もうすぐ独立国になる予定です。ナチスが来てもここには入れません。だから、私はここの国民になりました。もう、ナチスに追われることはないのです。」
「さあ、皆さんもこの国の国民になりませんか?国境まで逃げなくても、危ない橋を渡らなくても、ここなら助かります。」

その言葉を聞いて、いくつかの家族が、歓声を上げた。
私の横にいた幼馴染の父親は、ぜひ、そうしたいと、その男の手を取った。

「しかし、ここには大変厳しい規律があります。私たちは、全く新しい宗教を信じ、その神の教えを守りながら生活しているのです。ここの国民になるには、規則を守り、その神のみを信じなければなりません。よろしいですか?」

男は、そういうと、自分の手を握りしめているその父親の手を、ポンポンとたたいた。
父親は、くるりと自分の家族を見、そして妻と目を合わせた。妻は黙っていた。

「わかりました。その教えに従います!」

惑う妻と子供を連れ、幼馴染の一家は、その村の柵の中へと入っていった。
続けて男は言った。

「皆さん、どうぞ、歓迎します。新しい教えの中で生きませんか?こちらの国民になって下さい。ここなら、安心ですよ!」
男は、他の村人たちにも声をかけ、結局迷いながらも、あと二つの家族がその国民になることを決意し、柵の中へと消えていった。

そして、男は私を見た。
「あなたはどうですか?もう命の心配をしなくてもいいのですよ!逃げなくてもいいのですよ。さあ、中で美味しいスープをのんで、ゆっくり休めますよ!」

今にも崩れ落ちそうな心と体に、その言葉は太陽のように暖かく魅力的に感じた。
美味しいパンやスープにありつける、何より、ぐっすりと眠りながら、このいつ捕まるかも分からない逃亡劇を終わりにすることができる。恐怖から解放される。本当に助かるならそうしたい!

しかし、一方で、本当にこの村が独立国になるのか、私には分からなかった。
それに、たとえなったとしても、ナチスがそこに踏み込まない根拠はあるだろうか?
こうして他国を占領し、圧倒的戦力と暴力で支配を続ける組織が、宗教的な理由だけでこの村には踏み込まないということがあるのだろうか?
そして、本当にこの男は、それを信じているのだろうか?
この男も、自分の都合のいい現実だけを見て解釈し、真実から目を背けているのではないだろうか?
願望が現実を覆い隠しているように、私には思えた。

「さあ、どうぞどうぞ、ここなら安全ですよ…」

この柵の中で、一生を新しい神にささげ生きることで、命は守られるかもしれない。けれど自由はない。
かといって、このまま逃亡を続けても、生きて国境を渡れるかは分からない。途中で見つかり、殺されてしまうかもしれない。
けれども、ここに残ったところで、ナチスが侵入してくる可能性だってある。そうすれば、結局殺されるかもしれない。

安全という言葉に強烈な誘惑の力を感じながら、結局後ろ髪をひかれる思いではあったが、私はまた歩き始めた。
ここで立ち止まった分の時間を取り戻すかのように、ほぼ走っているかのような速さで。
もう一度誘惑にかられて、戻ってしまわないように。

そして、あの村に残った人々の未来が、やがて恐ろしい結末になうような予感を振り払いながら。

*********************************

これは、実は、私が見た夢の話である。

日付は、2000年6月6日となっている。
というのも、当時、不思議なことに非常にリアルな夢を見続けた時期があり、その中でも特に印象的な夢は、「夢日記」に記録していた。これは、その中の一つだ。
もちろん、私はユダヤ人ではないし、ヨーロッパに住んだことも、スイスへ亡命したこともない、戦争だって経験していない。
けれども、この時の夢は本当に鮮明に覚えている。
恐らく地理的には、フランスの村だと思うのだが、ナチスに対する怖さ、逃げるときの怖さ、山の暗闇への恐さ、宗教村から出てきた男の目の怖さ、そして、自分が正しい選択をしたのか間違った選択をしたのか、分からない怖さ。そんな幾重にも重なった恐怖の感情が、目覚めた後も何日も体に染みついたように離れなかったのを覚えている。
実際に、目が覚めた時にも、あまりのリアリティに体が震えていた。
本当に、今、実際にその村にいき、山道を歩いてきたような疲労感もあった位だった。

