salitoté(さりとて) 歩きながら考える、大人の道草ウェブマガジン

〜日常は、劇場だ!〜「勝手に★ぱちぱちパンチ」

2015-09-14
『パラ・パラ パ・ワ・ハ・ラ』

「パワーハラスメント」(略称パワハラ)
…「職場などのパワー(権力)を背景にして、本来業務の適正な範囲を超えて、継続的に人格や尊厳を侵害する言動を行い、就業者の働く環境を悪化させる、あるいは雇用不安を与えるもの.(Wikipedia概要より抜粋」

今までの就業人生において、自身が所属する職場でパワハラ(またはモラハラ)を行うような人が幾人か存在し、周りの人から毛嫌いされる様を目の当たりにしてきた経験がある。
恐らくみなさんも、多かれ少なかれ、同じような状況を目にしたことが、一度や二度はあるのではないだろうか?

学生やフリーターのころとは違い、就職し働いていると、様々な価値観のあらゆる年代の人と交わりながら、仕事をしていかなくてはならない。
自分の上司や評価をする人が、どんな価値観や嗜好をもっているのか。
礼儀や常識とするラインはどのあたりなのか。
それによって、自分への評価や風当たりがガラリと変わってくるのだから、会社員としては大変に気の使うところである。

権力を持ちながら弱者を攻撃してくる人たちは、独特の嗅覚を持っているのか、自分には逆らわないタイプ人間というのを嗅ぎ分けることに優れている。
どんな理不尽な要求をしても、まずは「はい!」と答え、「でも」や「しかし」を最初から絶対に言わないタイプに狙いを定めて攻撃する。
よく、企業では採用の際体育会系学生が好まれるというが、表向きの「学生時代を通して部活をやり続けていることは、忍耐力と精神力がある証拠!」といった評価ではなく、実際は「上の人間の言うことを逆らわずに聞く」ということではないかと思っている。

初めて勤めた企業では、自分のいた部のマネジャークラスに、そういう人がいた。
上に甘く下に強い。上司の機嫌を取り、部下である自分たちには理不尽な要求を突きつけ、責任を取るのが怖いのか、最終的な回答や結論を言うことをうまく避ける。
今にして思えば、まだまだその上司も30代前半で、自分の実績と評価を上げるために必死だったのだと思うが、血気盛んな新卒の若者だった私は、その上司のことを許せなかった。

強がる発言の裏に垣間見える弱気な対応。
マッチョに鍛えた肉体の筋肉自慢。
コミュニケーション力の乏しさとは逆に、愛されたい要求が強いがどうしたら好かれるのがわからず人気者の部下に嫉妬するなど。

大きな体の裏に見え隠れする気の小ささに、もしかするとこの人は子供時代にいじめられていたのかもしれないとも思った。あるいは、極端に褒められたことが少なく、外部評価のみを気にし、プライドは高く、自己愛が強い。恐らく、友人も少なかったのではないかと。
そういう人が権力をもつ立場に立つと、一気に多くの人が疲弊し、職場環境が悪くなっていくのを避けることが出来ない。

私はその他の同僚と同じように、できるだけ毎日その上司と顔を合わせないようにし、現場や事務所を行ったり来たりしながら逃げ回った。
もちろん、そんなことをしていると、新規の企画や業務改善の相談もできず、創造的な仕事など出来るわけがなかった(第一、話をしないようにしているのだから当たり前だ)。
暇があれば同僚たちと、その上司の愚痴を言い合い、陰で面白おかしいあだ名をつけてはストレスを発散していた。

しかし、そんな上司を半分バカにして斜めに見る目線が、ある偶然に見かけた出来事をきっかけに、変ってしまったのである。

ある日、ややふくよかで健康そうに日焼けをした女性が事務所にやってきて、明るい笑顔と穏やかな表情でその上司と会話を始めた。
傍らには、ベビーカーに乗った、真っ黒な髪のおかっぱ頭の2歳位の可愛い女の子がいた。
女の子は、何かブツブツ言いながら、小さな人形のようなものを触っていた。
そして、10分ほど話すと、女性はこちらを向き、にっこりと会釈し出て行った。
ごくごく普通のお母さんと子供の姿だったが、後で聞くと、その上司の妻と子供であるという。

それだけである。

しかし、私は軽いショックを受けた。
そして、ふと遠い記憶の中の断片から、自身の中学時代の担任教師との思い出が蘇ってきたのである。

中学生当時、思春期特有の反抗期であった私は、基本、学校の先生を権力の手先とし、敵とみなしていた(尾崎豊世代?!)。
意味もなく、ただ単なる親以外の身近な大人として、小さく安全な規則に則った世界で、唯一反抗できる相手が学校の教師だっただけである。
先生からしたら、大変な迷惑である。
そうかといって、ヤンキーや不良といった分かりやすい反抗には興味はなく、成績も普通で、特にグレる要素も皆無であった。

自分にできることはといえば、先生から話しかけられても、愛想なく静かに「うん…。」とうつむき返事し、文系オタク一直線、洋楽ロックとライブ、外国映画、そしてなぜか友人の影響で女子プロレスにハマる位が関の山だった。