一体、なぜこのような夢を見たのかは分からないが、この夢に限らず、なぜか昔から夢の中で同じような虐げられる立場やレジスタンス的な立場に立たされていることが多い。
それは、きっと、スピリチャル的には前世の記憶の影響や、ある種の霊の憑依的なものと言われるかもしれないが、案外過度のストレスのせいかもしれない。
しかし、理由はさておき、とにかくそういう夢を体験してしまったことは、確かなのである。

そして、先日図書館で、ある1冊の本を見つけた。
その内容は、17年前に見たあの夢を思い出させた。
もちろん、境遇や出来事は違うが、あの追いかけられる恐怖のリアリティが、何十年も前のあの夢の記憶が、一瞬にして蘇ってきたのである。

『ファニー 13歳の指揮官』  
著者:ファニー・ベン=アミ / 発行所:岩波書店 /発行:2017.8.3

(あらすじ)
主人公のファニーは、フランスに住む13歳の女の子。第二次世界大戦中のユダヤ人迫害の中、一部のフランス人有志たちがユダヤ人の子供たちを匿う運動をしていた。子供たちは山奥の施設などに集められ、警察などに見つけられそうになるたびに、次の施設や町へと移され逃亡を繰り返していた。
しかし、いよいよ隠れるのが難しくなったとき、子供たちをスイスへ逃がす計画がされる。その度の途中で、引率するはずの青年が逃げ出し、ファニーは一番年上ではないにも関わらず、その人望から、大勢の子供たちのリーダーとして皆の命を預かることになるのだった。

これは、ファニー・ベン=アミという実在の人物が、実際に1943年に体験した内容をもとにして語られた実話である。
実は、この原作をもとに、映画『少女ファニーと運命の旅』(2016年製作:フランス・ベルギー)も公開されている。
(映画では、原作のエピソードがいくつか端折られたり、複数の出来事をひとつにまとめたりしているが、ファニーが、突然引率者の青年を失い、自身がリーダーとなって数々の難局を乗り越え、スイス国境を超える旅にでる大筋はかわらないし、とても良くできた内容だと思う。)

実は、物語を読む前に、あらすじを読みながら、私は勝手に思い込んでいた。
ファニーはたまたま運が良かったから助かったのだろうと。その事実の積み重ねに、ドキドキハラハラしながら、「あー、助かって良かったー。」と安堵し、戦争っていやだなーと思って読み終わるのだろうなと。

しかし、そうではなかった。

ファニーは、たまたま生き残ったのではなかった。
ファニーでなければ、ファニーが持ちうる勇気と決断力と行動力があったからこそ、生き延びる道が開けたのだということが、数々のエピソードからよくわかる。
もしも、本当に私がその場にいたとして、戦争という状況の中で、自身の危険を顧みず行動できる勇気があるか、ファニーと同じ行動をとれるかは、正直分からない。

詳しくは、是非原作を読んでほしいのだが、特に私が印象深かったのは、レジスタンスの密偵として手紙を届けに行く場面である。
レジスタンスの仲間が隠れている山小屋に、仲間から危険が迫っているとの手紙を届けてほしいと頼まれるファニー。
真夜中にたった一人で山奥に行くだけでも恐ろしいが、誰にも見つからないように届けなければならないし、自身にも危険が及ぶ可能性もある。
けれど、大人からできるのは君しかいないと言われ、正義感と勇気が恐怖に打ち勝ち、ファニーはその手紙を届ける。
うーん、私だったら、出来るだろうか…。

しかし、この出来事が、後々ファニー自身を助けてくれるエピソードへとつながっていくのである。
まるで、勇気は幸運への鍵のように。
つまり、何事も偶然ではなく、ファニーの勇気ある行動が、未来へと影響し、またファニー自身に幸運をもたらすのである。目に見えない運命の法則は、やっぱりあるのかもしれないと改めて思った。

物語の中では、沢山の大人が出てくる。
子供たちを助けたい大人。助けたくない大人。密告する大人。逃がしてくれる大人。優しくしてくれる大人。いじめる大人、等々。
戦争という究極の状況の中、人の弱みに付け込むものや私利私欲をむさぼるものもいれば、危険を顧みず弱者を助けるものもいる。
その差はなんなのだろう?自分はいざとなったらどちらになるのだろう?

でも、もしかすると、今の平和とされる日本においても、そう状況は変わらないのかもしれない。
どんな状況であっても、様々な人は存在する。

自分の生き方は未来に繋がっていくだろうか。
この数カ月、迷った時は、「ファニーならどうする?」と、考えている自分がいる。


石川えりこさんの挿画も素敵です。

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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