そんなあるとき、地元のデパートで自分の担任教師とばったりあった。
担任は、まだ2歳そこそこの小さな女の子の手を引きながら、ゆっくりと歩いていた。
声をかけると、ちょっと驚いたように私を見ながら、

「おお、遊びに来たのか?」

とにっこり笑った。
少し髪の毛が薄めのその担任の遺伝子なのか、その女の子の髪も細く茶色の薄毛だった。それが逆に、クリクリの大きな瞳もあって、まるで外国人がハーフに見える位かわいい顔をした女の子だった。

「先生、娘さん、かわいいですね。」

学校以外という事もあって、いつもよりは自然と親しみを込めた口調になっていて、自分でも驚いた。
すると、とても嬉しそうにその担任が笑った。

その時はそれで終わったのであるが、その数週間後にふと、放課後に教室にいるその担任を見かけた。何やら、パンフレットのようなものを見ている。
近づくと、はっと顔を上げ、照れたようにこう言った。

「いや、ちょっと。将来のために、保険に入ろうかと思って…」

まるで言い訳するかのようにそういうと、その生命保険のパンフレットを恥ずかしそうに閉じた。あの娘さんの顔が、脳裏に浮かんだ。

(この人には、家族がいるんだ。守りたいものがあるんだ。中学校の教師である前に、家族を持ち、養い、子供を育てながら生きている、ひとりの父親であり、人間なんだ。)

その日から、私の意味のない先生への反抗期は終わった。
その時の感情と、似たような気持ちが、その上司の家族を見たときに湧いてきたのである。

(ああ、こんな嫌な人でも、妻や子供がいるんだ…。家に帰ると、お父さんであり夫であるんだ…。)

(職場ではこんなに嫌われているのに、家では一家の大黒柱として、妻に尊敬されているのかもしれない…。あの娘はきっと、お父さんの事が大好きなんだろうな…。お父さんが職場で嫌われていることを知ったら、きっと悲しむだろうな…。)

その人の仕事場だけではない生活を垣間見てしまった気になり、一面的な「パワハラ上司」という仮面だけでは、捉えられなくなってしまったのである。

そして、自分自身も、どこか「理想の上司像」というのを、その人に押し付けていたのかもしれないとも思った。上司とは、こうあるべきだという一般的な理想。
それにそぐわない上司をダメ人間と決めつけ、見下していたのかもしれない。

もちろん、だからといってその人のパワハラ的数々の行動や言動がすべて許されるものではないし、許されるべきものでもないとは思う。
けれど、人が抱えている多面的な人格や、並行同時的に流れる色々な役割としての人生の複雑さ、不思議さを思わずにはいられなかった。

人は誰でも自由に生きる権利がある。
極端なことを言えば、人に嫌われて仕事をする権利もあるのだ。

もちろん、周りは迷惑だが、迷惑をかけ、忌み嫌われるのもその人が取る自由な選択であり、それで孤独な思いをし、ストレスを抱えるのもその人の自由である。
すべての人間が部下にとって最高の上司にならなければならない、という訳ではない。
但し、その行動による責任は、いずれ必ず引き受けなければならない日がやってくると信じている。

パワハラで苦しんで傷ついている人もいると思う。
けれど、人が取った行動は、必ずその人に、回り回って帰ってくる。
人を傷つけるナイフ(言葉)は、必ず“諸刃の剣”なのだ。
相手を刺しながら、同時に自分をも刺している。

相手から刺された傷は、少なくとも痛みを感じ、回復するための処置はできる。
けれども、自分で刺した傷に気づかずに、その痛みをずっと持ち続けながら何度も何度も自分を刺し続ける人は、やがて回復できないほどの苦しみを味わうことになるかもしれない。

人間として生まれ、生きていくことには、基本的に哀しみを内在していると思う。
痛みや苦しみは、人間の感情の中で最も激しいものである。
それは、喜びや幸福感を、打ち消すほどの強さを持っていると個人的には思う。

それでも、その中で楽しいことや嬉しいこと、幸せと思えることをどれほど味わい、選択できるか。
少なくとも、その感情の選択だけが、人生を生きるに値するものと思わせてくれる。

権力や暴力、支配的な価値観や受け入れられない世論に支配されそうなとき、圧倒的な力にねじ伏せられそうになったとき、それでも自分の感情(心)だけは、誰にも何にも侵されず、自分で支配できる最後の砦だと信じたいし、そうでありたいと心から願っている。

(ちなみに、現職場でも諸刃の刃を刺し続けている上司がいるが、今や刃先はボロボロで、自分自身の傷でもはや立てないほど不安定になっている人がいる。しばらくは様子を見て、いつかコラムネタにしたいと思っています。(^_^;))

清水寺からの天使の通り道。地球は回っています(中央に京都タワーが見える)

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アラキ ランプ
アラキ ランプ

東京在住。映画と文学と旅行が好きな典型的文化系社会人。不思議なものと面白いものに目がなく、暇があってもなくてもゆるゆると街を歩いている。そのせいか3日に1度は他人に道を聞かれる。夢は、地球縦一周と横一周。苦手なものは生モノと蚊。スナフキンとプラトンを深く尊敬している。

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